某不動産のお仕事がらみで、Plano(プラノ)にある“ファンズワース邸”の見学に行ってきた。
プラノはうちから車で約45分西にいったところにある田舎町。
トウモロコシ畑が延々と広がる以外何もない、そんななかにぽつんと建つ異色の白亜のガラス張りの家だ。
ドイツの建築家・ミースの設計によるもので、1950年にシカゴの女医であったファンズワース女史の週末の家として建てられたもの。
★
ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe、1886年3月27日、アーヘン - 1969年8月17日、シカゴ)は、20世紀のモダニズム建築を代表する、ドイツ出身の建築家。
ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトと共に、近代建築の三大巨匠と呼ばれる(ヴァルター・グロピウスを加えて、四大巨匠とみなされることも)。
“Less is more.” (より少ないことは、より豊かなこと)という標語で知られ、近代主義建築のコンセプトの成立に貢献した建築家である。柱と梁によるラーメン構造の均質な構造体が、その内部にあらゆる機能を許容するという意味のユニヴァーサル・スペースという概念を提示した。
四方をガラスの壁で囲んだファンズワース邸(1950年・アメリカイリノイ州)も代表作の一つ。週末別荘として建てられたもので、建設費が当初予算を大幅に超えたため、施主のエディス・ファンズワースと訴訟沙汰になったがミースが勝訴した。2003年にオークションに出され、地元のナショナルトラストが取得した。(wikipediaより)★
★
(ファンズワース邸は)《バルセロナ・パヴィリオン》とともに、ミースの代表作であり、かつインターナショナル・スタイルを象徴する建築である。四周をガラスで囲われた内部空間には、キッチン、浴室、トイレを収めたコア以外には何もない。クライアントは独身者であったが、ゲストのためのスペースのあいだにも壁は存在せず、完全なワンルームのみで成り立っている。
屋根と地面から持ちあげられた床スラブは、8本あるI型鋼の柱で支えられるが、柱はそれらの外側に配置されるため、内部空間には柱は現われず、柱に挟まって浮いているように見える2枚の水平スラブが強調される。8本のI型鋼は組立後、研磨されてさらに白く塗装されるなど、《ファンズワース邸》は工業製品を使用しながらも一品生産品以上に建設コストがかかっており、予算超過による訴訟事件が起こされたことでも有名である。
(現代美術用語辞典ver.2.0 β版より)★
事前に何も知らせず運転手としてつきあってもらったPちゃん、実はこれがミースの建築物だと知って大興奮。
それもそのはず、ミースはPちゃんの故郷、ドイツのアーヘン出身の建築家であり、モダニズムの巨匠と呼ばれた人なのだ。
ナチスドイツ下のドイツからアメリカ亡命し、以来シカゴに住んで後世に残る傑作を残している。
このファンズワーズ邸の依頼主は、当時シカゴで活躍しており世界的にも有名だった女医・エディス・ファンズワース。
生涯独身だった彼女がただひとりで週末を過ごすためだけ建てられたという、贅沢極まりない家なのだ。
当然気になるのが、ミースと彼女との関係。
ガイドさんによると、建築家と依頼主という相互信頼関係を超えた、個人的愛情関係があったということは否めないそうだ。
しかし、彼女よりも作品としての「家」に執着しのめりこんでいくミースに、彼女は次第に苛立ちを覚えるようになり、
最後には当初の計画から約2倍にも跳ね上がった建築費を巡って双方は泥沼の訴訟になっていく・・という悲しい結末を迎える。
ミースとの愛に身を燃やしながら、週末を何もないこの「森の家」で一人過ごす彼女は胸中は・・・などと、考えてしまう。
★正面側
入り口を入ると、リビング。そしてゲストのためのベッドが置かれている。
空間にしきりは一切ない。センターコアにふたつのバスルームがあるだけ。
★裏側
裏側には世界一長いといわれる、継ぎ目なしのステンレス製カウンタートップのキッチン。
約160センチの床あげにもかかわらず、数年前のFox川の氾濫で床上まで浸水し、
家具をはじめ壁の木材が大きなダメージを受けたという。
★横
ここはプライベートの空間。書斎やベッドが置かれている。
ガイドさんが懇切丁寧に説明してくれる
家の正面はFox川。四方は深い緑に囲まれていて、誰から見られることもない。
約1時間のガイドツアーは、非常に内容も充実しており大満足だった。
写真も(内観以外は)自由に撮ることができるし、なんといっても緑に囲まれたこの家にいると、心が浄化されるようだった。
それにしても、当時シカゴからここまでくるのにどれほど時間がかかっただろう・・・。
しかもこの全面ガラス張り。夏は暑いぞー。それに冬の寒さはさぞや・・・と思うと、「私には住めないな」なんてついつい夢のない感想をつい漏らしてしまう私。
★2012年12月より、このページの閲覧数が著しく増えています。何がきっかけになったのか知りたいのでよろしければコメントをお残しください。
★写真の無断転用は固くお断りいたします。
★トラッキング中
プラノはうちから車で約45分西にいったところにある田舎町。
トウモロコシ畑が延々と広がる以外何もない、そんななかにぽつんと建つ異色の白亜のガラス張りの家だ。
ドイツの建築家・ミースの設計によるもので、1950年にシカゴの女医であったファンズワース女史の週末の家として建てられたもの。
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ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe、1886年3月27日、アーヘン - 1969年8月17日、シカゴ)は、20世紀のモダニズム建築を代表する、ドイツ出身の建築家。
ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトと共に、近代建築の三大巨匠と呼ばれる(ヴァルター・グロピウスを加えて、四大巨匠とみなされることも)。
