スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

加賀百万石の街を訪ねて 最終回

2008-10-30 07:56:41 | 出来事

兼六園近くのホテルに泊まる。九谷焼の器に盛られた夕食料理は見栄えも良く味も良く・・・満足・満足!
朝には雨も上がり、やっと最終日に晴れ間が見えるようになりました。
フロントで金沢での隠れ名所を尋ねると・・・・「妙立寺(みょうりゅうじ 別名・人、呼んで・・・忍者寺)」に是非行かれれば・・・とのこと。


▲妙立寺(みょうりゅうじ。人、呼んで・・・忍者寺)です。でも、中に入ると面白い・・・。

お寺の拝観に予約が必要とのこと。9時の予約が取れた。拝観の心得をレクチャーされた後、10名ほどのグループに分けられ堂内を案内される。
このお寺は、加賀藩主前田家の祈願寺で、創設は天正13年、現在の建物は寛永20年(1643)に移築された際建立されたものらしい。施主は三代藩主前田利常だ。

外から見るとごく普通の二階建ての建物にも見えるのだが実際は四階建て、七層という建物で部屋数が23、階段数が29という、ややこしい構造で、迷い込むと出てこれなくなるという説明も頷ける。忍者屋敷顔負けの複雑な内部構成とからくり仕掛けがウリの寺なのだ。

これは当時、幕府の命令により三階建て以上の建築が御法度ということだったための工夫の策とか。


▲奥の建物は、2階建てに見えるが本当は4階建て・・・部屋は23、階段がやたらと多く・・・迷路に・・・。

落とし穴になっている床埋め込みの賽銭箱と板張り廊下、敵の侵入が分かる明り取り階段、切腹のため一度入ると出られない切腹部屋、敵から逃げ延びるための隠し扉・隠し通路、各部屋から縄梯子で通じる井戸には横穴を通って金沢城への抜け道が設けられているという。でも、川底を通ることになり噂にすぎないとの説明であった。


▲妙立寺の案内パンフより。

なかなか面白い構造で、楽しみながら造ったようにも思える。
殿様が狭い通路を伝って、30cmの隙間から日蓮大菩薩をそっと覗く姿が滑稽に見えてくるのも愛嬌だ。


次に訪ねたのは、妙立寺の隣のお土産物店で聞いた金沢の伝統工芸である「金沢箔」の製造工程である箔打ちを見るために金箔専門店の「今井金箔」へ。

店内ではちょうど、小学生が箔押し体験中だった。真剣に小石に金箔を貼り付けていた。体験したかったのだが・・・時間の都合でパス。


▲このパンフにある金箔貼り付けを体験したかったのだが・・・ 

更に、土産物店で紹介して貰った九谷焼窯元「九谷光仙窯」へ。
緑色、赤色など九谷焼の5原色に魅せられた。
海外の観光客団体が窯元を訪ね、器を買い求めている。でも、小物ばかりで・・・ここでも円高の影響かナ?


▲作業工程が見学できます。

▲工程別の焼き上げが展示されています。

▲九谷焼の5原色です。また、色付けの体験も出来ます。


次は、パンフで見かけた「近江町市場」だ。
カミさんの嗅覚が冴えたのか・・・ナビに従って・・・市場へ。
この市場、かなり広い。
タテヨコに通路があって、交差するところは買い物客で一杯だ。


▲近江町市場です。活気があります。良い匂いが・・・・。


問屋と小売が混在しているのだろうか、地方への発送荷札をつけた発砲スチロール箱がうず高く積まれている。
当たり前だが、カニや魚の匂いが充満している。
大きな鍋で茹でカニの味噌汁の匂いに誘われて、タバラガニのミニ丼とカニ汁を食べた。カニのダシが美味い!



干物・乾物・野菜などなど・・・しっかりと買い物をしました。
車にはクーラーBOXも積んできましたから・・・・ついつい買い込んでしまいます。

お土産品と共にみやげ話を一杯詰め込んで帰途に・・・2泊3日のドライブも、ジ・エンドとなりました。
これで天候さえ良ければ・・・と思うのですが・・・・又の機会に再チャレンジ致します。

                                            <了>
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信州路から加賀百万石へ ③

2008-10-29 09:23:23 | 出来事

1日目は、長野駅前のホテルに宿泊。
運転の疲れがあるものの、住職との話を思い出し興奮してなかなか寝付けず。
翌朝の窓の外には陽射しも差し込んできて・・・爽やかです。
朝食も済ませ安心したのもつかの間、善光寺にお参りする途中から雨がパラついてきた。


