明日の風に吹かれて

日々の感じることを感じるままを綴っていきます。 明日が佳き日になりますように。

御巣鷹山 日航ジャンボ機事故から29年

2014年08月12日 16時39分08秒 | つれづれ
御巣鷹山
あの日航ジャンボ機墜落事故から29年...




当時家のテレビで事故報道を見つつ、やがて搭乗者リストに中高大の一番の親友のカタカナの名前一覧を見た時の足の震えが忘れられない。

即ご実家に電話し、お母さんの「そうなのよ~」の泣き声。あれからもう29年...

「お前なんで早よ死んだんや」と嘆いたこともある。

そして阪神淡路大震災の折には、住宅ローンを支払い中の自宅が全壊して途方にくれ、がれきの街を歩きながら、この先どうしていっていいか分からず「お前、早よ死んでよかったぞ」と思わず愚痴ったこともある..

今日は墓参りに。





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2 コメント

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日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事 (アッキードF19で小沢一郎を撃退希望)
2018-08-26 19:11:49
日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事におけるJAL123便の元気な生存者が、日本の埼玉県警察の警察官(日本語で おまわりさん?)らの手により
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/ainugakuin/e0011938_16494167[1].jpg
といった惨憺たる虐殺死体と化した

一方、救助に奔走したのは米国のみであった
Unknown (アッキードF19で小沢一郎を撃退希望)
2019-06-07 06:46:24
日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事における たくさんのJAL123便の元気な生存者及び、ご搭乗の昭和天皇が、日本の埼玉県警察の警察官らの襲撃(日本語で おまわりさん?らの手により)により
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/ainugakuin/e0011938_16494167[1].jpg
といった惨憺たる虐殺死体と化した

一方、救助に奔走したのは米国のみであった


なお、御巣鷹の尾根の報道写真でも散見される74と尾翼にかかれたU2の残骸は、8月15日に横田から改めて8月12日へ時空ワープで米軍が救助に入ったものの日露により撃墜されたものである

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