典子女王殿下と千家國麿さんの目出度きお話しのついでに
「千家」家(現宮司で84代目)の祖先は、須佐之男命と天照大御神の宇気比(うけひ・潔白を現すこと)により、天照大御神の御子としてお生まれになった天穂日命(あめのほひのみこと)であります。(なんと、杉森神社の御祭神の1柱でもありますよ)。
日本書紀では、国譲りを終えた大己貴神(おおなむちのかみ・大国主神の別名)に対し、高皇産霊尊が「汝(いまし)が祭祀を主(つかさど)らむ者は天穂日命是なり」と仰っています。
それからずっと出雲大社(昔は、杵築大社といいました)の祭祀主であります。さらに律令またはそれ以前からとも言われますが、国造(くにのみやつこ・出雲では「こくそう」)として祭政を司られてきました。他国では国造制度はなくなりますが、出雲だけはこの国造が続いており、朝廷より重きを置かれてきました。
また、国造は単に祭祀を執り行う宮司としてではなく、神(天穂日命)の依ります「御杖代(みつえしろ)」として今でも宮司は日々潔斎をして「お火所」において聖火で調理された食事を神さまに供え、自らも食されています。
特に代替わりのときは、火継神事というものが行われます。江戸時代までは、神魂神社に行き「神火神水」を継承するため、神火神水で調理した神饌を神々に供え、ともに食事をし、神々の霊威をいただき、天穂日命の御霊を継承し、はじめて出雲国造となります。
天皇陛下が御即位のときに大嘗祭を行われるのと同じように国造になられるための重要な神事です。
そして国造になられると一年の潔斎のあと宮中において陛下の大御代を祝う「(出雲の国の造の)神賀詞(かむよごと)」を奏上されます。
「斎(いわ)ひの返事(かへりごと)の神賀(かむほぎ)の吉詞(よごと)」と言い、国造が、国の神々を祭り、その神々から天皇の災禍がないように守る旨の御返事の言葉があるのでここに申し上げますというような内容です。
このように皇室と古代より今日まで継続的に深い関係をもたれているのが出雲国造家であります。
和やかな雰囲気になりました。