▲「三門」です。お参りした後、空が明るくなってきたが・・・まだ小雨がパラついていた。

早朝のためか雨天のためか、お参りされる人も少ない。
大本願駐車場に停めて、仁王門をくぐり三門を経て本堂へ。

「牛にひかれて善光寺参り」とか「遠くても一度は詣れ善光寺」といわれ、古くから宗派を問わず多くの参拝者で賑わい香煙の絶えない信州の名刹なのですが、今朝の境内はひっそりと静まり返っています。


▲「本堂」前には、大香炉がドン!と置かれています。

西国・坂東・秩父の各観音霊場札所の観音像が安置されていて、これら霊場の番外札所になっており、満願された場合の御礼参詣する習わしになっているのです。



本堂は国宝で江戸中期の仏殿建築の代表作。広大な敷地には重要文化財の山門、仁王門、経蔵、鐘楼、忠霊殿、大勧進などが並んでいます。雨で煙っているため各お堂が更に遠くにあるように感じます。
秘仏のご本尊は七年に一度御開帳が行われるため、今は幕の中。
平成21年4月5日~5月31日にご開帳されるのです。


▲本堂の回廊から見渡すと・・・紅葉が始まった境内が・・・。

▲内陣券を買って・・・いよいよ「お戒檀めぐり」へ・・・・。

内陣券を購入し、本堂の床下の真っ暗な回廊を一巡しながら本尊の真下の鍵に触れる「お戒檀めぐり」を体験した。
カミさん共々、無事に鍵に触れることが出来た。これで、極楽往生が約束されたのです。



ご朱印帳への記帳を済ませ、始まったばかりの境内の紅葉を横目に、隣接する「東山魁夷館」へ。




常設展として11月25日までは、「森はささやく」をテーマに<白馬の森>などが展示されていた。
いつ見ても心落ち着く作品だ。大和を題材にした作品の前で佇むことしばし・・・・。


上信越自動車道の須坂長野東ICに乗り込む時には、小雨であったが、新潟県上越JCTを過ぎる頃は、大雨だ。
前を走る車のシブキで前方が見えない。
雨で煙っているため空も海も同じグレー色だ。日本海側を走る北陸自動車道はトンネルが多いため、ついに日本海の海の色を見ることは出来なかった。

午後2時30分となり、4時間あまりのドライブで金沢市内へ・・・。
雲ってはいるが雨が止んでいる間にと「兼六園」に向った。



日本三名園の一つ、兼六園。江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきたのです。加賀百万石を象徴する歴史的文化遺産です。



土地の広さを最大に活かして、庭のなかに大きな池を穿ち、築山(つきやま)を築き、御亭(おちん)や茶屋を点在させ、それらに立ち寄りながら全体を遊覧できる庭園なのです。
おのぼりさん気分で「徽軫灯籠(ことじとうろう)」前と見事な枝ぶりの唐崎松の前で記念撮影してきました。


▲霞ヶ池の紅葉も始まっています。

霞ヶ池に浮かぶ木々の紅葉も始まっています。根上松を雪から守るための雪吊りの長い支柱が横たわり、準備が始まっています。

赤松の木肌が濡れて一段と赤みが目立っています。
曇天のため、しっとりした落ち着きのある景色ですが、光が吸い取られ暗く写ります。景色写真を諦めて・・・カミさんと記念写真を取り合いっこしたのです。


▲左:成巽閣(せいそんかく)の入り口です。右:その庭園です。

兼六園の一角にある成巽閣(せいそんかく)に入りました。
成巽閣は江戸時代末期、文久3年(1863)に前田家13代齋泰が母堂にあたる12代奥方、隆子君(剃髪して眞龍院)のために造営した奥方御殿です。




▲庭園は見事です。もう少しで紅葉の見頃を迎えます。

一階は書院造で二階は数奇屋造になっており、江戸時代末期の大名屋敷の代表的建築として、国の重要文化財に指定されています。
一階の部屋から見える庭園は、流水を取り入れた見事な眺めで、しばらく縁側に腰掛けて眺めてしまいました。

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信州路・・・仏像を訪ねて ②

2008-10-28 18:05:45 | 出来事

清水寺(せいすいじ)ご住職の話は続きます。
清水寺の正式な寺名は、「真言宗智山派 阿弥陀山護国院」なのですが、『信濃保科の観音さん』と親しまれています。春は、ぼたんのお寺としても有名なのです。

ご住職の宮澤さんは5年前に当寺に入られたとか。先代住職から伝え聞く話を、いろいろと教えて頂くことになりました。

1.清水寺は、征夷大将軍・坂上田村麻呂が大同年間(806~810年)に建立したものと伝えられている。

2.当時は、多くの坊舎を抱え、堂塔伽藍を備えた盛大な寺だったそうだが、大正5年に全焼し、今は堂塔の跡を残すのみとなっている。

3.その翌年、地元有力者が復興を期して資金を調達し大和から仏像を買い求めたという。この大和こそが桜井市の石位寺なのです。これらの仏像を求める資金集めのため保科地区は全ての財を無くしたとか・・・。今日では観音さんだけは残った・・・と言われている。

