連載エッセイ しとせいかつ 第3回 誰かのために詩を書ける?―石巻にて   亜久津歩

2015年03月10日 | エッセイ

わたしは「意味づける」ために、詩のようなものを書き始めた。何のために生きるのか、何なら信じられるのか、知りようもなかった頃のことだ。誰にも言えない、わけのわからないものに自分なりの名や価値や定義をつけ、否定を否定し肯定と断定し続けることでひとつずつ小石をつくり、岸になるよう積んだ。すぐさま崩れては、また。あるいは、抱えきれない感情や感覚を客体化するために書いた。排出というよりも、まるで作品であるように錯覚し、切り離した気になれたから。

いずれも、逃れようのない強襲を書くことで整形し、歪ませ、折り合いをつけようとしていたのだと思う。

 

今では、何らかの現象に価値を付加したり教訓に再生させたりするために書くことは、できる限りしたくない。詩かくあるべしなどという大袈裟なことではなく、そういうふうに生きたくないという個人的な話。

理由などわからないまま、意味のないまま愛したい。



3
月は自殺対策強化月間である。10日には東京大空襲のひとつがあった。

11日は。


2011311日。わたしは妊婦であった。身悶えるビルと千切れそうにのたうつ電線を睨みつけながら、腹ごと息子を抱えていた。その夜から繰り返し放送された気仙沼の映像が焼きついている。闇と炎の蠢く様は現実味を欠いてすらいた。それほどの現実だった。

12日のうち、学生時代からの友人が、混乱の中、地元である宮城県石巻市へ戻ると知った。SNSを介し、彼、彼らの言動を見ているうち、ふと、これは始まった。

【石巻ノンフィクション 

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「震災詩」なるものを書かなくてはと構えたことはない。そもそもわたしは詩を書いたのか。詩を書く者として関わろうと考えたのは、一群をまとめた後のことだ。彼らの声を伝えたい、そこに存在した何かを残したい、終わっていないと、忘れていないと言い続けたい。いずれも事実だが、そのように「有意義」な意図は最初の動機ではなかった。わたしにとって詩とは、言葉とはもっと単純に衝動的なものだ。

書くしかなかった。この現実を言葉にせず、体内に留めておくことがおそろしかった。良心や使命感とは違う。自分本位の、本能的な恐怖だ。計り知れぬ喪失、底知れぬ不安、なのに「風化」していくことだけは知っているから、せめて糸口をとらえたかった。今もそうだ。憶えているものも、それを忘れてしまうこともこわい。抱えきれず、飲まれそうなほど。

「ヒサイシャ」「のために」書くのではない。時間が、出来事が、抗いようもなく書かせる。わたしという人間の被災の記録、未だ続く被災の一つのかたちなのだ。 


昨年末、宮城へ行った。仙台から入り石巻に泊まった。女川、雄勝へと車で移動し、歩いた。

おいしい海鮮丼を食べた。夕焼けが美しかった。海は澄んでいた。何を見ても泣くまいと考えていた。だがある場所ではもう、それしかなかった。目を離すことも、カメラを向けることも、声を発することもできずに立ち竦んだ。詩にしようとは、今もまだ思えない。

たとえば言葉にならないものを言葉で紡ぐのが詩なのだとしても、あの静けさに見合うものなどあるのだろうか。

 

あの日から一文字も書き出せないまま、わたしは行間にいる。

ただ素描していたいと思った、冬の陽だまりによく似た、果てしない白紙を前に。

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2015-12-21 22:29:46
2011年ですよ。

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