WHITE ALBUM:はるか・美咲についての感想

2017-02-18 12:32:02 | ゲームレビュー

  

 

WHITE ALBUMレビュー再掲第三弾。ちなみに今読んでるのは「ぴっぴら帳」だから今日は元気だぜい(だからどーした)。

 

しかし、こうの史代の作品はどんなものであっても他者と自分が癒着することがないね。たとえば先日レビューを書いた「さんさん録」の参平と乃菜。創作に限らずよくある話として孫は猫かわいがりされるものだが、しかし参平は決して乃菜にそう接しないし、乃菜自身もバレンタインデーの話が典型的なように、すでにして大人の見えていない何かを抱えていることが描かれている(しかし、乃菜の両親も参平も、色々な意味で決して彼女を無理にノーマライゼーションしようとはしない)。また「こっこさん」や「ぴっぴら帳」は、鳥といういかにも愛でる対象となりそうな動物を飼うお話だが、そこではまさしく愛でようとする(=あえて言えば「萌え」の対象にはめ込もうとする)人間の意図がしばしば鳥によって裏切られる。でもそれは悲劇ではなく、そのディスコミュニケーションが喜劇として物語をドライブしたり、オチとなったりする(だからかはわからんが、たとえば「こっこさん」の場合、私は鳥ではなく、それと共に生きる「よやい」を、愛娘を見守るような視点で読んでいたw)。そして、このような他者との理解不可能性の描写は、「長い道」という作品にもっともよく表れている。詳しくは原作を読んでほしいが、そこでは破天荒な理由で夫婦となった甲斐性なし男と忍耐強い+天然ボケ風女を主人公に、梅酒・セックスの話に見られるダブルミーニングやら、鏡像の世界やらを通じて、一見すると男女の、正確には他者というものの理解不可能性が徹底して描かれているのである。それらはコメディタッチで表現されてはいるが、長く生活を他者と共にしてきたか、あるいはそういう人たちを見てきたものなら、他者との間に存在する確かな深淵を思い起こさずにはいられないはずだ(たとえば私の親も結婚して40年近く経ち、おそらく外側から見ればそれなりに上手くいっているようにみえるだろうが、何度も離婚の危機があったことを私は知っているし、今もお互いの全てを赦しあったわけではない)。

 

このような視点で見ると、今話題の「この世界の片隅に」における周作とすずの関係性描写も明瞭に理解できる。すずは周作が昔会ったあの男の子とは知らないし、結婚してしばらく経つまで周作が白木リンと結婚しようとしていたことも知らなかった。また周作は周作で、すずを娶ったものの、彼女に水原哲という存在がいたことを知らず、ゆえに自分を重ね合わせてか、すずと水原が二人で納屋で過ごせるように「取り計らう」(と周作目線で表現しておく)。しかしながら、そのような自分の計り知れなさをもった他者であることを認知した上で、二人はそれでも戦後の焼け跡をともに生きていくのである(ただ、一応言っておくなら、この二人が老齢になった時、ボケたすずが「あんた本当はリンさんと結婚したかったとじゃろがい[なぜか熊本弁]」と言って周作を驚愕させたりすることはありえるがwちなみに他者の理解不可能性については、「夕凪の街、桜の国」の旭と七波にも同じことが言えるが、これは歴史の共有の困難さという視点で別に述べることとしたい)。

 

ただ、他者が自らの計り知れないものを(当然のこととして)持っていると感じ、かつそれを認めることは、同時に他者を尊重することでもある(だから私は「ノイズ排除」をずっと批判し続けているのだけれど)。であるがゆえに、私は他者と癒着するのではなく、他者との理解不可能性を踏まえた上でそれを単なる悲劇として描かず端的な事実性として物語を紡いでいくこうの史代作品に信頼を寄せるのである・・・・

 

 

 

え?なぜに突然こうの史代作品のことをつらつら書いてきたのかって?それは、以下のレビューで言ってることも根底は同じだから。人間の心の揺らぎや関係性というものは一筋縄ではいかないため、説得力をもってそれらを描くのは大変な労力を伴う。ゆえに、WHITE ALBUMはシステム的な不備と物語が始まる前の関係性描写が薄すぎることが重大な問題となって、試みとしては評価できるけれども、中途半端な作品となってしまったと評価せざるをえない、という話。

