Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

歌舞伎座『八月納涼歌舞伎 第二部』2回目 3等A席真ん中

2005年08月26日 | 歌舞伎
『伊勢音頭恋寝刃』
前回17日に観た時のほうが私好みだったかも。確かに前回よりテンポは良かったとは思うんだけど、舞台に流れる空気感がピリッとしてなかった…。

三津五郎さんは前回同様すっきりと芯の強さがある貢。姿はとてもいいしキメの姿の美しさも十分で、、相変わらず台詞はわかりやすい。でもやっぱりすっきりしすぎるような気がするんだけどなあ。大膳ではかなり色気があるのに、貢には色気があまり出て無い。もっと柔らかさとか色気があるほうがいいなあ。それに後半の狂気と凄みがもうひとつ足りない。妖刀に魅入られる狂気とか、そこからくる冷酷さといった部分があまり体に表れてこない。

勘三郎さんの万野は関西のおばちゃん度アップ。そして愛嬌がたっぷりすぎて意地の悪さが立っていなかった…。あれえ?前回の寂しいまでの底意地の悪さはどこへ?ああいう万野だから妖刀の魔を引き寄せてしまうのだ、と納得いきそうだった部分がなくなってるよーー。浅はかさゆえの貢への意地悪としか見えなくて、憎めなさ過ぎてしまう。なんというか貢は妖刀に魅入られてしまったがために大量殺人をおかすのだけど、その狭間のシーンでのきっかけになる万野は貢の殺意を引き金にさせるだけの「魔」が、人の「魔」を引き出すそのギリギリの部分が、あったほうがいいような気がするのよね。前回、それがちょっと見えそうだったので期待してたのにーー。これはもう私が求める万野像ということなんだけどね。それを前回ちょっと見せてもらったような気がしちゃったのよ…ううっ。

お紺@福助さん、とっても綺麗なんだけどねえ。何かが足りない。貢@三津五郎さんとお紺@福助さんの間に流れないといけない情があまり見えないんだよねえ。これは福助さんだけのせいじゃないと思うんだけど…。


『けいせい倭荘子 蝶の道行』
毒々しい舞台美術と派手な衣装に若干引きぎみだった前回。あまりのキッチュぶりに数日残像が残っていたくらいで…。でもそのおかげ?で2回目にしてすっかり慣れました(笑)。これもありと思って見てみると、あら結構可愛いじゃん、とか(笑)そう思わないと、また美術に気を取られて二人の表情を見逃しちゃうしね…。次回はぜひ武智演出はやめてくださいまし。

それにつけてもこの舞台での染五郎&孝太郎コンビは本当に美しく見える。二人ともどこか儚げな表情をしているせいかしら?前回観た時よりかなり恋人同士の情感が出ていた。かといって表情を出しすぎることもないので甘ったるいクドさもなかった。そして前回より踊りがふわっと軽やかになってよりファンタジックになっていたように思う。ただそのせいなのか後半スピード感はなくなっていたような気が?でもその代わり、蝶の軽やかさが感じられ、今回のほうが蝶の精としての儚さを感じた。

ここからは今回の染五郎&孝太郎コンビの「蝶の道行」に感じた雰囲気をちょっとばかり妄想モードで(笑)。

「けいせい倭荘子」での年齢設定は知らないけど助国と小槙はロミオ&ジュリエットのように二人ともまだとっても若い恋人同士で恋に突っ走った、足に地が付いてないカップルだったんじゃなかろうか。お互いを愛しいと思うその気持ち優先。だからこそ死後、実らなかった恋の強い想いが魂を蝶の精へと転化させたのだろう。特に中盤での現世の時の思い出話の見初めの部分はもろロミ&ジュリだし、夫婦の部分もどことなくままごとのようでまだまだ「恋」だけといった趣があり、どうしてもそう感じる。そしてそれゆえの儚さ脆さが見えたような気がする。

小槙@孝太郎は自ら死を選んだわけじゃなく、だから夢の国へ来てしまったことで助国に会えたことがただただ嬉しい、そんな感じ。後を追った助国@染五郎はまた引き裂かれるんじゃないかと不安そう。現世で添えなかったことの哀しみが絶えず付き纏っているかのようだ。ラストの助国@染五郎の死ぬ場面では魂になってすら許されない恋の哀しさがみえ、それを追うかのような小槙@孝太郎さんはどこまでも一緒にとの切ない思いで寄り添うように死んでいったかのようだった。

余談:あれえ?「けいせい倭荘子」って最近ではいつ上演されたっけ?なんだか観たような気がしてきた??似たような筋の歌舞伎、他にあったっけ?前回の梅玉さん&時蔵さんの「蝶の道行」を観てるだけかな。本筋のほう、なにかひっかかるんだよなあ。


『銘作左小刀 京人形』
左甚五郎@橋之助さんのご機嫌な雰囲気が楽しい。高麗蔵さんの女房おとくがやはりいいなあ。