一応甘く見積もって一日一件更新したとすると、今年中にはミレニアム達成ということになるわけだが、一説によればブログなどの件数があまりの量に到るとダガーナイフ持ってトラックで突っ込みたくなるとかいう話なので、来年度はもっと自嘲しようかと考えている次第。
いや、でもいっそ行けるとこまで逝ってしまうのもアリだな。考えてみれば、アポロンは中途半端にひほうを集めたから身体が崩れてしまったのではなかったか。どうせ終わるならせいぜい派手に終わるのがよいのだ…
なんてノリでブログの方はやっております。まあせめて今年中は死なないように頑張りますわ。すわすわ。
というのが最近PCで見るようになったmixiに書いた日記。前回の「貯蔵用」と合わせてみると危険度が加速度的に増しますな。ひひひ、ひ。
とまあイカレポンチついでに最近よく話題にしている「沙耶の唄」の話をすると、郁紀と耕司の等価性(偶然見ている人がいるかもしれんのでボカした言い方をしておく)という見方には、俺の一般社会に対する信頼度の低さ、もっと強烈な表現を使えばルサンチマンが影響しているのではないかと考える人もいるかもしれない(「宗教と思索」、「世界への敵意と滅びの希求」など)。まあ俺が沙耶の唄のプレイを通じて言っているのは、当たり前だと思っていることが実は何の根拠もない思い込み過ぎない、てだけのことだから、そういう感情が全てだと言われれば反論せざるをえないが、まあ無関係ではないだろう。
ついでにもう一つ言っておくと、俺は郁紀の立場や視点を全肯定しているわけでは無論ない(優劣ではなく等価だ、とでも言えばいいか)。例えば極端な話だが、快楽のために麻薬中毒になった者が肉塊に殺される幻想を見たからと言って何人も人を殺していったとして、それを止むを得ない行為として肯定することは決してないだろう。ちなみにこうして極端な思考をした時に、郁紀が知覚障害を起こすにいたった経緯(設定)の意味付けがよりよく理解できる。というのも、彼は事故という不可抗力によって死の淵をさまよい、それを救済するための唯一の手段として最新鋭の手術を施され、その結果として人が肉塊に見えるようになってしまったのだ。つまり、あのような状態になったことについて郁紀の責任を追及することはおよそ不可能である(ここが先の麻薬中毒者と明らかに違う部分だ)。まあこれを追及すると偶然性の問題として君が望む永遠やらひぐらし(ともにネタバレ)にも繋がるわけだ(もっと抽象的な言い方をすると環境要因と自由意思)。とはいえ、生きながらえた郁紀は誰かに相談することもできたのではないか?その答えは彼自身が序盤で言っている。「そんなことをしたらモルモットにされるだけだ」と。そしてここにおいて、彼が医学生であるという設定が生きてくるわけである。
まあそんなわけで、ちょっと待てコラと言いたくなる要素が慎重に排除されていることに注目する必要があるだろう。耕司たちに対する嫌悪感も、郁紀自身は接触を避けようとしていることは強調しておいていい。そう、彼らが勝手に近寄ってくるのだ(まあ郁紀の境遇などを考えればそれは全く自然な配慮であるとは思うが)。え、だったらせめて人里離れて生きればよかったじゃねーかって?そしたら隣人もとばっちりを受けずに済んだのに…なるほど。まあわからんではないが、いきなり突飛な行動をすると周りが訝しむし、何より彼には沙耶の父を捜すという仕事がある。そんなわけですぐに住居を変えることもしなかったわけである。
などと考えていくと、短い話ながら設定や行動原理がしっかりしており、またそれゆえに物語がスムーズに進行していることが理解されるのである。
いや、でもいっそ行けるとこまで逝ってしまうのもアリだな。考えてみれば、アポロンは中途半端にひほうを集めたから身体が崩れてしまったのではなかったか。どうせ終わるならせいぜい派手に終わるのがよいのだ…
なんてノリでブログの方はやっております。まあせめて今年中は死なないように頑張りますわ。すわすわ。
というのが最近PCで見るようになったmixiに書いた日記。前回の「貯蔵用」と合わせてみると危険度が加速度的に増しますな。ひひひ、ひ。
とまあイカレポンチついでに最近よく話題にしている「沙耶の唄」の話をすると、郁紀と耕司の等価性(偶然見ている人がいるかもしれんのでボカした言い方をしておく)という見方には、俺の一般社会に対する信頼度の低さ、もっと強烈な表現を使えばルサンチマンが影響しているのではないかと考える人もいるかもしれない(「宗教と思索」、「世界への敵意と滅びの希求」など)。まあ俺が沙耶の唄のプレイを通じて言っているのは、当たり前だと思っていることが実は何の根拠もない思い込み過ぎない、てだけのことだから、そういう感情が全てだと言われれば反論せざるをえないが、まあ無関係ではないだろう。
ついでにもう一つ言っておくと、俺は郁紀の立場や視点を全肯定しているわけでは無論ない(優劣ではなく等価だ、とでも言えばいいか)。例えば極端な話だが、快楽のために麻薬中毒になった者が肉塊に殺される幻想を見たからと言って何人も人を殺していったとして、それを止むを得ない行為として肯定することは決してないだろう。ちなみにこうして極端な思考をした時に、郁紀が知覚障害を起こすにいたった経緯(設定)の意味付けがよりよく理解できる。というのも、彼は事故という不可抗力によって死の淵をさまよい、それを救済するための唯一の手段として最新鋭の手術を施され、その結果として人が肉塊に見えるようになってしまったのだ。つまり、あのような状態になったことについて郁紀の責任を追及することはおよそ不可能である(ここが先の麻薬中毒者と明らかに違う部分だ)。まあこれを追及すると偶然性の問題として君が望む永遠やらひぐらし(ともにネタバレ)にも繋がるわけだ(もっと抽象的な言い方をすると環境要因と自由意思)。とはいえ、生きながらえた郁紀は誰かに相談することもできたのではないか?その答えは彼自身が序盤で言っている。「そんなことをしたらモルモットにされるだけだ」と。そしてここにおいて、彼が医学生であるという設定が生きてくるわけである。
まあそんなわけで、ちょっと待てコラと言いたくなる要素が慎重に排除されていることに注目する必要があるだろう。耕司たちに対する嫌悪感も、郁紀自身は接触を避けようとしていることは強調しておいていい。そう、彼らが勝手に近寄ってくるのだ(まあ郁紀の境遇などを考えればそれは全く自然な配慮であるとは思うが)。え、だったらせめて人里離れて生きればよかったじゃねーかって?そしたら隣人もとばっちりを受けずに済んだのに…なるほど。まあわからんではないが、いきなり突飛な行動をすると周りが訝しむし、何より彼には沙耶の父を捜すという仕事がある。そんなわけですぐに住居を変えることもしなかったわけである。
などと考えていくと、短い話ながら設定や行動原理がしっかりしており、またそれゆえに物語がスムーズに進行していることが理解されるのである。
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