移日々之事物

気になったこととかに関する戯言とか

贅沢な世の中になったものだ

2005-08-31 23:52:40 | Weblog
最近の小学校のブランド化についてです。

少子高齢化が叫ばれる世の中ですから、小学校が差別化を図って生徒確保をしたがるのは当然です。入学者数=収入な私立小が必死になるのもわかります。

給食がホテルの食事になったり通学かばんがオリジナルなものになったりということです。給食がホテルの食事って言うのは、いい物食ってるなと素直に思ってしまいます。

そしてそれ相応に学費も高いわけです。具体的金額はそれこそさまざまでしょうが百万を超えるのは間違いないでしょう。

別にこういった学校を否定するつもりはありません。営業努力の一環でしょうし、それぞれの学校が学校として優れているのであれば何も言うことはありません。

ただこういったブランド志向が過熱していくと、公立小に通うこと事態がマイナス要因となってしまうときがくるのだろうかな~とか思ってしまっただけです。まぁ高い金払っていかせようと考えるのは一部の人で、大多数が現状維持だろうから気にしすぎだとも思いますが。









小さな頃からブランドを背負うことになる子供も大変だろうなと思ったり思わなかったり。

本日公示

2005-08-30 23:33:20 | Weblog
さて、今日から本格的に選挙が始まることになりますね。

今回の選挙はいろいろと注目を集める要素が多く、結果的に投票率も高くなるのではないかと思っています。

それゆえに今回の結果は民意を大きく反映した選挙となるのではないかと思います。もっともふたを開けたらワイドショー的な騒ぎなだけで、投票率にっはつながらなかったということもありえますが。

自民党が郵政を争点とし、民主が福祉関連などを争点とあげていてなかなかに比較しづらい状況なわけです。社民や共産も郵政から争点を遠ざけたいのではないかと思います。新党連中は選挙互助会のようなものと私は思ってますのであえて何も言いません。

先日争点は郵政に重点を置いて考えるべきといいました。その考えは変わっていませんが、その根拠についてもう少し言っておくとします。

それは今のこのときを逃してはならないのではないだろうかと思ったからです。もっと形ができてからタイミングを見て~とか順を追って少しずつとか言っていてはいつまでたっても変わらないのではないでしょうか。

いずれは変えなければならない、変えるべきものならば、変えようという気運が高まっているときに行われるべきだと思ったのです。この機を逃してはずるずるいってしまいそうな気がしてしょうがないからです。だから今はまず郵政を、という風に私は考えています。







何はともあれ今後の各党の動きに注目です。

争点

2005-08-29 23:01:40 | Weblog
選挙が終わるまでは選挙ネタばかりです。

今回の選挙の争点は入り乱れています。自民党は郵政を挙げ、民主党は年金と子育てというのが主なところでしょうか。極論すると郵政かそれ以外かといってもいいかと思います。

さて、本当に争点とするべきなのはどこなのか。

国会議員の選挙である以上総合的なところが求められるのは当然ですが、その中でも特にどこを重視すべきなのかというところです。

私は今回の選挙は郵政に重視していいのではないかと思います。それは今回の解散の理由が郵政だからです。しかしながらそれだけに目をやると他の点で痛い目を見る可能性が高いことも否定しません。

ただ現状どの政党も他の点での決め手にはかけていると思います。例えばイラク派遣問題を例にとると、撤退しろといっている政党もその結果浮上してくるだろうアメリカとの外交的な溝をどう解決するのかということをいっていません。

もちろん撤退しなかったとして派遣された人たちの危険などの問題はあるわけですが、ぶっちゃけそれが派遣された人たちの仕事だろうとも思います。工事現場とかも危険があったりするわけですが、それをやめろという人はいないのだから仕事である以上危険もありうるその仕事を選んだ人の自己責任という部分はあるのではないかと私は考えます。

そういった点から今回は郵政民営化を重視して私は考えています。だって税制改革とかはどうせ奇麗事と甘いことばっかり言って適当にやり過ごすだろうと思っちゃいますもん。








失礼な部分は私の政治家に対する不審の現われと思ってください。不勉強でもし間違いがあったらあしからず

あえて

2005-08-28 23:07:35 | Weblog
多分これは言っちゃいけないことなんだろうな、とは思うけどそれをぶちまけるもまた一興。

今までいろいろと政治家をコケにするようなことを言ってきましたが、私は政治家が悪いとは言いたくありません。確かに政治家として問題がある人たちもいて、そういった人たちが『悪』であるということは確信しています。

