連載エッセイ しとせいかつ 第9回 「詩作」の入門書、1冊目。   亜久津歩

2015年09月08日 | エッセイ

わたしは「詩を書く」という行為において、

1.「言えないこと」を書く

2.「伝えたいこと」を書く …を経てきた。今は、

3.「書きたい詩」を書く …というところにいる。

(「書きたい詩」を書こうとしているが書けないところにいる、というのがより正確ではあるものの。)

5月の「マエバシ詩学校」で、自分がどのように詩を始め、書いてきたのかを上記の3段階に分けてお話しした。講義に設けられた「詩をひらく」「詩の多様性を感じてもらう」というテーマにおいて、講師としてわたしにお伝えできることは何かと考えあぐねた結果、「サンプル:亜久津歩」をそのまま提出することにしたのだ。

★「マエバシ詩学校」の講義内容は「現代詩手帖」2015年10月号に掲載予定です。ご覧いただけましたら幸いです。

「書きたい詩」を書くとは、感情やメッセージなどの素材に依存しない書き方をしたくなったというのが近い。「自分なりのやり方」で1・2は精一杯やった。何かに到達したなどとは言えないが、できること、したいこと、せざるを得なかったことはやり尽くした。あとはよくもわるくも自己模倣が待っているだろう。今後はもう少し冷静に、できるだけ主知的に、詩と向き合いたいと望むようになった。

実はこの2年ほど、そう考えてきた。それでまず、世代の近い詩人の詩集を読み漁ることから始めた。わたしは他人の詩作品にほぼ触れずに書いてきたため、読み物としての「詩」に親しみが薄く、古い文体や仮名遣いを眺めるだけで眠くなってしまうありさまだった。だから身近なところから始めてみたのだが、いわゆる現代詩の初見の「難解さ」に面喰らい気圧され、慣れるまで時間が要ったし、うろうろしているうちに結局「古さ」への抵抗もなくなった。黙読も朗読もし、書き写したりもした。そして、「そんな感じに」書いてみたのだった。

結果。「詩作」という面においては、成長を感じられなかった。読書を楽しんだ、あたまのストレッチになったとは思うけれど。闇雲に表面的な模倣をくり返しても、何かを積み重ね、進んでいるという感触を得ることはできなかった。ある詩人からは「現代詩の真似事」と言われたが、その通りでありぐうの音も出ない。

そこでようやく、詩の入門書を読むことにした。こう書くと「遅すぎるだろ」とわれながら突っ込みたいが、「先ず気の済むまでやる」から入らないと知識が浸透しない体質なので仕方がない。また、わたしは詩の定義や方法論を学ぶことに、恐れに近い抵抗感を抱いていた。それにより、ひっそりと大切にしてきた何かが壊れてしまう気がしていたのだ。明快な答えを提示されてしまったら、必死に握りしめてきた「わたしの詩」や、それに支えられてきた「わたし」が価値を失い消し飛んでしまうのではないか。もう書けなくなるのではないか。そしてそれは、もう「わたし」ではないのでは。おおげさに見えるかもしれないが、ひどく脅えていた。自信がなく、脆い自己愛ばかりがあった。詩と自我が入り組み過ぎていたのだと思う。

手軽なインターネット…特に反応の速いSNSで作品を発表している詩人を眺めていると、そのような方も少なくないのではと邪推する。理由は異なれど「自分なり」にこだわり「知識の習得」を避けているように見受けられることがしばしばある。批判や比較を極端に恐れる、「楽しければいい」と言い聞かせるようにくり返す、でも評価されない焦りや不安が拭えない、他人の詩はあまり読まない、踏み込まない、詩論や批評を読まない(読んだときのわからなさに疎外感を覚える)。詩の成り立ちや技術について、過去の詩人や歴史について…知らないまま、主に「自分の感情や主張」を吐露し続ける。あるいは、投稿欄や賞に応募してみても採否の先を受け取れない。そしてやがて、詩をやめてしまう。

詩を大衆化、通俗化、ポップにキャッチーにすることで「裾野をひろげる」という考え方には一理あり、また気軽に参加できる入口を設けることで新たな書き手・読者にアプローチしようという試みには概ね同意する。しかし、そのうちどれだけが、詩、日本の詩、「現代詩」なるものに興味を持ち、迫っていこうとするだろう?

「では、何から読めば?」という方の1冊目に。わたしは、このいずれかをおすすめしたい。

■ 中桐雅夫『詩の読みかた 詩の作りかた』(晶文社)

■ 黒田三郎『詩の作り方』(明治書院)

前者は1980年3月25日、後者は1969年11月15日初版発行。古い本だが、初めて詩作の入門書を読むという方には、いま自分が語りかけられているように感じるのではないかと思う。ちなみに、よくある鑑賞の手引き(宮沢賢治や金子みすゞの詩の内容を説明するような)ではない。実作のための本だ。

いずれも読みやすい。実感としていうと、現代詩の入門書にありがちな「結局、基礎知識がないとわからない」「専門用語や難解な言い回しが多くてつまずく」ということがなかった。引用や紹介が豊富で多様性が重視されており、一方的でもない。個人的には前者の方が要点、主張が簡潔に整理されており読みやすかった。後者はやさしい。目の前に詩人がいて語りかけられているような気がする。だが模範解答をくれるのではなく、「自分で考えること」を一貫して促される。

我流、自己流といえばそうかもしれない。読まなくても詩は書ける。「これが詩だ!」と自分が信じれば詩だ。そう言えなくはないだろうし、そこまでのものがあるならいいのかもしれない。何しろ学んだからといってよい詩が書けるとは限らない。ただ迷いや心細さを感じている人に届けばいいなと、大きなお世話ながら、そして多分に自省をこめて書いた。詩はひとりで書くものだが、ひとりで書いてきた詩人がたくさんいる。もしかしたら知識よりも、勇気をもらえる一冊になるかもしれない。



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