blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

終わった〜

2016-10-28 19:47:49 | 日記
今週の勤務も無事終わった。
10月になったからといって特にやるべきことも変わらないし、月初めのバタバタが過ぎてどちらかといえば落ち着いて流れていった週だと思う。

当地に来てから1年を経過したが、やるべきことも周囲の環境も変わらないので、当面は心身ともに急を要する事態は考えにくい。
引き続き、日々健康で、とりあえずは休まないことを第一に考えていきたい。
最近は暑い日と寒い日が交互にやってくる感じで、着るものや布団などにも気を使う。
周りを見渡すと、やはりマスクをしていたりゴホゴホとせきをしていたりと様々だ。

職場の中では「お客さん」であった時期はとっくに過ぎているわけで、少なくともくだらないことで指摘を受けたり文句を言われたりすることは避けなくてはならない。
ベテラン揃いの中で、本当に必要なのかと思うようなこだわりを自らに課している人もいるが、個人的には全ての面で、求められる最低限以上のものを出せていければそれでよい。
製品を固定するとか整理するとか、場面場面いろいろ考えればキリはない。
特に明文化されたルーティンがあるわけでもないから、自分なりのやり方で文句が出ない程度にやればよい。
強すぎるこだわりのために他人の3倍時間がかかっていてはもはや仕事とは呼べなくなる。

私は他人を評価するような立場には今後たぶんならないと思うのでお気楽なことを書くが、「できないひと」のほうが「やらないひと」よりは好きだ。
要領が悪くても、多少作業のスピードが遅くても、目の前に現れたことに対してまず体が動いていくタイプの人はある意味頼りになる。
対して、人手が必要な場面でも何となく他人より出遅れ気味に現れ、手が動くのかと思えばどこかで仕入れたばかりの知ったかぶりのような話ばかりをして、申し訳程度には手を動かしてその場をやり過ごせればOKというタイプもいる。
えてしてそういう人ほど本来はやれる力はある。
しかし、妙なプライドや小賢しさがジャマをして、他人頼みの動きになってしまう。

「当たり前」の反対語が「ありがとう」であるとは最近知った。
ありがとうを漢字で書けば「有難う」となり、有ることが難しい=当たり前ではない、ということだそうだ。
周囲を見ていて、積極的に動ける人は、自分でも動いてかつ他人にも感謝ができる。
他人にタダ乗りしがちな人は、もはやその状態が当たり前になっているから他人に対する感謝の気持ちなど起こるはずがないのである。
仕事の上では他人への感謝の気持ちとしての「ありがとう」は大切にしたいし、そう言われるようにもなっていきたいものだ。
この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« お試しルート | トップ | 10月を振り返って »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事