明日の風に吹かれて

日々の感じることを感じるままを綴っていきます。 明日が佳き日になりますように。

茶碗抄@逸翁美術館

2016年06月30日 17時21分11秒 | お茶
茶碗抄@逸翁美術館

前期は見逃したので、後期だけを。
種々の窯元の茶碗が整理されて一堂に。

朝日焼も尾戸焼も薩摩焼もじっくり味わうのは初めてかも知れない。


備前茶碗 逸翁銘「瀞」
口造りが不等辺三角形で味わいがある。灰が降りかかった窯変もいい。


膳所平天目茶碗 銘「かがり火」
胴部が高台までまっすぐに伸びた平茶碗。


朝日茶碗 銘「太郎月」「かすみ」
朝日焼をじっくり見るのは初めてかも。「かすみ」は、薄い鼠色の地に白い上釉が全体にかかり、不思議に落ち着いた雰囲気。


奥高麗茶碗
高麗の趣きがあるからそう呼ばれるだけで実際は唐津。


薩摩錦手茶碗
薩摩焼には庶民の使うくろもんと藩主に献上するしろもんとがあるらしい。
藩主に献上したこのしろもん錦手茶碗などは、ふと京焼きを思わせる。


白茶碗 銘「三十録」 細川護煕
本阿弥光悦の国宝「銘 不二山」を意識したものだろうが、悪くない。
以前も茶道資料館で細川護煕のお茶碗で頂いたことがあるが、あれも悪くなかった。


しかしなんと言っても本阿弥光悦の「黒茶碗」、初代樂長次郎の赤樂茶碗銘「常盤」には圧倒された。

特に光悦の黒茶碗樂は、丸い底からまっすぐに立ち上がった側面、口縁部の内外の黒釉をけずりとった味わいといい、無言の意思を感じさせられた。


それ以外では、二代目樂常慶の香炉釉茶碗 宗旦銘「白象」 三代目道入の赤樂茶碗 如心斎歌銘「白雲」 四代目一入の赤樂茶碗 了々斎銘「青苔」など樂家の創業期のものが好きだ。


それにしても、これだけのもののベースは小林一三氏が収集されたものだとは。
とてつもない文化人であり、経済人である、



びっくりのリガチャー 確かに音が変わる

2016年06月29日 18時42分00秒 | サックス
びっくりのリガチャー

サックスのリガチャー
先日不注意でへしゃげてしまって焦った。
先生の指示通り、まずは手であらかたの形に治し、そして厚めのリードをつけて力いっぱい締めて無理矢理治した。

心配したけれど、それなりに音は出た。


で、今日のレッスン前に先生が手持ちのリガチャーを貸して下さり、いろいろ試し吹きさせてもらった。





そしたらびっくり!
ものによっては、リガチャーを替えるだけで、音が自分の顔の前で鳴ってる感じに。
こちらが慌てしまうぐらいに音が変わった。

先生が「なっ、だから急いで買わずにじっくり選んだらいいから」と。


サックスは口元に近いものを変えると音が変わるというが、確かに。





映画「殿 利息でござる」

2016年06月28日 15時29分59秒 | つれづれ
「殿 利息でござる」

阿部サダオ主演でコメディタッチかと思ってたが、いやなかなかウルッときた。

人が生きるのは志
そして人の心は思うより大きくて深い


江戸中期、財政難のため民衆に重税を課す仙台藩。

村々では破産や夜逃げが相次いでいた。

宿場町の吉岡宿でも年貢の取り立てや労役で人々が困窮。

その困窮をなんとかしようと、藩に大金を貸し付けその利息で村全体が苦しむ苦役の負担を帳消しにしようとの秘策を思いつく。

計画が漏れれば打ち首という中、有志で3億円という膨大なる金策に奔走。

しかも末代まで人様に自慢してはならないという「つつしみの掟」を自らに課しながら。

その金策の過程で明らかになってくる人々の想い。それがいい。泣かせる。人は志だな。


映画の最初に「これは実話です」とインサートされる。本当?って思ったが、ほぼ事実らしい。

2003年には宮城県大和町の有志らが、この映画の主人公である穀田屋十三郎らの功績に感謝して国恩記顕彰碑を建立しているとのこと。

映画に出てくる住人たちに伊達の殿様が会ったというくだりも史実に残っているんだとか。



原作は、磯田道史さんの『無私の日本人」に収録されている『穀田屋十三郎』


仙台出身のフィギュアスケート選手・羽生結弦が、仙台藩の第7代藩主・伊達重村役で出演。



事故った サックスのリガチャー

2016年06月27日 15時13分36秒 | サックス
ックスのリガチャー
ほんの不注意でへしゃげてしまった。

先生に聞いてみると「あらかた手で治し、あとは左右のバランスの良い厚めのリードに合わせて締め付けて力づくで治せる」と。

そうかも知れんが、リガチャー ひとつで音色は微妙に変わるというのに...

ここまで馴染んできたリガチャー
もう来月が発生会だというこの時期に、シュンたろうだ。


雨の日の坐禅の会

2016年06月25日 16時31分28秒 | つれづれ
坐禅の会

方丈に落ちる雨を聞きながら一時の静寂を


雑念を捨てろとは言われるが、むしろ湧き上がるままに任せながら...


心の引き出しから浮かび上がってくるとんでもなく醜い自分自身と向き合いながらの時間