・春の水は動いておりぬ浅瀬ほど水のかたちはくっきりとして
タイトルの元となった一首。「水のかたち」とは、考えてみればなかなかに意味深長な言葉だ。普段から水というものをよく見ているのだろうと思い、そうした歌を探ってみた。
・湧き水のそこのみ白く盛りあがり女子学生のおしゃべりつづく
・IHコンロにお湯は煮えたぎる青き炎を見せぬ明け暮れ
・ブランコの下はいつでも水たまりその中の空とどかない雲
・シンメトリーわずかに崩し噴水の立ち上がる昼コロッケの香り
・新緑をざんざん濡らす雨粒が青いバケツの中にも溜まる
・水滴はつぎつぎ生まれ思わざる速さに形に落ちてゆくなり
まずは具体的な形としての水を挙げてみた。一首め、止めどなき女子学生のおしゃべりと湧き上がり続ける水の重なり。二首目、炎が無いのにお湯が沸く不思議だろうか、IHになってガスのあの炎を懐かしんでいるようにも思える。三首目、水たまりの映す空の中の雲への思い。四首目、コロッケの匂いに職場の昼休みと想像した。五首目、自然の緑と人工物のリアルな対比。六首目は写実が活きている。
・求められぬことばさがして応えこし歳月みずの淡さをもてり
・身ごもりて不透明なるこの身体 水こぼさぬようそろりと歩く
・水を飲む玄米を噛む細胞があたらしくなる生まれ変われる
・百年の眠りから覚めせせらぎに足浸すように検査台降りる
・わたくしの静まりそめし水の面に白檀の香の立つるさざなみ
抽象的な、喩としての「水」の歌たち。一首目、隠喩としての水の「淡さ」。二首目、妊娠した身体は動きも慎重になるのだろう。三首目、病を得ての健康への強い希求を感じた。四首目、辛い検査を終えた感覚をこううたう。四首目、落ち着いた心にふと立つさざなみの香。
他にも雨、お湯、霧、池、舟等、様々な「水」が多く登場するのだが、とりわけ「水」を喚起させるものを挙げてみた。跋文で谷岡亜紀もここに触れ、「『水のかたち』とはすなわち水口奈津子の、世界に向けた、ひそやかだが確かな存在証明であり、そして自特の表白である」と述べている。
仏教では「水はどんな形の器にも納まる」として、心のあり方の柔軟さを水に託している。水口もまた世界のあらゆる対象に向け、実に柔らかな心で接している。
・告知後に処方されたる睡眠薬眠れないのか一週間は
・不調すべて再発につながる恐怖打ち消して書く一日の記録
・五年後に会える確率十二パーセントならばもう一杯のコーヒーを
かつて大きな病を経たようだ。本書はこうした過酷な状況から這い上がった再出発のエナジーかもしれない。
わが子を見つめる優しい歌にも注目した。
タイトルの元となった一首。「水のかたち」とは、考えてみればなかなかに意味深長な言葉だ。普段から水というものをよく見ているのだろうと思い、そうした歌を探ってみた。
・湧き水のそこのみ白く盛りあがり女子学生のおしゃべりつづく
・IHコンロにお湯は煮えたぎる青き炎を見せぬ明け暮れ
・ブランコの下はいつでも水たまりその中の空とどかない雲
・シンメトリーわずかに崩し噴水の立ち上がる昼コロッケの香り
・新緑をざんざん濡らす雨粒が青いバケツの中にも溜まる
・水滴はつぎつぎ生まれ思わざる速さに形に落ちてゆくなり
まずは具体的な形としての水を挙げてみた。一首め、止めどなき女子学生のおしゃべりと湧き上がり続ける水の重なり。二首目、炎が無いのにお湯が沸く不思議だろうか、IHになってガスのあの炎を懐かしんでいるようにも思える。三首目、水たまりの映す空の中の雲への思い。四首目、コロッケの匂いに職場の昼休みと想像した。五首目、自然の緑と人工物のリアルな対比。六首目は写実が活きている。
・求められぬことばさがして応えこし歳月みずの淡さをもてり
・身ごもりて不透明なるこの身体 水こぼさぬようそろりと歩く
・水を飲む玄米を噛む細胞があたらしくなる生まれ変われる
・百年の眠りから覚めせせらぎに足浸すように検査台降りる
・わたくしの静まりそめし水の面に白檀の香の立つるさざなみ
抽象的な、喩としての「水」の歌たち。一首目、隠喩としての水の「淡さ」。二首目、妊娠した身体は動きも慎重になるのだろう。三首目、病を得ての健康への強い希求を感じた。四首目、辛い検査を終えた感覚をこううたう。四首目、落ち着いた心にふと立つさざなみの香。
他にも雨、お湯、霧、池、舟等、様々な「水」が多く登場するのだが、とりわけ「水」を喚起させるものを挙げてみた。跋文で谷岡亜紀もここに触れ、「『水のかたち』とはすなわち水口奈津子の、世界に向けた、ひそやかだが確かな存在証明であり、そして自特の表白である」と述べている。
仏教では「水はどんな形の器にも納まる」として、心のあり方の柔軟さを水に託している。水口もまた世界のあらゆる対象に向け、実に柔らかな心で接している。
・告知後に処方されたる睡眠薬眠れないのか一週間は
・不調すべて再発につながる恐怖打ち消して書く一日の記録
・五年後に会える確率十二パーセントならばもう一杯のコーヒーを
かつて大きな病を経たようだ。本書はこうした過酷な状況から這い上がった再出発のエナジーかもしれない。
わが子を見つめる優しい歌にも注目した。
・さみしいと言う幼子よさみしいという感情をいつ覚えしか
・はじめての授業参観 母の日に描いてくれた顔をして行く
・4Bを削る手つきのあやうくて全力はときに折れることある
2022年、本書に収められた「セーカンドフラッシュ」で「心の花賞」を受賞している。繊細、しなやか、優しさ…そしてどこかにしっかりとした芯の強さを保ち続けている人である。
・「わかりました」今この川をなめらかに流す術なり解らなくても
・昨夜の夢の少女に借りた耳飾り秋の肌えにひんやり揺るる
・オカリナの中に眠っているような穴から光が差し込むような
『水のかたち』
青磁社
2023年11月4日発行
2500円(+税)
・はじめての授業参観 母の日に描いてくれた顔をして行く
・4Bを削る手つきのあやうくて全力はときに折れることある
2022年、本書に収められた「セーカンドフラッシュ」で「心の花賞」を受賞している。繊細、しなやか、優しさ…そしてどこかにしっかりとした芯の強さを保ち続けている人である。
・「わかりました」今この川をなめらかに流す術なり解らなくても
・昨夜の夢の少女に借りた耳飾り秋の肌えにひんやり揺るる
・オカリナの中に眠っているような穴から光が差し込むような
『水のかたち』
青磁社
2023年11月4日発行
2500円(+税)