デマる人の精神構造

2016-04-19 00:07:44 | 日記

 

昨日の記事では災害時の自粛とそれを要求することの無意味さを述べた。そのコメント欄で(私と同じく熊本出身の)友人に対する返信として「直接関係するデマは別問題」という趣旨の書き込みをしたので、ついでに熊本地震のデマに関して言及したラジオ番組も掲載しておくことにする(なお、東日本大震災のデマについても私は2012年に記事を書いている)。なお、今回は「ライオンが檻から出てきた」とか「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマが取り沙汰されているが、全くおもしろくも何ともない上に、たとえば前者は情報が限定されている被災者にとっては不安を煽るだけだし、後者は(本人がそのつもりがあろうとなかろうと)ヘイトスピーチ的なものの一貫として内外から見られてしまい、全く誰の・何の得にもならないとだけ書いておけば十分であろう(自分の周りは楽しんでいると言う人間がいるかもしれんが、だったら内輪だけの公開にすればいいことだ)。

 

さて、なぜこの番組(宮台真司のコメント)を載せたのかというと、ここで述べられている「デマの根源にあるのは攻撃性と溜飲を下げるということ」という話が、災害時の番組自粛を要求したり、自分に全く関わりのない有名人の不倫に憤ったり、という諸々の行為にも共通するものであると思うからだ(近いうちに書くが、これはおそらく生活保護の不正受給に対する偏った批判にも関連していると思われる)。なお、宮台の話は「夜と霧」に出てくるラムドールの事例アイヒマン問題日本の戦時下の体制にもつながる精神性へと言及しており、示唆に富んだものとなっている(ちなみに、南方に送られた兵士が「死んだ」のではなく「殺された」に等しいことについては、門田降将『太平洋戦争 最後の証言』などを参照されたい。またこの著作などに絡めて、いずれ彼らの決死の戦いぶりを評価することと先の戦争で日本を肯定的に評価することがイコールではない、という記事も書きたいと考えている)。

 

まあもっとも、荒川強啓に「デマを流す人間をどうやって見極めるのか?」と聞かれて「小さい頃から見分ける訓練をする」「そういう人間は浅ましくさもしい感じがする(からわかる)」と答えたのには、そこは特効薬にはならないにしてもメディアリテラシーの話をしろよと(彼がvirtueを重要視していることを知っていてもなお)失笑するしかないが。

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