“Less is more.” (より少ないことは、より豊かなこと)という標語で知られ、近代主義建築のコンセプトの成立に貢献した建築家である。柱と梁によるラーメン構造の均質な構造体が、その内部にあらゆる機能を許容するという意味のユニヴァーサル・スペースという概念を提示した。
四方をガラスの壁で囲んだファンズワース邸(1950年・アメリカイリノイ州)も代表作の一つ。週末別荘として建てられたもので、建設費が当初予算を大幅に超えたため、施主のエディス・ファンズワースと訴訟沙汰になったがミースが勝訴した。2003年にオークションに出され、地元のナショナルトラストが取得した。(wikipediaより)★
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(ファンズワース邸は)《バルセロナ・パヴィリオン》とともに、ミースの代表作であり、かつインターナショナル・スタイルを象徴する建築である。四周をガラスで囲われた内部空間には、キッチン、浴室、トイレを収めたコア以外には何もない。クライアントは独身者であったが、ゲストのためのスペースのあいだにも壁は存在せず、完全なワンルームのみで成り立っている。
屋根と地面から持ちあげられた床スラブは、8本あるI型鋼の柱で支えられるが、柱はそれらの外側に配置されるため、内部空間には柱は現われず、柱に挟まって浮いているように見える2枚の水平スラブが強調される。8本のI型鋼は組立後、研磨されてさらに白く塗装されるなど、《ファンズワース邸》は工業製品を使用しながらも一品生産品以上に建設コストがかかっており、予算超過による訴訟事件が起こされたことでも有名である。
(現代美術用語辞典ver.2.0 β版より)★
事前に何も知らせず運転手としてつきあってもらったPちゃん、実はこれがミースの建築物だと知って大興奮。
それもそのはず、ミースはPちゃんの故郷、ドイツのアーヘン出身の建築家であり、モダニズムの巨匠と呼ばれた人なのだ。
ナチスドイツ下のドイツからアメリカ亡命し、以来シカゴに住んで後世に残る傑作を残している。
このファンズワーズ邸の依頼主は、当時シカゴで活躍しており世界的にも有名だった女医・エディス・ファンズワース。
生涯独身だった彼女がただひとりで週末を過ごすためだけ建てられたという、贅沢極まりない家なのだ。
当然気になるのが、ミースと彼女との関係。
ガイドさんによると、建築家と依頼主という相互信頼関係を超えた、個人的愛情関係があったということは否めないそうだ。
しかし、彼女よりも作品としての「家」に執着しのめりこんでいくミースに、彼女は次第に苛立ちを覚えるようになり、
最後には当初の計画から約2倍にも跳ね上がった建築費を巡って双方は泥沼の訴訟になっていく・・という悲しい結末を迎える。
ミースとの愛に身を燃やしながら、週末を何もないこの「森の家」で一人過ごす彼女は胸中は・・・などと、考えてしまう。
★正面側
入り口を入ると、リビング。そしてゲストのためのベッドが置かれている。
空間にしきりは一切ない。センターコアにふたつのバスルームがあるだけ。
★裏側
裏側には世界一長いといわれる、継ぎ目なしのステンレス製カウンタートップのキッチン。
約160センチの床あげにもかかわらず、数年前のFox川の氾濫で床上まで浸水し、
家具をはじめ壁の木材が大きなダメージを受けたという。
★横
ここはプライベートの空間。書斎やベッドが置かれている。
ガイドさんが懇切丁寧に説明してくれる
家の正面はFox川。四方は深い緑に囲まれていて、誰から見られることもない。
約1時間のガイドツアーは、非常に内容も充実しており大満足だった。
写真も(内観以外は)自由に撮ることができるし、なんといっても緑に囲まれたこの家にいると、心が浄化されるようだった。
それにしても、当時シカゴからここまでくるのにどれほど時間がかかっただろう・・・。
しかもこの全面ガラス張り。夏は暑いぞー。それに冬の寒さはさぞや・・・と思うと、「私には住めないな」なんてついつい夢のない感想をつい漏らしてしまう私。
★2012年12月より、このページの閲覧数が著しく増えています。何がきっかけになったのか知りたいのでよろしければコメントをお残しください。
★写真の無断転用は固くお断りいたします。
★トラッキング中
渡辺明次さんという方はミースの直接の弟子で、
明次先生からよくミースのことやシカゴ留学時代の話を聞きます。
先生も盲70歳代の後半ですが・・・。
では。
すごい人をお友達におもちなんですね。
どんな話をお聞きになったのか興味があります。
渡辺さんのお話を聞いてみたいです。
それらと比較して優れたガラス張りの建築物の代表としてファンズワース邸を紹介する方が多いからでしょう。
某掲示板で前日放送されたリフォーム番組の事が話題になっていて
その中のレスにファンズワース邸の事が書いてあったので
ちょっと気になって検索してみました
正直そのレスに書いてる事は都市伝説みたいな話だったのですが
どういう建築物だったのか見てみたくなりました
恐らく2012年の閲覧数が増えたのも同じ番組の結果だと思います
以前もガラス張りみたいな家建ててました
正直、生活する為の家としては全面ガラス張りは辛いと思いますけど
ありがとうございました。
参考にしていただければ幸いです。
「オブリビオン」という映画で主人公が住んでいるガラスのタワーが
ミースのファンズワース邸に似ていると思ったもので、
確認したくこのHPを拝見しました。
施主の方とのエピソードは主人公と同居している女性の関係を暗示しているようでもあります。
とても興味深く記事を読ませて頂きました。
有難うございました。
ファンズワースにヒントを得たのかもしれませんね。
どうもありがとうございました。
http://www.amazon.co.jp/dp/B004UPDNVE/ref=cm_sw_r_tw_dp_oNrVsb06HPABQ
というセットがありまして、実際の建物はアメリカのどこにあるのだろう…と
「ファンズワース邸」検索したところ、こちらのブログにヒットしました。