しかしながら政治家が悪いといいたくないというのは、その政治家を選んだのは国民であるからです。はっきり言うならばそんな人間を政治家に選んだ国民に見る目がないということです。

まぁ詐欺師に騙されて騙されるほうが悪い、というのと同じ理屈ですが現実においては騙される人の無用心さも良くないというのは否定しがたいことなわけですからあえて言いました。

そして国会議員を選ぶという観点においては見る目がどうとかいうことに限りません。私は現在の選挙において大衆の側は人を選ぶということに対する認識の甘さと近い未来しか見ないという傾向があると思っています。

認識の甘さというのは先に言った見る目という部分にかかってきます。今まで無難にやってきた人だから、という理由のようにその人が政治家としてどうなのかということを考えずに安易に投票するようなことです。仮に政治家が悪いことをしてもそれは政治家だけの問題ではないということを認識すべきなのです。そういったことも含めて国会議員を選ぶということは重いことなのだと認識すべきなのです。

近い未来しか見ないというのは自分の生活が悪化するようなことは極度に嫌うということです。これは当たり前のことですが、それが長い目で見ると利子をつけて返ってくることならば支持すべきだと私は思います。当面の生活が脅かされては長い目も何もない、というのもわかりますがそれでも無責任にいいことばかり言って結局何もできない、しない政治家を支持していたのではどうにもなりません。何も考えずに当面の安定を望むだけの人は時がたって生活できなくなり、その時になって自分には責任がないかのように政治家を糾弾するのではないかとすら思います。

こういったことを言う私は今回の郵政民営化でたとえるなら郵便局が減っても痛くもない人間だからだ、というような謗りを受けることでしょう。実際その通りなのでそれについては反論できません。

しかしながらこれは考えるべきことだと思います。国会議員は私たちが選んだ人間であり、彼らの行為の責任は私たちにもあるということを。病気を治すときには苦しい思いをしなければならず、その先の未来を考えるからそれを乗り越えられるのだということを。







いろいろ言ってますがなんかイタイ人間であることを公表しただけのような気がします。

人間関係について

2005-08-27 23:43:46 | Weblog
ふと思ったのが人間の関係というものについてでした。

最近政治絡みのことばっかり、というかこのブログを作っていらい政治の話題が多いんですが、政党だ派閥だという話題をみると人間の関係というものを思うことがあります。

以前の日記で私は親友たちと半年に一回ほどしか会わないと書きました。実際にはそう決めているわけではないのでその限りではないのですが、そんなめったに会わないような、身近といいがたいような連中なのに、こいつらこそが俺の親友なんだとはっきりと思えます。

ですがはたから見るとそうは見えないのだろうとも同時に思うんです。むしろ今通ってる学校でよく合う友人たちの方がより親しく見えるんじゃないだろうかと。

もともと数値で表すようなものではないし、甲乙をつけようなものでもありませんから比べる意味はありません。ですが自分にとって本当に心を許せる、居場所となってくれる人たちのほうが他人からは下に見えるのです。

全ては自分で決することとはいえ、第三者から見たその人の関係というのは理解しがたい曖昧さで満ちているんだろうなとふと思ったしだいです。









結論なんかでないネタだから、だからどうしたといわれると少し困るんですがね。

どこまで信用できるの?

2005-08-26 23:42:40 | Weblog
選挙運動が始まる中、各党のマニフェストが公開されました。

さて、このマニフェストというのはどこまで信用できるものなのか、というのが今日のお題です。

マニフェストは絶対に守るべきものです。公約として市民に訴えかけた約束事ですから、これを守らない人にはすでに政治家の資格はないと私は思います。

そんな存在がマニフェストなのですからこれを疑っていては話にならないかとも思うんですが、一つどうしても疑問に思うことがあるんですよね。

最近サラリーマン増税というのが話題になりました。控除を減らしたりしてサラリーマンの負担する税金を増やして財源にしようというものですね。

さて各党のマニフェストのこの項目を見てみましょう。細かいことはここでは述べませんが、基本的にどの党も増税しますというようなことは言っていません。

この話が世にこれだけ出回ったのだからそれを言い出した政党があるはずです。自民・公明・民主あたりですかね。これらは消費税とかも含めての増税の旗振りですから、サラリーマン増税というと語弊があるかもしれませんが。

果たしてこの矛盾は何なのだろうか。当面は甘いこと言って選挙に臨み、終わったら手のひらを返すつもりなんでしょうか。そのつもりはないとか言ったとしてもいろんな要素を考えるとそうかんぐりたくもなってしまいます。

