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ペナン 英国の遺産

2011-03-04 21:05:46 | マレー半島 花の旅

 先に記述しましたが、ペナンは18世紀後半にこの地を支配していたスルタンと東インド会社の条約によりイギリスへ植民地として譲渡されました。

 当時のイギリスのコロニアル建築が残されているのが、海に面したコーンウォリス要塞周辺です。

 私は循環バスを降りると、最初に目に付いたタウンホールに向かって歩き始めました。

 このタウンホールは1880年に建てられたビクトリア様式の建造物です。

 ペナン社交界のセンターとして、教会や集会場、ダンスホールなど多くの目的に使用されていたのだそうです。

 

 

 タウンホールの横には1903年に建てられたネオパラディアン様式のシティーホールがあり、現在も市議会関連の目的に使用されているそうです。

 私が訪れた時、その庭の石柱に座っていた青年の、褐色の肌が、熱帯の白亜の建造物と美しく調和していたことが印象に残りました。

 この時「本当に熱帯に来ているのだ」と強く意識したことを記憶しています。

 

                

 

 上記の二つの建造物とコタラマ公園を挟んで位置するのがコーンウォリス要塞です。

 2リンギの入場料を払って中に入りました。開場時間は19時までと表示されていました。

 この要塞は1786年にフランシス・ライトが上陸した場所に設けられました。

 東インド会社の軍事、管理拠点として活用されて、堀で囲まれた要塞の中には火薬庫や教会が備えられていたそうです。

 

                 

 

 コーンウォリス要塞から海に向けられた大砲が物語るように、この地ににも幾つもの戦があったようです。

 海岸には第一次世界大戦から1968年に端を発したマレーシア民族紛争までのモニュメント、戦争慰霊碑が建てられていました。

 

 

 余談ですが、「旅を終えての後に、ブログを書く」という作業は本当に楽しいものです。

 私はこの旅を終えた後で、旅で知り得た幾多の情報を手がかりに、ペナンの歴史や、興味深い幾多の情報を再調査することで、更に知識を広げることができました。

 今ブログを書きながら、もう一度、机上の旅を楽しませて頂いております。

 

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