たけじゅん短歌

― 武富純一の短歌、書評、評論、エッセイ.etc ―

短歌往来/2023年2月号「評論月評」第五回「短歌ブームに思う」

2023-06-15 22:18:24 | 評論
「短歌研究」二〇二二年八月号の特集は「短歌ブーム」。同十二月号の年鑑では天野慶、黒瀬珂瀾、笹公人、田村元等が、また「歌壇」十二月号では田中綾、川本千栄、本誌九月号で勝又浩、同一月号で内野光子が触れ「角川短歌年鑑」でも東郷雄二、大森静佳が述べている。二〇二二年の注目される現象となった。

ブームには必ず仕掛け人がいる。始めは新興出版社の動きだろう。書肆侃侃房、左右社、ナナロク社等のプロデュースによる若い歌人たちの歌集シリーズやアンソロジーが、判型や価格など従来にないスタイルで打ち出された。
また、テレビ番組「情熱大陸」に登場した歌人、木下龍也の異色な活動なども短歌の大きなアピールとなった。書店に歌集コーナーができたり雑誌に載ったり、「短歌」という言葉がこれまで以上に世間の目に触れる機会が増えた。

それだけでは一部の人々への関心で止まったかもしれないが、こうした情報が並行してSNSの世界とダイレクトに繋がっていった点が大きい。短歌であれ何であれ、今の若い世代は興味を持ったジャンルへの最初の入口は書籍でもグーグル、ヤフーでもなく、まずはとにかくツイッターだ。「#短歌」「#tanka」で検索すれば短歌関連の情報がたちまちスマホにズラリと並ぶ。そこから関連サイトへ飛び、グループやイベントを知り、相互フォローが増えていき、書籍に興味が向けばアマゾンで注文となる。

短歌はSNS映えする詩型である。わずか三十一文字で発信される歌のほとんどは口語だし、優劣はともかく、よほど小難しい歌で無い限り、ごく短時間で歌意を理解して鑑賞できる。あれこれと時間に追われるせわしい現代人の行動様式にも合っている。やがては作歌したい人も現れるだろうし、そこから投稿、さらに専門誌へとのめり込む人も出て来よう。かつてのように結社の入会へとすんなり進まないのが悩ましいところではあるが。

しかし、ただ波に乗ってばかりではいけない。ブームはいつか去る。長年売れなかった歌手がようやく一曲ヒットしたにもかかわらず、後が続かず姿を消したケースは多い。異常な人気続きに大増産をかけたものの、ブームの急降下で大量の在庫の山で大赤字となった「たまごっち」の例もある。

短歌に興味を持って入ってきた人たちをどう定着させ、次の峯へ誘えるか…出版社、結社、短歌団体、歌人たちが次の一手をかけ続けていかないと、せっかく掬い上げた人たちが指の間からぼろぼろと零れ落ちてしまう。短歌という紙風船を下から常に仰ぎ続ける努力と工夫が求められる。

キュレーターという職業がある。美術館などで、展示企画全般の他、作品やアーティストの情報を来館者に伝える専門職だ。こうした水先案内人的な役割の人が短歌の世界にも必要とされるのではないか。短歌の歴史、歌人や結社、世代ごとの歌等の全般を俯瞰的に横断し、偏りの無い幅広い見識でもって、短歌を知らない人々に易しく伝える、いわば「短歌キュレーター」だ。

少々穿った見方をすれば、短歌は今まで千四百年間ずっと、密やかで地道な小さなブームとして連綿と続いている文芸である。大手の新聞には歌壇欄があり、毎週、たくさんの歌が届き、歌人によって選がされ掲載される。新聞にこんな欄があるのは日本だけだ。多くの大小さまざまな短歌コンクールも催されている。目立つ動きで華やぐ人たちや知識人だけのものではなく、数多の大衆の文芸としての短歌という側面を私は大切にしたい。

「短歌往来」九月号の特集は「創刊四百号記念」として、歴代の佐美雄賞、短歌賞、出版賞の四十三人の歌人の十首連作と短いエッセイだった。エッセイはおそらく「昨今やこれからの短歌について思うことを自由に書いてください」というような依頼だったと推測される。こうしたところにこそ歌人の率直な思いが顔を出すのでは…と興味深く読んだ。気になった言を挙げる。

「今日の短歌で目立っているのは言葉の面白さを先立てつつ傷つきやすい時代の空気に反応している若い歌で、そこに同時代を生きている痛痛しい感性が呼吸しているのをみる。そこでは助辞がもつ微妙なニュアンスよりも、言葉の空白に広がる想像力が期待される。(略)それが今日の多世代間の表現や文体の断層をなしているように思われる。(馬場あき子)」
「短歌の世界が著しく多様化しているように思います。その背景にはネットの普及や出版状況の変化等の要因もあることでしょう。(田中拓也)」
「(略)Twitterや投稿サイト、ネットプリント、同人誌といった発表媒体の多様化は、自ずと短歌のありようも変えていくだろう。(松村正直)」

世代間の分断、多様性、インターネットの影響力…どの歌人たちも現況の混沌に途惑いつつも、同時にどこか冷静で温かい眼差しも伝わってくる。馬場の感じている「今日の短歌」は先述の「SNS映えする歌」とどこかで共鳴しているようにも思える。

プラトンは、自分の弟子について。「最近の若者は、なんだ。目上の者を尊敬せず、親に反抗。法律は無視。妄想にふけって、街であばれる。道徳心のかけらもない。このままだと、どうなる」(「アシモフの雑学コレクション(星新一訳)」)

世代間の分断は本質的に今も昔も変わらない。長い目で見ればプラトンにもこんな若い頃がきっとあったに違いない。また、多様性の側面から考えれば、若い老人も年老いた若者もいるし、世代論はあまり意味が無いようにも思える。

「短歌往来」2023年2月号より