ペン・イ・パス(Pen Y)峠を過ぎて、A498を下ります。
左右の山の斜面は石壁で区切られた牧羊地が広がっています。
そんな牧羊地の中に湖が姿を現します。
日本の湖とは装いが異なり、周囲に樹木の姿がなく、ほとんどが草地で囲まれていました。
私は昔、これと似た風景を、北海道大雪山系のヒサゴ沼で見ています。
ヒサゴ沼は大雪山系化雲岳の南、標高1600mに位置しており、夏は周囲にニッコウキスゲが咲き乱れる美しい湖ですが、イギリスでは緯度が高いので、北海道の高山と類似した生態系が、このような光景をもたらすのでしょうか。
コンウィ川に掛かる美しい橋を眺め、ナビのガイドのままに車を走らせます。
そして、コンウィ川の河口に、イギリスきっての堅固な城が建つ、コンウィ(Conwy)の町に到着しました。
コンウィにはエドワードⅠ世がウエールズ制服のために1283年から4年間で建てた城があり、イギリスの城塞の中でも最も保存状態が良く、世界遺産にも登録されています。
コンウィの街は城壁が周囲を囲み、中世の雰囲気を色濃く漂わせていました。
街の東側にコンウィ川が流れ、そこに城壁が築かれています。
今朝は5時半に出発しましたから、この時が朝の8時少し前。
まだ街は朝餉の時間なのか、人の姿をほとんど見かけません。
コンウィ城の開示は9時半なので、何時ものように車の散策で、コンウィの街中をくるくると走り廻ります。
小さな街の通りに花壇を見つけたり、城壁のジギタリスなどを眺め廻りました。
それにしても、いったいどうやって石を積み上げたのでしょうか?
今回の旅では、イギリス全土をほぼ隈なく見て回りましたが、ほぼ全ての建築物が石で作られていました。
石の文化に触れての感想
1666年に起こったロンドン大火の後に、イギリスでは建築法によって建築物は全て煉瓦または石造とするとされ、木造建築は禁止されたそうです。
それ以前に作られていた城塞なども全て石造りであることを考えると、すでに木造建築を禁止できる技術的基盤が確立されていたのだと推測します。
日本では同時期に何度も江戸が大火に見舞われています。そして、日本では全ての城が木造建築です。ロンドンのように江戸の大火後に木造建築を禁止しなかったのは、石で建物を造るという発想と技術の蓄積が無かったからでしょう。
豊かな森林に恵まれ、無尽蔵に木材が得られる状況と地震の多い国であることが影響したのかもしれません。
もしかすると、1639年から始まったとされる鎖国が無ければ、ロンドン大火の情報も日本へ届き、日本の建造物に何らかの変化をもたらしていたかもしれません?
「鎖国が無ければ」などと考える事に、意味があるとは思いませんが、過去の制度や歴史の積み重ねの上に、日本人の常識が構築されていることに間違いありません。
人々は宗教などの教義なども含め、多くの事象を「当たり前」のこととして、無意識に判断を進めますが、異なる文化や異民族の思考方法などに広く目を向け、合理的かつ柔軟な思考と発想で、場合によっては旧来の方法を打破する勇気も必要なのだと、かねてから考えていました。
「未経験者や若い者は黙っていろ」とか「ダメなものはダメ」「ならぬものはならぬ」といった、既存概念や少数のリーダーに判断を委ねた発想だけでは、次の世代に未来を残すことはできないと、コンウィ城などの石の文化を見てきての感想です。
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