「神国思想」とその変遷:辺土から小中華へ

2023-09-07 12:02:14 | 歴史系
 
 
 
 
「神国思想」と聞くと、日本を「神の国」であり、ゆえに特殊で優れた国なのだとする言説を思い浮べる人が多いのではないだろうか。しかし実際には、同じ神国思想であっても、以下のように変化してきたことが上記の動画では説明されている。すなわち、
 
1.中世
本地垂迹説=仏教上位としての神仏習合が観念されており、かつ仏教にとって日本は源流インドから遠い「辺土」=ダメな場所とみなされていた
 
2.近世
神道が起請文などを通じて儒教と結びつき、神道>仏教とするような発想が生起。ここから吉田神道や垂加神道なども生まれ、また国学や水戸学の隆盛もそれをブーストした
 
3.近代
近世の理解が王政復古によって強化され、我々がイメージするような神国思想が確立した
 
 
という経過を辿ったのである。
 
 
この指摘は極めて様々な気付きを与えてくれるものである。
私は以前から現在の日本の宗教観や宗教的帰属意識を無批判に過去に投影する俗説があまりに多すぎることを度々指摘してきた。例えば仏教が伝来したのは6世紀だが、そこですぐに神仏習合が成立したわけではない。むしろ仏教は先進文化の一部として上流階級に摂取・研究されたのであり、「鎮護国家」という言葉はその性質をよく表している。それが民衆にも広がる契機となったのは9世紀に最澄が開いた天台宗などを通じてであり、また神仏習合を象徴的に表す神宮寺という存在の成立は10世紀のことであった。言い換えれば、ある程度シンクレティズムが一般化するには400年の時を要したわけである。
 
 
今回の講義は、その後の中世から近世にかけて(概ね13~19世紀)の神仏習合の変化を、神国思想の変質という角度から説明したものと言える。なお、この変化に対し、それが知識人階級の思想(観念)という、限定的領域に過ぎないのではないかと考える人もいるだろうが、それは正しい(例えば以前紹介した江戸中期の『伊勢神宮細見大全』において、伊勢神宮において参拝者が跪拝している、つまり端的に言えば仏教と参拝の仕方に大きな違いがなかったことを想起したい)。
 
 
ただ、気を付けなければならないのは、その限定的領域にあった思想が、明治維新=近代化の過程で神仏分離や廃仏毀釈、あるいは諸々の学校教育を通じオフィシャルなものとして日本全体に広げられていったということである。そしてその帰結こそ、現代の私たちが神国思想と聞けば、「日本を神のいる特殊で優れた国とする発想・言説」と観念するような状況と言えるだろう。
 
 
以上要するに、しばしば日本の(超歴史的な)特徴として観念されるシンクレティズムも、様々な変化を歴史的に被っているのであり、その内実をよく理解することは、例えば中世と近世の不連続性、近世と近代の連続性を考える上でも非常に有益な視点と言える(もちろん、宮崎市定のように「応仁の乱前後で日本社会は全く違うものに変質した」といった評価を下すのはさすがに極端すぎるが)。さらにそれを通じ、「日本人とは~である」とか、「日本の宗教・宗教観とは・・・である」といったバイアスに修正を迫ることにもなるだろう。
 
 
なお、念のために言っておけば、先に述べたような思想が近代で広められたからといって、一般民衆の思想や行動様式がまったくそのようなもので染め上げられたと考えるのも、ありがちな極端な発想だ(講義中のコメントでもたびたび出てくるが、閉鎖空間ゆえの極端から極端に振れる現象というのは非常に興味深い。というのも、そういう性質はネットの現象を通じて、「エコーチェンバー」や「サイバーカスケード」といった形で理論化されてきているからだ)
 
 
それを指摘したのが、1939年にヒットした「九段の母」という歌謡曲に出てくる靖国神社のエピソードで、要するにそれは先の『伊勢神宮細見大全』的な習合的儀礼が、軍国主義華やかりし頃の靖国神社を舞台にしてもなお、それほど違和感なく行われた(もしくは弔いの意識の前には大きな問題ではないと認識された)ことを意味している。これは要するにオフィシャルな理解=民衆一般の理解とは必ずしも言えないことを指しているが、あるいは大日本帝国が提示した公式見解と民衆意識の乖離は、(神道非宗教という設定も含め)その宗教儀礼の形式化に寄与し、「儀礼は遂行すれど信仰も帰属もせず」といったよく言われる今日的な状況の創出に一役買っているのかもしれない(なお、信仰もしないし帰属意識もないのになぜ儀礼だけ行うのか?といった点については、日本人の宗教についての記述が思想史にばかり偏りがちであることとその理由について考えた「日本人の宗教的帰属意識について:なぜそれは思想史としてのみ記述されがちなのか」であったり、潜伏キリシタンとコミュニティの融和について述べた「潜伏キリシタンと『なりすまし』:あるいは宗教儀礼と帰属意識の乖離について」などを参照)。
 
 
以上。

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