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連載エッセイ しとせいかつ 第5回 朗読について。および「わけのわからない」すき、との出逢い   亜久津歩

2015年05月07日 | エッセイ

ほがら‐か【朗らか】

1 心にこだわりがなく、晴れ晴れとして明るいさま。

2 明るく光るさま。日ざしが明るく、空が晴れわたっているさま。

3 広く開けて明るいさま。

4 あいまいさがなく、はっきりしているさま。

(デジタル大辞泉 http://dictionary.goo.ne.jp/smp/leaf/jn2/203274/m0u/

詩の朗読を聴くのがすきだ。ただ「朗らか」なものは近寄り難い。心にこだわりがつよく晴れたかと思えば荒れぐずつき、基本的に薄暗く泥濘み迷ってばかりの性分なので、まぶしいのである。この『朗』の字と、学校で習った朗読(レコーダーから品のある女性や優しげなおじいさんが童話を読み聞かせるように語りかけてくる、寝かしつけに有効なあれ)の印象が強く残っており、長い間「詩の朗読を聴く」ということに関心がなかった。

朗読と言えば田中庸介さんのファンである。きっかけは約7年前、「La Voix des Poètes(詩人の聲)」を聴きに行ったこと。当時のわたしは―やや粗い言い方になるが―「意味」や「伝えたいこと」を核としない詩というものを、殆ど知らなかった。田中さんも例外でなかったし、いわゆる「現代詩」を聴くのは初めてだった。同人仲間の塚越祐佳さんに誘っていただいたので、よくわからないけど行ってみようかな、という軽いノリだった。

La Voix des Poètes(詩人の聲)」=天童大人氏プロデュース、「詩人の肉聲」を重視し「聲の力を復権させたい」と続けられているプロジェクト。詳細はリンク先をご覧ください。こちらにおいて、「朗読(会)」という言葉は用いられていません。

白基調の直線的な空間に直線的な椅子が並ぶ。そこに田中さんが立つ。他には何も、マイクもBGMもなく、ただくっきりと言葉が響いた。くっ、くっと射るように、客席の真ん中から後方あたりへ視線を向けられるのが印象的だった。声はなるほど朗々として、こういう「朗」読もあるのか、と思ったことを憶えている。

そこからの作品、「朗」読は、わたしには正直、わけがわからなかった。それなのになぜか笑いがこみあげてきたり、切なさが生じたり、うつくしさを感じたり、何か染み込んでくるような気がしたりした。会場の空気もさまざま変化した。わたしは自分に何が起きているのか理解できず戸惑い、聴き入った。途中、動揺が過ぎたのか、そもそもこんなオシャレな空間でこの知的な眼鏡の男性はさっきから何を言っているのかしらとまで思えてきて、さらに混乱し、いつしかその「わからなさ」に夢中になっていた。

わたしはこの時まで、こういった体験をしたことがなかった。縁あって朗読の場には何度か居合わせていたが、そこで聴く朗読はよく「わかる」ものだったのだ。経験の記憶や出来事の記録や物語が綴られた「伝える」ための作品が手元にあり、そこに感情がこめられ、よりよく「わかる」。わたしの知っている朗読とは、そういうものだった。時折、耳にする「詩は詩人の声によって完成する」という言葉は、こういう意味だと思っていた。

もちろん、どちらがよいなどという話ではない。目的や求めるものが異なるからだ。ただ、わたしは未知の刺激にすっかり熱があがってしまい、終了後、迷わず購入した詩集『スウィートな群青の夢』(未知谷)にサインまでいただき、ほくほくと帰った。それ以来、少しずつ「わからない」詩を好んで読むようになり、詩を聴ける場へ足を運ぶことも増えていった。

 

(自分も書いてみようと決めるのはそれからしばらく後、朗読したいと思うのはさらに時間が経ってからのことである。)

 

「わからない」詩が苦手だという話をしばしば聞く。たしかに理解したいのにできない相手、作品というのは、壁を感じたり、冷たく、拒絶されているように思えたりするかもしれない。だから「わかりたい」場合、「わからない」作品をひとりで読み続けることに、苦しさや淋しさを覚えるのだろう。そういう方には、いっそ「わからない」詩の朗読を聴いてみてはと提案したい。そこに詩人がいるので、ただ活字を追っているときよりも「壁」の感触は薄いはずだ。また「わからない」まま近づけるということを、その魅力や恐ろしさを、実感できるかもしれない。

朗読はたくさんの、そしてその詩人だけの情報によって成される。言葉があり声があり、顔があり動きがあり、癖があり温度があり、ライヴであり、ミスがあり、空間の匂いがある。「わからなさ」をたのしむ、よい手掛かりとなるのではないだろうか。

  


 

【お知らせ】

現在、群馬県前橋市で「前橋ポエトリー・フェスティバル2015」が開催されています。そのイベントのひとつ、「ポエトリー・リーディング in 前橋文学館」(5月23日〈土〉15:15-18:00)にて、たくさんの詩人とともに、田中庸介氏と、わたくし亜久津歩も詩を読みます。観覧料は無料です。また、同日の「マエバシ詩学校」(10:50-14:15)では、第1時限を亜久津、第4時限を田中氏が担当します。受講料は無料ですが、こちらは事前予約が必要です(ご予約先=「芽部」新井様 relaxin@blue.plala.or.jp)。いずれも、お越しいただけましたら幸いです。

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