4.大和まで迎えに出向き、長野駅までは汽車で運び・・・そこから清水寺までの10数kmは人の背に背負われて、ノボリを揚げて、長い隊列を組んで辿り着いたとか。(新しく迎える仏さまの隊列をどのような気持ちで見ていたのだろうか。そして、送り出す先の人々の心境は・・・。)

5.大正末か昭和の始め頃は、仏像達の嫁ぎ先のこの地を訪ねるために、大和からのお参りが続いていたと聞いておられる。ところが、いつしかお参りが途絶え・・・その話だけが残るだけで、両者の間は不通となってしまっているとか。不通となった原因は、清水寺側の不遜なもてなしにあったのでは・・・と言われていたが・・。(これは、住職の推測かと思われるが・・・真偽は不明。)

以上のような当時の推測の域を出ない内容から、国の重要文化財となっている仏像の維持・管理に亘る話題まで、話しが尽きなく・・・・。(ここでは明らかに出来ない多岐にわたる話まで、聞かせて貰った。)


▲清水寺の観音堂。本堂のかなり上にある。

その後、山の上に立つ観音堂まで曲がりくねった道を車で連れて行って貰った。
本当は、本堂から観音堂まで真っ直ぐ伸びる石段を一歩一歩登ればいいのだか・・・薄暗くなっていてサルやイノシシに出くわすことも・・・と言われれば・・・諦めざるを得ない。


▲観音堂の内部です。

観音堂には、防犯灯のライトに浮かび上がる木造広目天立像と木造多聞天立像の二体に守られた木造千手観音が納められていた。
139cmの千手観音。平安時代中期の作だ。
両脇には、像高150cmの広目天と多聞天。これも平安時代後期の作だ。何故、2体だけなのか?石位寺からきたときも2体だけ? 残りの2体は何処に・・・。


▲木造千手観音です。平安時代中期の作。像高139cm、頭と体は一木造りです。見事な仏像です。


▲左:広目天立像、右:多聞天立像。四天王に入る仏法守護神で、四方のうち広目天は西の方角を・・・多聞天は北を守る神とされている。でも、何故2体だけ?

この観音堂は、昭和49年10月に落慶。まだ新しく感じるのは昨年堂内塗装がされたばかりで、白壁と朱色の柱がきらびやかなのだ。
それぞれの仏像を目の前にして説明を聞かせて貰った。


▲観音堂の内部から舞台越しに外を見た景色です。杉の木立が堂を取り囲んでいます。

雨が降り始め更に暗くなった堂内の千手観音は、程よい間接照明に浮かび上がる弧を描く両眼と微笑みをたたえるかのような表情は独特な美しさだ。

この観音堂は、境内の最上段に位置し、堂を下から見上げると立派な舞台づくりとなっていて、ちょうど京都・清水寺や大和・長谷寺と同じように絵になる形でもある。

堂の屋根に覆いかぶさる杉木立の伐採や枝打ちを住職自らがされているとか・・・。堂の周囲100mの全ての枝打ちをすることで、風通しを良くし、自然を利用して谷の水の保水力を高め、消防用の貯水確保を目指していると言われていた。
既にこの時間には、外は暗くとても撮影できる状態ではない。諦めざるをえない。

次いで、本堂に置かれている阿弥陀如来立像、薬師如来坐像、聖観音菩薩立像、脇侍地蔵菩薩、十二神将などを見せて貰った。


▲阿弥陀如来立像です。


▲薬師如来坐像です。



▲左:聖観音菩薩立像、右:脇侍地蔵菩薩です。


▲十二神将です。

<十二神将以外の仏像写真は、しなのき書房・定本「信州の仏像」より転用。>

間近に見る仏像の顔、眼光、指先、衣、身体のヒネリ、木地に残る塗料や金箔の輝き、左右の手の大きさの違い、足の甲の左右の大きさの違いなどなど・・・。
何れも平安時代中期~後期の作とされ、国の重要文化財だ。

一体ずつの特徴や、手先部分・足先の欠落補修についての説明を受けた。

こちらに渡ってきた仏像の周囲に飾り物は無かったのだろうか・・・・。石位寺にあったときはどのような飾りつけだったのだろう。本当に石位寺にあったものだろうか?
謎は、深まるばかりです。他にも謎が多くて・・・ここでの詳細は省くが・・・調べることはまだまだありそうだ。

ご住職との話は、午後6時30分過ぎまで続き、本日の予定も一部変更。 いろいろと聞かせていただいた。ありがたいことだ。
                             <続く>

