たけじゅん短歌

― 武富純一の短歌、書評、評論、エッセイ.etc ―

梅原ひろみ『開けば入る』―ベトナムを軸に綾なされるしなやかな半生―

2019-10-28 17:56:39 | 書評

一読し、「これ、ドラマの原作にならないかな…」と思った。

著者は今から18年ほど前に短歌を始め、その数年後、海外に行けそうという理由で工具の貿易会社に入社、ベトナムのサイゴン(ホーチミン)の駐在員事務所に赴任する。

・バイクの海を泳ぐがごとし午後五時の車のなかに眼(まなこ)つむれば
・轢くなよと目で訴へてずいずいとレユアン通りの信号渡る
・面接の二十人目が戸をたたく、小さな組織を作りてゆかむ
・別嬪でしつかり者の妻多し工具あきなふ店を仕切るは
・社会人のあり方をタムに説きながら漂いてゐる我が十四年
・「信じる」といふ語を最近よく使ふ金勘定にもつとも似合ふ

赴任地ベトナムでの仕事を核に物語は進展していく。ベトナムの古来の歴史やベトナム戦争への思いの歌もある。短歌はモチーフによって自然詠や職業詠、介護詠、海外詠等と呼ばれるが、もう「ベトナム詠」と呼んでいいかもしれない。

そしてここに相聞が紡がれる。

・死んでもいい、かつて言いしか言われしか然したあれも死んではをらず
・二の腕に熱き湯をあて思い出づ逢ふために浴びるシャワーのあるを
・眼(まなこ)ふたつ映せる秋の鏡あり弱らなくては恋などできぬ
・淋しき日にだけ会ふのかと責められき淋しき日など我にはあらず
・金の無き君なれど我は頑として貸さぬよ貸せば崩るる砂地
・いつよりか夜の電話にオヤスミと言ふを覚えし君よおやすみ

まるでドラマのワンシーンになるような映像が浮かぶ。

・わたしここで何やつてんのと呟けば海雲(ハイヴァン)峠にたなびく霞
・始末書など何枚でも書くと思ひをり本気で生きてをらぬ証拠か
・欲しかったのかと聞くならずつと欲しかつた子供をほろほろつれて歩く

こんな境涯詠的な心象世界も垣間見られる。

・十人の事務所となりてささやかにわれも所帯を支ふるごとし

当初、五人だった事務所を大きくしてゆくそんな中、終章は「腹部に異物感があり、サイゴンのクリニックに行くと、直ちに医療先進国に出るようにとの指示があった…」の詞書で始まる。そして帰国、手術を経て帰任。着任期間は七年九ヶ月。その後、退職。

・消灯のわれにあること瀬戸内を渡るフェリーの大部屋以来
・三月の乾季の日差し遠くなり沁みゐるやうに思ふサイゴン
・椰子の葉と笠(ノン)をかたどる紙細工 ベトナムは壁に掛くるものとなりたり
・村の奥の廃屋を過ぎ峠越ゆ由良川に沿ふ祖母のふるさと
・学生の我の朝にはおばあちゃんのイチゴジャムありきつぶつぶとせり

べトナムを懐かしく思う日々。そして祖母や短歌仲間の死去が続く。
もちろんここで彼女の人生は終わらない。

・西洞院塩小路角にドアありて開けば入る求職のため

職安の扉だろうか、そこが「開けば入る」。タイトルの元となった一首である。「なぜ山に登るのか?」「そこに山があるからだ」みたいな感じだ。リクルートの社是「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」を思いだした。また、渡辺和子のベストセラー「置かれた場所で咲きなさい」も連想した。逆っぽい意味かもしれないが本質的には同じだと私には思える。

納められた歌たちがどこかでこのタイトルと繋がっている。仕事や恋の様々な困難、哀しみをしなやかに乗り越えてゆく半生…。そこには熱意とか根性、チャレンジとかの暑苦しさが無く、しなやかに軽やかに、時に微笑みながら黙々と乗り越えてゆくような個性的な生き方を感じる。かつて角川短歌賞の佳作となり、心の花賞受賞、2019年度の現代歌人集会賞最終候補の歌集ともなったのも分かる。先ほどから我が頭の中に「愛はかげろうのように」がBGMのごとく流れている。歌集を読んでこんな体験をしたのは初めてのことだ。

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『開けば入る』
ながらみ書房
2019年4月1日発行
2500円(税別)
2019-10-28