平塚にあるキリスト教会 平塚バプテスト教会 

神奈川県平塚市にあるプロテスタントのキリスト教会です。牧師によるキリスト教や湘南地域情報、世相のつれづれ日記です。

パンを水の上に投げよ

2017-03-01 17:12:22 | 説教要旨

<先週の説教要旨> 2017年2月26日 主日礼拝 杉野省治牧師
「パンを水の上に投げよ」 コヘレトの言葉11章1-6節

 「コヘレトの言葉」には、人生の知恵が語られている。ある神学者は「聖書の知恵は、一種の人生への応援歌である」と言っている。

 1節の謎めいた言葉は、何を意味しているのか。1~6節に繰り返し出てくる「知らない」という人間の知的限界に対する言及に注意を払いたい。「パンを水の上に投げる」とは、どう見ても愚かな、無謀な、無駄な行為といえる。しかし、ここではこの愚かしい、無謀なそして無駄な行為をせよ、と命令形で語られている。そしてこの愚かしい、無謀な、そして無駄な行為が、後になって思いがけない良い結果をもたらすからである、と語られる。考えてみれば、そういう愚かしい、無謀な、そして無駄な行為が必ず、良い結果をもたらすという保証は、実は何処にもない。しかし、ここでは、そういう将来の保証のなさ、不確かさ、不安の中にあるにもかかわらず、「多くの後の日にあなたはそれを得る」と、かくも積極的に人生の肯定が語られている。ここには、「子どものような神聖な肯定」がある。「聖書の知恵は、人生の応援歌である」といったその理由が、この「子どものような神聖な肯定」にあるように思う。それは神にある楽観主義ともいえる。その楽観主義とは、神が創造されたこの広い世界では、愚かしく、無駄で、無謀と思われる行為が、いつの日にか、思いもかけぬ良い結果をもって戻ってくるという豊かさが隠されている。そのような楽観主義である。将来は私たちに隠されていて、私たちはそれを「知る」ことが出来ない。将来は確かに分からない。しかし、分からないからといって何もしないのではなく、分からないという限界に反抗して、チャンス(機会)をつかんで、行動しなさい、と勧める。

 「コヘレトの言葉」の著者は、現実が不条理であればこそ、分からないという限界があるからこそ、将来の保証が見えないからこそ、それらに反抗して無駄、余計、無謀とみえることを試みることを勧める。神が創造された広いこの世界では、愚かしく、無駄で、無謀と思われる行為が、いつの日にか思いもかけぬ良い結果をもって戻ってくる、そのような豊かさが隠されている。この世界には私たちが知っている以上に多くのさまざまな人々が、私たちとの出会いを待っている。み言葉を携えて出ていきましょう。

知ってますか?羊について

2017-03-01 16:46:32 | 牧師室だより

牧師室だより 2017年2月26日 知ってますか?羊について

 聖書にはイエス・キリストを羊飼い、人間を羊にたとえた話がたくさん出てきます。そこで今日は羊に関するクイズを出してみました。あなたはいくつ答えられるでしょうか?さあ、挑戦してみましょう。
 問1.羊は泳ぐことができる? 
 問2.羊は流れている川の水を飲むことができる?
 問3.羊は人間の声を聞き分けることができる? 
 問4.羊飼いが羊を連れて野原を移動するのは何のため? 
 問5.一匹の羊が群から離れて違う方向へ行くと、他の羊はどうする?
 正解
 答1.ほんの少しだけ泳げます。しかし、川の中で毛が水を吸うと、体が重くなって、羊はおぼれてしまいます。 
 答2.できません。羊は流水を飲むことができないので、容器に入った水を飲みます。 
 答3.できます。羊飼いと他の人間の声の違いが分かるので、羊飼いの声に従うことができるのです。 
 答4.食べられる草のある場所へ連れて行くためです。草には食べられるものと食べられないものがあり、牛や馬は、食べられる草を自分で判断することができますが、羊にはそれができません。だから、羊飼いが食べられる草の生えている所へ連れて行って食べさせるのです。 
 答5.他の羊も後からついて行きます。羊はあまり賢い動物ではないので、一匹が危険な場所へ歩いて行くと、危険ということが分からず、その後について行ってしまいます。

 さて、あなたは何問できましたか?この答を読んで聖書に描かれる羊飼いと羊について理解が深まったことでしょう。では最後にもう一つ、クイズ。新約聖書に「羊」は何回登場するでしょうか?答えは45回です。一番多いのはヨハネ福音書です(19回)。その中でも有名な聖句「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハネ10:11)。今年も羊飼いイエス・キリストに従って歩みましょう。