理想論のマニフェストを出すくらいなら、痛いことを言ってでもきちんとしたマニフェストを出してほしいものです。









でもその甘い嘘に騙されたがる人が多いのが一番いけないのかもしれませんがね。

・・・・・・

2005-08-25 23:44:45 | Weblog
いやもうなんて言ったらいいのかよくわかりません。

またもや政治絡みであれなんですけど、小泉氏と森氏の和解というニュースですね。まぁ問題発言多発だった森元総理と、結果を見るというだけしかできていない小泉のコンビです。

で、何に言葉がないかというと、森氏が解散を止めようとしたとき干からびたチーズ(実は最高級チーズ)と缶ビールしか出なかったのを怒り、今度は豪華な仕出し弁当で和解したそうです。

もちろんそんなものが実際の和解に深く関わっていたとは思いません。というか思いたくありません。そんな理由で喧嘩したり仲直りしたりするような人たちが国政のトップにいるとなったら悲しすぎます。

でもさ、その豪華な仕出し弁当にしろ高級チーズにしろその金はどこから出てんだろうとか思うわけです。日の丸親方の金を使って(弁当やチーズとはいえ)高級料理を食ったのなら突っ込みたいです。仕事上のことというなら、仕事中にビール飲むなよとも突っ込んでしまうでしょう。

それにこんな風にニュースが流れてしまうこと事態、会談の内容が薄かったような気がしてしょうがないです。そんなこんなを考えるとどうにもなんて言ったらいいのかわからなくなってしまいます。








普段なに食ってるか知らんけど国会議員の昼飯もワンコイン(500円)以内にしてほしいです。

なぜかわくわくしてしまう

2005-08-24 23:56:05 | Weblog
台風が接近してますね。

何でかしらないけど台風が接近すると心が騒ぎます。子供の頃なんかは台風の激しい風雨の中をはしゃぎながら走り回った記憶なんかもあります。

それなりに年をとってくると電車が止まったり車が運転しづらかったりとあまりいいことは思い浮かばないというのに、なぜか浮かれ気分になってしまいます。

外から激しい雨が地面を叩く音なんかは聞いていて妙に気分がいいです。別に雨のリズムが~なんて詩的なことを言うつもりはないんですが不思議と心地よい音に聞こえてしょうがないです。

それはそれとして台風には備えておきましょう。浮かれ気分に乗って怪我でもしたら目も当てられませんからね。









台風に浮かれる私のようなのが一番危ないとは思うんですが。

居場所

2005-08-24 01:39:57 | Weblog
居場所って大事ですよね。

居心地のいい場所を指して居場所といったり、自身に課せられた役割を居場所って言ったり。

とにかく生きていくうえで居場所という考え方は、言葉こそ違えど誰しもがもっていると思います。心のよりどころとも言いますかね。

唐突に何が言いたいのかといいますと、人の居場所というのは本来自由であるべきなんでしょうが、他人の迷惑という概念が付きまといますよね。

ところがそういった居場所というのは、心のよりどころという言葉から出るようにその人の心にとってひどく重要なポジションです。極論すれば他人がどう思おうと踏み込ませたくない領域なわけです。

しかしながら迷惑を受けた人にとっても土足で踏みにじられたような感覚があるでしょう。領域がぶつかり合う形になってしまうわけですな。

どちらが正しいというわけでもないでしょうが、そうなってしまうのが必然です。ぶつかり合わないのが一番とはいえ、えてしてそうなってしまうものです。人というのは難しいものです。

結局はお互いの譲歩という形で心を削りながら生きていくんだなと思うと、少々悲しい気分になってしまいます。









当たり前にやってることをいろいろほじくり返して何かが出るといいなと思います。

体罰について

2005-08-22 23:43:34 | Weblog
高校野球で体罰があったとか聞きました。

体罰といわれるといいイメージはなく、現在では新聞やニュースなどでもよく非難されています。体罰というのはあまり褒められたことではありません。

ただ私は体罰を絶対的に否定する今の世の中もどうかと思っています。

時折耳にしたりする言葉ですが、痛みを知らない人間は他人に傷みを与えることに鈍感になります。痛いということを知らないから他人が痛いと思っているのがわからないということですね。

確かに度の過ぎた体罰はあってはいけないとは思います。しかし子供に痛みを教えるのに言葉だけでは絶対に足りないと思います。思い切り殴ってはいけないが、痛みを理解できるように、加減して頭を叩くくらいのことはあるべきだと思っています。







過保護にしすぎるのはよくない、と言う一言でまとまる話なんですけどね。