
相撲神社の神域を示す鳥居。
大相撲九州場所が始まっている。
今年は、相撲の世界ではいろいろ有り過ぎた。
土俵の外での出来事も多かった。国技としての「相撲」は、「関取」は、どこへ行ってしまったのか。
その昔の関取たちは、この事態をどのように思っているのだろう。
相撲のルーツを訪ねてみた。


ここは、奈良県桜井市穴師。山之辺の道を三輪神社から北に2.5km。
国道169号線の相撲神社口バス停から東に1kmのところだ。
相撲の発祥地として知られる、「相撲神社」に向かった。
その前に、相撲神社の奥にある「大兵主神社(だいひょうずじんじゃ)」に向かう。

大兵主神社の社。後ろに屋根が3つ見える。3つの神が祀られているうちの一つ「大兵主神神」は、武勇の神、つまり相撲の租神なのです。
この神社には若御魂神社、兵主神社、大兵主神神の3つの神殿がある。
若御魂神社は、稲田姫命を祀り神体は匂玉と鈴で『芸能の神』。
兵主神社は、皇女倭姫命が創建、天孫降臨の際の三体の鏡の一体を御神体とし、『生産と平和の神、また知恵の神』。
大兵主神神は、弓月嶽(ゆづきがたけ)現在の「巻向山」の上社に祀られていたが下社であったこの大兵主神社に下りられ、ご神体は剣(ホコ)で、『武勇の神、つまり相撲の租神』が祀られているのです。

神主さんが、境内の掃除をされていた。
「今から2000年前の創建で、延喜の制で名神大社に列せられ、元禄5年には正一位を賜った最高の社格をもつ、大和一の古社なんですよ。その昔は、葛城市からこの地まで神域だったのですよ。」と、言われていた。

拝殿の軒下に貼ってあった由緒書。
この大兵主神社の一の鳥居の近くに(先ほど通ってきた道の横に)、日本の国技である相撲の発祥の地として伝えられている「相撲神社」がある。
大兵主神社神域内の「小字カタヤケシ」と呼ばれる場所で、参道脇の広場が境内である。

野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)の解説も・・・。

境内には鳥居があって、その向こうには、桜の木と檜の木が植えられているだけで、何もない。
祠が、鳥居の左側にあったらしいが、樹木と草に覆われて見ることができなかった。野見宿禰(のみのすくね)を祀る社であったのだ。
中央の土が見えるところに檜の木が四隅に4本植えられており、これが土俵の元祖なのだろうか。

檜の木が四隅に・・・これが土俵(?)だったのかなぁ。
通りかかった年配のご婦人に、昔の様子を聞いた。
「昭和37年10月には、時津風理事長をはじめ、大鵬、柏戸の横綱と、幕内力士全員がこの地を訪れ、土俵入りを行ったのですよ。当時は報道陣や見物客でこの参道が通れないほど一杯だったのですよ。私は、子供を抱えていたので、近くまで行けなかったのですが・・・。昔は、もっと綺麗な状態だったのですが・・・・」と、申し訳無さそうに話されていた。

この地域が「カタヤケシ」であったという説明看板が・・・。
入り口の案内看板には、次のような説明が・・・・。
『第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)7年、(BC23年)7月7日に、大兵主神社神域内の小字カタヤケシと呼ばれるこの地で野見宿禰(のみのすくね)と、当麻蹴速(たいまのけはや)による日本最初の天覧相撲が催されました。爾来、相撲が国技として今日に至っているのです。・・・・』
結果は、野見宿禰が当麻蹴速の腰を踏みくじいて勝ちました。相撲というよりK-1の格闘です。まさしくその現場なのです。
土俵とおぼしき真ん中に立ち、当時の天覧試合の様子を想像してしまいました。
当麻蹶速は、今の奈良県葛城市(旧當麻町 たいまちょう)に住んでいた力持ち。當麻邑(村)を代表した相撲選手。というか葛城の地域を代表する実力者だったのでしょう。
天皇の側近が「當麻邑に、当麻蹶速というものがいて、自分の力に並ぶ者はいないだろう。力比べをしてみたいものだ、といっている。」と、天皇に伝えたところ「これに勝つ者はおるだろうか」と言われた。
そこで、側近が、「出雲国に野見宿禰という勇士がいると聞いています。この人と取り組ませてみたらいいかと思います。」という。
2人は、向かい合って立ち、そして互いに足をあげて蹴りあった。
野見は、当麻のあばら骨を踏み砕き、腰を踏みくじいて殺してしまった。 そこで、負けた当麻蹶速の土地を没収し、全て野見宿禰に与えたのです。
勝った野見宿禰はこの地に屋敷を建て、大和朝廷国土開発に貢献することになるのです。

相撲神社境内にあった万葉歌碑。「巻向の桧原もいまだ雲居ねば小松が末ゆ沫雪流る」という柿本人麻呂の歌です。
この野見宿禰は、埴輪の創始者としても知られている。
一方、命を落とした当麻蹶速を偲んで、当麻の地に蹶速塚や葛城市相撲館(けはや座)が建てられている。
両者のゆかりの地については、後日訪ねたいと思っている。

相撲神社の境内を出た道からの眺めは大和平野を見下し、景行天皇陵も望むことができて、すばらしい景観だ。
日本相撲協会の方々や関取など、一度、この地を訪れて、初心に還って貰えれば・・・と思うのですが・・・・。
でも、相撲は殺し合いではないので・・・・。

相撲神社から少し降りてきたところには、大和王朝の「巻向遺跡」の想像図が・・。手前のこんもりしたところが景行天皇陵だ。奥に見えるのが生駒山。
場所をYahooの地図で探しましたが出てきません。gooの地図ではありました。
土俵の元祖も、珍しいのを見せていただきました。(^^♪
奈良県は、毎日回っても365日見られそうですね。
相撲神社とは、此処が大相撲のル-ツなんですネ、面白く拝見させて貰いました。 のび太は、TV等で相撲をあまり見ませんが、青森は相撲が盛んな土地柄です。 「星取り相撲」と云うのがあり、相撲番組に点数を入れ15日間をト-タルし、海外旅行や電化製品等の豪華商品をゲットする方法・・・これは賭博罪に当たるため、問題化したことがありますが、今も残ってるようです。
日本の歴史、面白く読ませてもらっております。奈良・大和はその辺に史跡、歴史が転がって折るんですネ。初めてのことばかりです。
相撲神社は最初、相模と読んでしまい、あれっと思いました。新横綱の奉納土俵入りは明治神宮ですが本来はそちらでやるものなんでしょうか?