この日は穂高の岳沢ヒュッテ2150mに宿泊。小屋には何故だか2230mと標高が書いてあるのだが、これは明らかに間違っていると思うのだが。お天気悪くて、午前中から小屋の前で酒飲んでダラダラ。そこにその日この小屋に宿泊していたおじさんが出てきて、何だか朝登ってきた客に話しかけている。それはいいのだが、この人が一昨年くらいに体験した面白話。
薬師沢小屋と雲ノ平小屋の不仲。
けっこう強い雨が降っていたときに、このオジサンは雲ノ平から薬師沢へと下山していたらしい。ところがそこへ下ってみると、黒部川が雨で2mも増水していたとかで、吊橋の渡り口に辿りつけなかったらしい。そこへいくには一旦河原に降りて少し歩くのだが、そこは胸まで増水してしまったらしい。見ると橋の対岸で、小屋のアルバイト女の子が両腕で×印だして「雲ノ平に戻ってください」と。こんな雨で小屋まで戻れるもんかと。一人の別のおじさんが、すぐ右脇を雲ノ平から流れている川を強引に腰まで浸かって横断してしまったらしい。そうしてやぶこぎして、吊り橋の渡り口まで出た。ならばと、そのおじさんも仲間と同じように、どうにか激流渡ったのだが、最後の方の別の一人が、一瞬流されそうになって、ぎりぎり仲間の腕に支えられて大丈夫だったとか。
そんなこと1時間もしていると、本流黒部の水も引いて、河原をなんとか横断できるようになったらしい。オジサンにしてみれば危ない思いしたのは、無駄骨になってしまったらしい。それでオジサンは怒って、薬師沢の小屋についてから文句をいった。
「雨で増水しそうなら、雲ノ平に電話して、登山者をこちらの向わせないような配慮はないのか。もしくはアルバイト女じゃなくて、あんた自身が橋のたもとに下りてきて、そのまま1時間待てば水が引けるとか、あるいは河原にロープはって、少しの増水でも平気なようにするとか」と。すると、小屋の親爺がいった一言ですべて解決。「薬師と雲ノ平は仲が悪いのです」。
その頃、雲ノ平と水晶と三俣を経営している山賊と友人の伊藤オヤジは、(今はそのオヤジの次世代に変わった)環境庁の小屋の地代徴収に、裁判で争っていたのです(後に敗訴)。そのために、どうも周辺の小屋からも仲間はずれにされていたとか。というのも、当時雲ノ平では、小屋のすぐ脇を流れている川の水さえ「それは国の水だから使うな」と環境庁に言われていたらしい。つまり雲ノ平で宿泊しても、トイレに水がない。手を洗う水もない。地代を支払わない制裁には、国有林を流れている川の水さえも使わせないと、これが借地権裁判の最も焦点になっていたのだとか。だからちゃんと地代払っている周辺とは仲が悪かった。環境庁も交えた縄張り争いというのは、そういうことだったらしい。
剣北方稜線の縄張り。
そのオジサンは、昨日は涸沢から北尾根56コルに上がって、前穂越えて岳沢にきたらしく、一人なのに、何だか元気なおじさんだ。今後は明神やるといっている。その人は剣の北方稜線も一昨年にいったという。事前にガイドに聞いた様子では、剣から北へ向うときに、三ノ窓からすぐ右斜めに池の平小屋が見えるのに、ふみ跡は左真横についていて、そこで誰もが迷うから注意しろということだったらしい。私その場所未経験につき、詳しいことは分からない。
その周辺は、東側は三ノ窓雪渓があり、その向こうに小窓雪渓がある。その間には小窓王という岩壁が立ちふさがっていて、その東側はスッパリと切れ落ちていて、結果的には東前方に行きたいのだが、一旦真西方向に迂回1時間半しなくてはいけないということだった。2年前にオジサンはその道を歩いたのだが、前の方に岩登り風カップルがいた。おじさんはガイドにいわれたように、そこで大きく迂回して夕方池の平小屋に着いたのだが、どうも遭難騒ぎがあって、どうやら自分の前に歩いていたカップルの女性が転落死してしまったということだった。案の定自分がガイドに教えられたところで転落した。このときもオジサンは仙人池名物おばさんにいったらしい。「誰もが間違うといわれているなら、ちいさな標識でも出しておけ」と。ところが地元は拒否。何故なら、そこに標識出してしまうと、さらに一般人がどんどん入ってきてしまう(北方稜線は、一般には進入禁止のベテランルートだといわれている)。また地元ガイドは、そこをガイドして客を呼んでいるのに、標識出すとガイドが不要だといわれてしまう。
ここでも縄張り争いがあるとオジサンはいうのだ。
さらにオジサンの三つ目の話は、この5月の連休に、槍沢ロッジで早朝だけ晴れていたのだが間もなく雲って風が強くなって、全員停滞していたのに、早朝の晴れだけで、一人のベテランが槍に向かって登り始めて、その人は殺生ヒュッテのすぐ下で死んでしまったという話。翌日は快晴で、シャツ1枚で誰もが簡単に槍まで登れたという好条件だったのに、ちょっとの間違いで無駄な死に方したということ。