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信州路・・・仏像を訪ねて ①

2008-10-27 12:32:56 | 出来事

一昨日、信州・北陸のドライブから帰ってきました。
3日間だけの急ぎ足でしたが・・・・あいにくの雨・・・。
紅葉もみられず、従って綺麗な写真も撮れず・・・。
でも何とか無事に帰ってこられましたので・・・・ホッとしているところです。

では、何回かに分けて、報告致します。
ダラダラとつまらない内容と判断されれば、途中下車でも結構です。
お気軽に・・・どうぞ。



一路、長野市若穂保科の「清水寺」を目指して・・・・

22日までの秋晴れから一転、雨天。
晴れ間にはならずとも大雨でなければと・・・23日の早朝6時30分に自宅を出発。目指すは、信州へ・・・。

今回は紅葉する山並みの撮影が目的ではありません。
では何故、今の時期、長野に向うのか・・・。
既に10月16日の当ブログでも記したが、地元の菩提寺に江戸時代まであったとされ明治初期に長野市若穂保科の清水寺(セイスイジ)に渡った十数体の仏像の今日の姿を訪ねたのです。
そして、西国三十三ケ所巡り満願のお礼参りも兼ねて「善光寺」へ・・。さらに足を伸ばして金沢まで・・・。これはオマケの立ち寄りです。

清水寺(セイスイジ)には、過去においてわが地元からも、有志が訪ねているのですが、その様子は話には聞くものの、それぞれの仏像は、どのような姿をされているのか・・・。いつ頃の仏像なのか。何故、長野に渡ることになったのか・・・。
これらのことについて、長老に聞いてもハッキリしないことが多い。今ひとつ系統だって整理できていないのが実情だ。
コマ切れの記録を元に、これら仏像の歴史をさかのぼることにしたのです。
そのための第一歩として、まずは、わが目で確かめたく、訪ねることにしたのです。

平日ゆえか、名古屋までの国道25号は混雑も無くスムースに進みます。
途中、東名阪道の亀山あたりで小降りとなったが、東名高速・小牧JCでは雲の切れ目から陽射しも・・・。


▲中央自動車道「内津峠PA」。このときは雨も降っておらず周りの低い山も見えていたが・・・。

中央自動車道・内津峠PAを過ぎ、恵那山トンネル(8.5km。日本で4番目に長いトンネル)を抜けると、山の木々にそして陸橋に生えるツタの紅葉に色付きが目立ってくる。やはり朝夕の冷え込みが強いのだろう。

左側に見えるはずの駒ケ岳は雲の中、まったく見えない。
駒ケ岳SAで昼食と休憩。
周りの低い山は雨で煙っていて・・・ボンヤリと・・・。それでも山際のハゼノキやツタなどの赤く色付いた葉っぱとカエデや銀杏の黄色が緑色の中に混じって綺麗だ。

岡谷JCTからは長野自動車道へ。更埴JCTから上信越自動車道で長野へ。
松本IC辺りだろうか高速道路脇に続くリンゴ園には赤や緑のリンゴが見え初め、SAの売店にはリンゴが売られていて、信州・・・を実感。
試食用の「シナノ・スイーツ」を食べた。甘くて美味しい。5個入り1050円、3袋を買う。


▲清水寺近くのリンゴ畑には、美味しそうな赤くなったリンゴが・・・・。

長野ICで降り、一般道を走ること30分。リンゴ畑の隣に清水寺(セイスイジ)があった。
午後2時30分に到着、所用時間8時間、走行距離417kmだ。
カーナビに誘導されることが、今回ほど重宝したことがない。行く先案内と到着予定時間、距離が表示されるため、気分的に疲れることが少ないのだ。


▲清水寺(セイスイジ)は、正式には「真言宗智山派 阿弥陀山護国院」で、信濃保科の観音さんと親しまれているのです。

4時頃に到着予定と連絡していたため、かなり早めの到着。
既に、住職は待っていて下さった。

庫裡の大広間に通され、もてなしを受けながら幅広く話を伺うことに・・・・。
                                     <続く>

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しばらく、お休みです。

2008-10-22 18:02:47 | 出来事

明日から、26日までの間、休みます。

奈良・桜井から出発し、長野、新潟、富山、石川、福井をぐるりと廻ってきます。
明日は、長野・善光寺までの470キロを一気に走ります。

天気予報は雨天。最悪の天気です。でも、全て予約があって・・・。
秋晴れの中のドライブを期待していたのですが・・・・まあ、こんなこともあります。

では・・・・行ってまいります。


▲柴犬・ランくんと散歩に出かけた道端に咲いていた「シロヨメナ(?)」です。 逞しい野の花です。

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