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竹山妙子『さくらを仰ぐ』―妻の側から見た竹山広―

2022-08-20 13:51:52 | 書評

長崎で被爆し原爆への怒りを生涯うたい続けた歌人、竹山広の妻、竹山妙子の遺稿集である。「心の花」長崎歌会代表で長年、竹山広に師事した馬場昭徳の尽力によって上梓された。

解説によれば妙子は2017年没。「1977年から作歌を始めた」とあるので、そのキャリアは長い。残されたノートと、所属した「やまなみ」に発表された歌を元に450首がまとめられている。

・かの丘に子を焼きしより三年経ると信じがたきかな月日のことは
・紫陽花のつゆけき藍にゆきて立つ在らば三十一歳の子よ
・二夜つづけて夢にあそびてゆきし子よ死にて三十年の娘よ

読み始めてまず飛び込んで来るのは自死した長女(ゆかり)の歌だ。こうした挽歌が一冊を貫いて幾首も登場する。三首めは終盤にある。生涯を通じて片時も忘れすにいた娘への深い哀しみに胸を打たれる。

全体に静かな日常詠が多いのだが、やはり印象的なのは夫を見つめる歌だ。

・犯人の早く解りし夜のドラマ夫が見終るまでわれも見る
・距離おきて見ればさびしも日の当る椅子に座りて夫は居眠る
・ほとほとに他人と思ふ葛切にたつぷりと蜜からむる夫を

犯人が見えてしまっても黙って夫に付き合う心、居眠りをそっと見守る立ち位置。三首め、決して呆れて見放しているわけではないところにどこかユーモアを感じる。

・夕ぐれのさくら仰ぎて余念なき夫を呼ぶなり声あららげて

夫とのちょっとした会話や態度に時に怒りを覚えつつ、いつも粛々と夫に付き従う良き妻…を演じてきたかのようにも思えてしまうところが味わい深い。

・人の世のかたはらばかり生きて来し夫に七十七年の年明く

あとがきで馬場は「『一脚の椅子』を出して竹山広が歌壇的にも一流の歌人として認められる頃である。それまでの広は「人の世のかたはらばかり生きて来」たと言う。そこにあるのは夫への労りの眼差しである」と述べている。

・わが脈をそしらぬふりに確むる明け方の妻脈はあったか
                 (竹山広『地の世』)

竹山広から見た妻の歌。以前、この歌を我がブログで「ユーモア」として紹介したことがある。入院中のベッドでそっと脈を確かめにくる妻に、気づかぬふりをしつつの問いかけ。当然、脈はあるに決まってるわけだが、結句の問いに小さな笑いが生じてしまう。いま改めてさらに深く読めば、妻への献身的な介護への感謝の心であろう。

・彼岸花さく土手あゆむいつまでも生きてはをらぬ夫と並びて
・過ぎぬればまばたきの間のひと生とぞ今宵なにゆゑ夫のやさしき

歳を重ね、いずれ訪れる夫の死への思いと覚悟、そして自らの命の終焉への思い…終盤に進むにつれ、こんな思いが湧き出るように連なってゆく。一人の歌人の独立した遺稿集であると同時に竹山広研究の新たな資料としても意義ある一冊である。

『さくらを仰ぐ』
なんぷう堂
2022年4月30日発行
2000円(税込)
2022-08-20

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