鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

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頭の片隅にわずかな記憶が残る、鷹泊中学校生徒列車事故

2016年12月24日 | Weblog

写真は学校の跡地利用でできたリフレッシュプラザ鷹泊の建物と深名線の線路跡を駅の方向から写したもの。線路跡はサイクリングロードのように幌加内に向かっている。

この鉄道跡を眺めていると、昔の鉄道の記憶がよみがえる。冬場は、列車の運行が不安定になるので、列車が来る幌加内方向を駅のホームからずっと見ていて、列車の姿を学校脇の木々の間に確認するとほっとしたものだ。

 学校脇の鉄道のことで思い出すのは、忘れてしまったほうがいい出来事かもしれないが、昭和32年2月に起きた鷹泊中学校生徒列車事故である。

鷹泊中学校は昭和45年に多度志中学校に名目統合、昭和47年に実質統合されて鷹泊から中学校はなくなった。2年前には、その多度志中学校も深川一已中学校に統合されている。それゆえ、なくなって久しい鷹泊中学校での出来事である。

 記憶をたぐり寄せると、あの日、駅から学校の方向に向かって「○○先生が汽車にひかれた!」と雪道を血相を変えて走って行く女の先生の姿を遠い日の記憶として思い出す。結論として○○先生は無事であり、事故発生時は誰がどのような事故に遭ったのかの情報が錯綜していた。私は小学1年だったので、かすかな記憶しかないが、当時の鷹泊に住んでいた人々を震撼させる大事件だったと思う。

事故の内容は新聞にも載ったようであり、後々になってその詳細を知ることができた。

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