たけじゅん短歌

― 武富純一の短歌、書評、評論、エッセイ.etc ―

言葉の力を信じて

2015-03-31 23:37:42 | エッセイ

 

 ゴオガンの自画像みればみちのくに山蚕殺ししその日おもほゆ(斎藤茂吉)

 紅椿いちりん落ちてその枝にいちりんほどの空咲きたり   (小島ゆかり)

ゴーギャンの自画像と蚕を殺した記憶は、本来なんの関連もない。椿の花が落ちた後に花がまだ咲いているなんてことは現実にはあり得ない。でも、私たちはこうした歌に触れるとなぜか心にさざ波が立ち、時に強い感動を覚える。

それぞれの言葉たちが背負っているイメージの喚起力が合わさり、共鳴し、ときに喩となってさらに増幅され、像が結ばれ、そこに詩情なるものが湧き上がるのだ。

言葉が持つこうした不思議な力の感覚をもっと味わってみたい、そしてもしできることなら人にそんな感覚を呼び起こさせてみたい…。短歌の周辺でずっとじたばたしているうちに、わたしの中の短歌とはつまりそんなエナジーなのではないかと思うようになった。

昨年、自分の歌にとことん向き合う機会を得た。歌集を上梓したのだ。最大の難所は選歌であった。どの歌を外し、どの歌を残すのか。気に入ってるとか嫌いだとか、佳い評をいただいたからとか…そんなことで自分の歌を選んでしまっていいのか?という疑問との闘いの日々だった。

自分らしくない歌、衒いのある歌、選を取りにいったようなウケ狙いの歌は、どんなに良い評をいただいていてもすべて外したつもりだった。しかし、甘かった…。いただいた批評のなかに、そんな歌があることを鋭く指摘する声があったのだ。

総じて思うに、私の歌は饒舌で軽い。言葉の摩擦が弱い。自虐的で詩的叙情が弱い…。課題は山積みである。この先、どう進んでゆけばよいのだろうか?、いまは全くわからない。言葉の持つ力を信じて、これから、じっくりと時間をかけて考えていきたいと思う。

「猪名川」2015年3月第15号より

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