なぜ「犯罪が増えている」と感じるのか?

2015-02-14 12:36:06 | 生活

「犯罪が増加している」などという認識は思い込みにすぎず、むしろ犯罪件数は減り続けている。しかしそれにもかかわらず、犯罪が増えているように感じたりする人がいるのはなぜだろうか?また「犯罪の質が変化している」と言われたりもするが、本当にそうなのだろうか?

 

前者に関しては言えば、犯罪が減っているがゆえに、マスコミなどで報道される事件がより印象づけられるようになった結果、犯罪が多くなっているという印象に結びついているということはないだろうか(もちろん、そこにはSNSの普及といった社会環境の変化も影響しているだろう。あるいは、スクハラやパワハラといった以前は「そういうものだ」として泣き寝入りされてきたものが犯罪として認知された・取り扱われるようになった結果、「犯罪が増えた」ケースもある)。

 

また後者に関して言えば、なるほど確かに前述のような社会環境の変化によって以前とは違った質の犯罪が目立つようになってきているケースはあるかもしれない(顔見知りの共同体社会が崩壊していく中で生じる犯罪とそれに戦慄する人たちの姿は、韓国映画の「殺人の追憶」などでも描かれている)。しかし思うに重要な要素は、社会経済が発展した結果、貧困による(止むに止まれぬ)犯罪が減り動機不透明な犯罪が目立つようになったことが大きいのではないか。『戦前の少年犯罪』という本を読めば一目瞭然だが、たとえば6歳の少年が餅の取り合いで4歳の少年を猟銃で撃ち殺したり大金持ちの青年が手前勝手な美学を振りかざして何人も人を殺したりというような、動機不可解な犯罪や凶悪犯罪そのものは戦前でも実に数多く存在している(というか、これを読むと戦前を知っている人たちは昔のことをきれいさっぱり忘れでもしているのであろうか、と首を傾げざるをえない)。だとすれば、今日になってそれらの犯罪が増えたとも言えないし、単純に犯罪の質が変化したとも言えないはずだ(もちろん社会変容による犯罪のあり方の変化が皆無だと言うつもりはないが)。しかしそれにもかかわらず、冒頭もような認識や言説がまかり通りのは、今日では、前段で述べた犯罪の現象(=免疫低下?)と「こんなに社会は豊かなのになぜこんな(にも)犯罪が起きるのだろうか」という心理が働くがゆえに、よりそこに(体感)不安を感じるようになってきているのではないだろうか(ここまで書けば賢明な読者はお気づきのことと思うが、つまりこれから日本が経済的に衰退していけば、以前のような状態に先祖返りしていく可能性は十分あるということだ。いやそもそも、今日では「社会経済が発展」という言葉自体にもはやリアリティを感じなくなっている人も増えてきているだろうと思われる)。

 

流れをまとめると次のようになる。

1.
罪が減った結果一件一件の犯罪が目立つようになったのに加え、社会が豊かになったため貧困による止むに止まれぬ犯罪が減り、同期不透明な犯罪がより目立つことになった。

2.
昔と違いメディアの発達で情報が伝わりやすい(犯罪が広く可視化・認知されやすい)。

3.
昔から凶悪犯罪や動機不透明は存在していたことが、忘却されている。

4.
犯罪件数は減少している。しかし犯罪が増加したり犯罪の質が変化していると感じている人が少なからずおり、体感不安を増大させている人も増えている。

5.
今日の誤った認識が定着。

 

もちろん、「だから犯罪を放っておいてよい」という話には当然ならないが、現状を正しく認識しなければ不毛な議論しか生まれないだろう(たとえば「日本的な要素が少なくなってきたから犯罪が増えてきた」などという噴飯ものの言説が数年前には当然のように語られていたが、全く無意味である。それは、援助交際を非難している「保守的」連中が、昔は夜這いの習慣があったのだからそれこそ日本の伝統としては肯定して良いのではないか?と宮台真司に皮肉を込めて言われ口をつぐんだのにも似た不見識である。なるほど違和感を持つことは誰でもあることだが、そこで検証を経ずに条件反射的に言説を垂れ流すとロクなことがないのだ)。特に、そのような誤った認識・体感不安が厳罰化に影響するといったダイレクトな社会への影響もある以上、今一度検証する必要がある部分だと思われる(厳罰化に関して言うと、たとえば私は女子高生コンクリート詰め殺人事件などは犯人に生きている資格はないと考える。反省するとかしないとかではなく、そういう人間が生きていること自体が不快であると内面としては思う。しかし同時に、死刑の是非については犯罪の減少に有効・無効を焦点にしなければ、いつまで経っても議論は平行線であるとも考えている。アムネスティが発表したように死刑によって殺人や凶悪犯罪が減らないのなら、特に当事者でない人間が「死刑を存続させたい・この人間を死刑にしたい」と言う場合、詰まるところ自分の気に入らない人間を抹殺するという欲望を社会的レベルで貫徹したいだけだ、ということを死刑存続論者は考えたことがあるのだろうか。また一方で死刑廃止論者もそれが人権擁護というただの「優しさ」の問題と区別がつかないレベルの議論をしている限り、その発言は狭い範囲の説得力しか持たないと認識しているのか疑問である)。

 

このことに絡めて、次回は社会的マナーの話を取り扱うこととしたい。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ローリスクローリターン | トップ | STAND BY ME ドラえもん:今... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2015-02-19 00:51:11
実は俺も「犯罪は増えている」と勝手に思っていたクチだが、実は減ってた訳ね(^_^;)
返信する
Unknown (N作)
2015-02-21 00:10:18
そうだね。
返信する

コメントを投稿

生活」カテゴリの最新記事