ワーズワースが湖水地方で創作活動を始めたのは1800年頃のことです。
今から200年以上も前の湖水地方はどんな様子だったのでしょうか。
高速道路を使って、車で簡単に入れる場所でなかったことは明らかですが、当時としても、それほど辺鄙な場所ではなかったような気もします。
フランスから戻ったワーズワースが、湖水地方で住んだ家はパブとして使われた建物だといいますから、少なくとも客商売が成り立つような場所だったはずです。
しかし今回、私がイギリスを一巡りした経験から、イギリス人にとっての湖水地方は、私達が考える以上に、花が微笑み、鳥の歌う、美しい自然の宝庫として認識されていたに違いないと思えるのです。
日本のように、常に山に雲が掛かり 、清い水が流れ、村の社を木々が包むような、山紫水明を見慣れた目で湖水地方を判断するのは、盃でビールを味見するような行為なのかもしれません。
日本では、春になれば雨が降り、豊かな水が田を潤し、田には毎年稲が稔ります。イギリスでは畑に毎年同じ作物を育てれば連作障害を起こし、牧羊で生計を立てるには相当に広い牧草地を必要とします。
人々が稲を育てたり、羊を飼ったりする行為を数百年以上も繰り返せば、それぞれの山河はその行為に応じて、様々に影響されるのではないかと思うのです。
その現象の一つが、例えばイギリスに於けるジギタリスの繁茂だと捕えれば良い訳です。
日本で、近年注目されてきた里山も、稲作を常とする村里の生活で、人々が煮炊きなどに使う薪を、年余に亘って裏山に求めて来た結果ですから、早春の林床にカタクリが咲く、麗しい光景は、日本人が作り上げてきたものと言っても過言ではありません。
さて、今度は、ウィンダミア湖の南端から、西岸の細い道をナビを使わずに北上しました。
すると、20分も走った辺で、ウィンダミア方面を指す道路標識を目にしたので、そちらへ走りますと、以外なことに湖岸に出てしまったのです。
そして、そこにはフェリー乗り場があり、丁度今、フェリーが対岸へと岸を離れたところでした。
予期せぬ事態に「これは面白い、 良い思い出になるぞ」とばかり、この場所でフェリーの帰りを待つことにしたのです。
フェリー乗り場には、現在地を示す地図とともに料金表が掲示されていました。
乗用車は一台4.3ポンドと料金も手頃です。
思わぬ所で、思いがけない経験ができます。
きっとナビを使っていたら、ここへは来なかったでしょう。
なにしろナビは有料道路を通らない設定のままでしたから。
フェリーが対岸から帰って来て、私は馬を運ぶトレーラーに続いて、馬と一緒に船上の人となりました。
車の運転席からはフェリーの金網越しに、行き違う遊覧船の姿が見えます。
そして、10分もしないうちに対岸のウィンダミアに到着です。
貴重な体験ができました。
そうか、そうだったのか、ウィンダミアという所は、かなり以前から水路も含めて、交通の要だったのですね。
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