延岡の城山公園の駐車場に紅梅が咲いていました。
公園の案内板を確認し、城山への坂を歩いて登って行きます。
舗装された道に、赤い椿の花がこぼれていました。
城山公園は延岡城跡を整備したもので、城山に生育する3300本のヤブツバキは、どの樹も個々に異なった特徴を持つことから、自生と考えられ、島根県松江城の椿谷、千葉県大原町伊能滝の群生と共に、日本三大ヤブツバキ群として知られています。
このヤブツバキ群の中から、新しい品種が見つかる可能性もあると考えられているようです。
城山の頂きから延岡の町が一望できました。
頂上の広場の入口に、天守台跡と記載された標識があり、その側面に
「延岡城に関する古い資料によると、天守台の記載はあるが、天守閣はみられない、これは南九州の近世城郭の特色にもなっている。
と記されていました。
また「明治初年頃には鐘つき堂の前身となる鼓櫓があったが、明治10年の西南の役の際に焼失した。」
と掲示されていました。
天守台には鐘が設けられていました。
朝6時から夜8時まで、100年以上も市民に時を知らせているそうです。
このような話を知ると、時がゆっくりと流れる街の、穏やかに暮らす人々の表情が見えるような気がしました。
天守台を下って、梅園に足を運びました。
延岡のライオンズクラブによって植樹された30本弱の梅が並んでいました。
この場所は城山の北斜面なので、木に花の姿は見られませんが、園内の一番奥で若山牧水の
「なつかしき城山の鐘鳴りいでぬ をさなかりし日 聞きしごとくに」
の句碑が、柔らかな陽を浴びていました。
解説文には、
「若山牧水は、明治18年8月24日、宮崎県東郷町坪谷に生まれ、延岡中学校を卒業後、早稲田大学英文科に進みました。
延岡での8年間は、山紫水明の自然と良き師友に恵まれ、将来天下に名をなす歌人としての素養を培われました。
この歌は昭和2年7月27日、台雲寺で詠んだもので、歌碑は昭和10年に建てられました。
毎年春分の日に歌碑まつりが行なわれます。」
とありました。
私は、若山牧水が宮崎県延岡の出身とは全く認識していませんでした。
そうですか、延岡といえば若山牧水なのですね。
ほんとに、まだまだ知らないことばかりです。
延岡城跡を出て、白い柔らかな雲の下を五ヶ瀬川沿いに市内松山町の本東寺へ向かいました。
五ヶ瀬川の堤防は春めく陽射しの中で100万本の菜の花が満開でした。
本東寺は建武2年(1335)に開基された寺で、境内には宮崎の巨樹百選に選ばれた、樹高5.5m、幹周1.3m、樹齢220年の枝垂れ梅「慧日梅」が市民に親しまれています。
まだ2~3分咲きでしたが、南国の早春に咲く、ふくよかな白梅にほほ緩む思いがしました。
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