 

というわけで、この後はもう読まなくていいっすw

 

 

 

「さよならを教えて」や「君が望む永遠」「flutter of birds」を始めとして、キャラごとのシナリオ感想であるとか役割分析を私は書くことが多いが、WHITE ALBUMについても全体の批評をした後で御多分に漏れずはるか&美咲シナリオについての感想を書いている。

何か色々ゴニョゴニョ言ってるが、まとめると「会話を始めとする関係性の履歴についての描写が不足しているため、微妙な感情の襞については納得するのが難しく、結果わかりやすい展開をもうちょっと入れるべきだったんじゃない?と感じてしまうという」ところか。たとえばはるかに関しては、(今の記憶の限りで)幼馴染であった頃の描写がほとんどないため兄の喪失が持つ意味の重さが全く伝わらない。また今のようになる前のはるかの描写もないから、その変化がさっぱり受け手にはわからないのである(以前比較対象として取り上げた「君が望む永遠」では、茜の第一章と第二章における変化が、声優の演技力も相まって、過ぎ去ってしまったもの、変わってしまったものを強く受け手に印象付けざるをえない。そしてそこに今も変わらない遥が「時に忘れられた部屋」にいるから、その哀しみ・やり切れなさは否が応でも増すのである)。

まあ色々な意味で過渡期的な作品だよなあとフォローなのか感慨なのかわからんことを述べつつ、とりあえず今は筆を置くことにしたい。

 

【以下原文】

前回WHITE ALBUMの本質について書いた。ランダム要素及びそれに付随する会話イベントはやはり否定しがたい瑕だが、WHITE ALBUMのセカンドプレイではプラスの点で様々な発見があったので、それについて記す。なお、他のキャラは別の機会に書くことになるだろう。


(全体として)
話の展開が少々きつい理由は、主人公が他のキャラに行く必然性が弱いことだ(とはいえ、由綺シナリオをプレイすれば理屈は理解できる)。そうすると、相手キャラの方に必然性が必要になってくるのだが、会話選択部分を除いた固定イベントの分量はせいぜい一時間半~二時間弱程度なこともあって説得力不足のまま終わっている。テーマは、「近くにいる人に気持ちはいくもの」というところだろうか。だとすれば、描くのは相当に難しいだろう。そこで思うのは、由綺から思い切り振られたり美咲に絶交されるような容赦無いバッドエンドを入れた方がよかったのではないか?ということだ。ただでさえ痛みを伴う話ということで遠慮したのかもしれないが、それがあると幸福が際立っただろうし、また主人公が(実質)一方的に裏切るという後ろめたさや、またそれに対する報いも成立したように思う(まあ君が望む永遠の例から類推したのだけど)。


(はるか)
会話では変化球が多くておもしろい。自然に気持ちが向かう感じは一番よくできていると思う。ただそれは、由綺ただ、この話なら普通のADVでいいじゃない?と思えるのも事実で、由綺との二股にする必要性がない。むしろ後味が悪くなるだけじゃないだろうか?もし設定を生かすなら、理奈と由綺の「対決」のように何かしらのイベントを入れるべきだっただろう。もっとも、最後の最後でも「由綺が泣くなら私のことは忘れていいよ」と言うのがはるかなわけで、争いになりようもないのは事実。とすれば、はるかのそういった傾向があってもなお主人公に気持ちがいく必然性をもう少しきちんと提示する必要があったと言える。


(美咲)
前にプレイした時は彼女の言が計算のもとに成り立っていると考えていた(この記事を参照)。確かに美咲の言葉をそのまま読めば、主人公の方から美咲が好きだと言わせるように計算して振舞ったととれるのだが、実際にはそう言う事によって、全ての責任、すなわち彼女のいる主人公に心惹かれる自分の咎だけでなく、彼女がいながら美咲に心惹かれた主人公の咎をも背負ったと見る方が適切だろう(つまり、「あなたは何も悪くない。だって、彼女のいるあなたをこちらに振り向かせるようにしたのは私なのだから」ということだ)。話の出来自体の評価はともかく、「美咲の行動=完全な計算」説は修正する必要がある。


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