だから今日のような条件の時には、登らないのも一つの選択だといっていのたでした。どうも私山に行くと変なオジサンにつかまってしまう。
薬師沢小屋と雲ノ平小屋の不仲。
けっこう強い雨が降っていたときに、このオジサンは雲ノ平から薬師沢へと下山していたらしい。ところがそこへ下ってみると、黒部川が雨で2mも増水していたとかで、吊橋の渡り口に辿りつけなかったらしい。そこへいくには一旦河原に降りて少し歩くのだが、そこは胸まで増水してしまったらしい。見ると橋の対岸で、小屋のアルバイト女の子が両腕で×印だして「雲ノ平に戻ってください」と。こんな雨で小屋まで戻れるもんかと。一人の別のおじさんが、すぐ右脇を雲ノ平から流れている川を強引に腰まで浸かって横断してしまったらしい。そうしてやぶこぎして、吊り橋の渡り口まで出た。ならばと、そのおじさんも仲間と同じように、どうにか激流渡ったのだが、最後の方の別の一人が、一瞬流されそうになって、ぎりぎり仲間の腕に支えられて大丈夫だったとか。
そんなこと1時間もしていると、本流黒部の水も引いて、河原をなんとか横断できるようになったらしい。オジサンにしてみれば危ない思いしたのは、無駄骨になってしまったらしい。それでオジサンは怒って、薬師沢の小屋についてから文句をいった。
「雨で増水しそうなら、雲ノ平に電話して、登山者をこちらの向わせないような配慮はないのか。もしくはアルバイト女じゃなくて、あんた自身が橋のたもとに下りてきて、そのまま1時間待てば水が引けるとか、あるいは河原にロープはって、少しの増水でも平気なようにするとか」と。すると、小屋の親爺がいった一言ですべて解決。「薬師と雲ノ平は仲が悪いのです」。
その頃、雲ノ平と水晶と三俣を経営している山賊と友人の伊藤オヤジは、(今はそのオヤジの次世代に変わった)環境庁の小屋の地代徴収に、裁判で争っていたのです(後に敗訴)。そのために、どうも周辺の小屋からも仲間はずれにされていたとか。というのも、当時雲ノ平では、小屋のすぐ脇を流れている川の水さえ「それは国の水だから使うな」と環境庁に言われていたらしい。つまり雲ノ平で宿泊しても、トイレに水がない。手を洗う水もない。地代を支払わない制裁には、国有林を流れている川の水さえも使わせないと、これが借地権裁判の最も焦点になっていたのだとか。だからちゃんと地代払っている周辺とは仲が悪かった。環境庁も交えた縄張り争いというのは、そういうことだったらしい。
剣北方稜線の縄張り。
そのオジサンは、昨日は涸沢から北尾根56コルに上がって、前穂越えて岳沢にきたらしく、一人なのに、何だか元気なおじさんだ。今後は明神やるといっている。その人は剣の北方稜線も一昨年にいったという。事前にガイドに聞いた様子では、剣から北へ向うときに、三ノ窓からすぐ右斜めに池の平小屋が見えるのに、ふみ跡は左真横についていて、そこで誰もが迷うから注意しろということだったらしい。私その場所未経験につき、詳しいことは分からない。
その周辺は、東側は三ノ窓雪渓があり、その向こうに小窓雪渓がある。その間には小窓王という岩壁が立ちふさがっていて、その東側はスッパリと切れ落ちていて、結果的には東前方に行きたいのだが、一旦真西方向に迂回1時間半しなくてはいけないということだった。2年前にオジサンはその道を歩いたのだが、前の方に岩登り風カップルがいた。おじさんはガイドにいわれたように、そこで大きく迂回して夕方池の平小屋に着いたのだが、どうも遭難騒ぎがあって、どうやら自分の前に歩いていたカップルの女性が転落死してしまったということだった。案の定自分がガイドに教えられたところで転落した。このときもオジサンは仙人池名物おばさんにいったらしい。「誰もが間違うといわれているなら、ちいさな標識でも出しておけ」と。ところが地元は拒否。何故なら、そこに標識出してしまうと、さらに一般人がどんどん入ってきてしまう(北方稜線は、一般には進入禁止のベテランルートだといわれている)。また地元ガイドは、そこをガイドして客を呼んでいるのに、標識出すとガイドが不要だといわれてしまう。
ここでも縄張り争いがあるとオジサンはいうのだ。
さらにオジサンの三つ目の話は、この5月の連休に、槍沢ロッジで早朝だけ晴れていたのだが間もなく雲って風が強くなって、全員停滞していたのに、早朝の晴れだけで、一人のベテランが槍に向かって登り始めて、その人は殺生ヒュッテのすぐ下で死んでしまったという話。翌日は快晴で、シャツ1枚で誰もが簡単に槍まで登れたという好条件だったのに、ちょっとの間違いで無駄な死に方したということ。
だから今日のような条件の時には、登らないのも一つの選択だといっていのたでした。どうも私山に行くと変なオジサンにつかまってしまう。