明日の風に吹かれて

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日本国の紋章「五七桐」はどこで決まっているの?

2014年08月05日 14時19分19秒 | つれづれ
五七桐

昨日京都迎賓館の参観に行ったが、資料等々各所に「五七桐」の紋章が。
改めて日本国政府の紋章は「五七桐」なんだと気付いた。
そういえば、記者会見の演台とかで見かけていた。




■本件に関する内閣府のコメント(平成16年8月5日)

 ・桐花紋は、植物のゴマノハグサ科に属する白桐を紋様化したものといわれています。
 ・桐は、聖天子の出現を待ってこの世に現れる鳳凰という瑞鳥(めでたい鳥)の宿る木だといわれており、天皇のお召しものにも桐や鳳凰などの紋様が使われるようになったといわれています(はっきりとはしていませんが、一説によれば嵯峨天皇(786~842年)の頃から使われているようです。)。
 ・明治政府は、明治5年に大礼服(重大な公の儀式に着用した礼服)を定め(太政官布告「大礼服制」)、例えば勅任官(天皇が任命した官吏)は、その上着に「五七の桐」を用いることとされました。明治8年には、勲章の旭日章が制定され、デザインの一部に桐花紋が使われました。
 ・総理大臣官邸では、以前から外国の賓客の接遇のための晩餐会等の招待状や食器、閣議室の大臣席の硯箱や大臣の表彰状などに「五七の桐」を使用しています。
  平成15年10月から首相の記者会見の際にも「五七の桐」を付した演台を使うようになりました。


   http://www.kantei.go.jp/jp/q&a/archive/20040805a.html



■大礼服制(明治5年11月12日発令:現在は廃止)
明治維新当初、新政府を構成した人々の服装は、江戸時代の身分によって、公家の衣冠・狩衣、武家の直垂・裃、西洋化された藩兵の洋服と区々であった。

維新政府には統一された新たな服制が必要となった。そこで、当時ヨーロッパの宮廷で文官用の最上級正装として使用されていた宮廷制服(Court uniform)に倣って新たな大礼服を定めることとなった。

1871年(明治4年)9月4日、「服制改革内勅」が出され、明治5年11月12日「太政官布告第339号」により文官大礼服が定められた。
この「太政官布告第339号」を国会図書館の近代デジタルライブラリーで確認すると、確かに上着の紋章については
勅任:五七桐
奏任:五三桐
と記載されている。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787952/175
 
でもこの布告は既に廃止されていることになっている。

なので五七桐花紋は、歴史上皇室や政権担当者が紋章として使用し、内閣総理大臣・政府・内閣府が『事実上の紋章』として使用しているということで、現時点で日本国の紋章を具体的に決めたものはないということか? 

ちなみに皇宮警察本部や法務省は「五七桐」ではなく、「五三桐」を使っているとのこと。



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