日本人がクジラをあまり食べなくなって久しい。
その理由はいったいなんだったのか、と問われればちゃんと答えられる人も少ない。
「捕鯨が制限されているから」「なぜ?」「乱獲で海の生態が壊れるから」
答えはノーである。
クジラが好きで好きでたまらない、なくては死んでしまうという人が大勢いるわけではないためか、クジラそのものが食卓から姿を消し、その理由を語ろうとする日本人はいなくなってしまった。が、しかし、この話題を決して食卓から引き摺り下ろすことをゆるさない、そんなフォーラムに今日は参加してきた。
題して「おんなたちが語るクジラ」~クジラから世界が見える!~。
このフォーラムを主催しているのは「ウーマンズフォーラム魚(WFF)」という非営利団体で、そのコンセプトは「海から食卓までのプロセスで起こっている変化や問題について、消費者と漁業者が行政や研究者と一緒になって語り合い、食卓から海を見つめ直すサイクルをつくっていこう」というもの。先日参加した「アメリカの演歌を聴け」というレクチャーで、たまたまこのWFFの事務局の方と名刺交換をしたのがきっかけだった。
会場に行ってみてまず驚いたのは、その参加人数の多さ。もっとしょぼい集まりかと想像していたのだが、300人はいるだろうかという盛況ぶり。参加者は圧倒的に女性で比較的高年齢層の方が多かった。クジラを普通に食べていた年代だろう。
また、大学生も何十人か参加しており、このフォーラムや話題に対する興味の深さを物語っていた。
第1部はジャーナリストの櫻井よしこ氏による基調講演、
「反捕鯨に反論あり。クジラは食するべき」。
彼女の話をずっと昔から聞きたかった、というのがそもそも今日の参加主目的でもあった。その柔らかな物腰とすずやかな声からは想像だにできない単刀直入、ストレートな語り口にまず圧倒された。
クジラ問題というよりは、むしろその奥にある日本の“へなちょこ外交”、さらにそのへたれの奥にある日本人の“謙虚すぎる”または“日本文化を誇れない卑屈さ”を彼女はバッタバッタと切り落としていく。
戦後の日本人の卑屈な精神を生み出したのが、“いけない戦争をしてしまった挙句、敗戦した”という世界に対するうしろめたさではないかと彼女は指摘する。
「日本文明はいまや欧州諸国が最も注目する文化なのです。もったいない、という、モノを大切にする独特の価値観。それは人間と自然がいかにうまく関わっていくかという思想そのものなのです。ですから、すばらしいこの日本文化が21世紀の人類の進むべき道として注目されているのです。私たちはそれをもっと誇るべきです」
一歩間違えればナショナリズムの塊のようなコトバが次々と発せられ、前に座っていたおばさまは思わず無言で顔を見合わせる。
話は次第に近隣諸国との昨今の外交問題に及ぶ。中国の政府高官が聞いたらのけぞるようなきわどさだ。この迷いのなさ。さすがだ。(へなちょこ政治家よ、見習え!)
私も常々、(特にアメリカ生活を経験してから)「日本の文化は美しい、世界に誇れる、声を大にして誇りたい!」と思っていたけれど、こう目の前ではっきりと誇られるとまだ面映い気がしてしまう。それはまだ私自身が「控えめがいいと思っている」日本人だからかもしれない。
しか~し!ここからがいよいよクジラ問題。
だからといっていつでも控えめに黙って言うことを聞いていては世界からどんどん取り残されるのが事実、そして現実。
「クジラを捕っちゃだめだ、それを食うなんてもってのほかだ」などと、魚を食わない文化の国々から言われて「日本はねぇ、アンタ。魚食って作られた国なんだよ。文句あっか!?」となぜ言えないのだろう。
昔は一緒になって乱獲していたにもかかわらずクジラの油がもう要らなくなったから、そしてほとんどの国はいまや肉食だから、IWF(国際捕鯨協会)では資源としてのクジラに興味がなくなったのだ。
何ひとつ余すところなくクジラを活用し、それがゆえにクジラをリスペクトしてきた日本人と、油だけ取って捨ててしまっていた他国との価値観を一緒に考えてしまっていいのだろうか?
いったいどっちが“かわいそう”なんだ?
第2部はパネルディスカッション。ゲストは神津カンナ氏(作家)、黒田みち子氏(北区議会議員、食育活動推進家)、朝日柚帆氏(WFFこども活動リーダー)。
ここでもクジラ問題にかかわらず、日本人が培ってきた文化論や環境論について実に生きた議論が繰り広げられた。
今までの人生で、自らレクチャーで手を挙げたことなんかなかったのに、思わず挙手をしてこれからどうやってこの問題を広く子どもたち、しいては若い世代に知らしめていくべく教育に生かしていけばいいのかを質問。
「とにかくお母さんも子どもと一緒に現場に引っ張り出すべき。一緒に包丁を持って、魚と向き合うことです。その機会はいくらでもあります」(黒田氏)。
この話題は近いうちにきっと、私が一編集者として取り上げなければならないと感じた。
フォーラム終了後、いろんな人から声をかけられ、連絡先の交換をする。
面白いもので「幼児教育関連の雑誌編集をしています」と私が最初にひとこと自己紹介したことで、同じような草の根運動をしている人たちからも声をかけられた。また、徳島県の人(徳島県の東京事務所の方)からも声をかけられた。
ひとりじゃないんだという大きな勇気がわいてきた。
軽い気持ちで参加した今日のフォーラムで得た収穫は、いろんな意味でとてつもなく大きかった。
クジラを語らなくなったときは日本の文化が滅びるときだろう。
私はクジラに何の執着もない世代だけれど、この問題から目をそらしてはいけないということをまざまざと知った一日だった。
*櫻井よしこ氏のブログ
http://blog.yoshiko-sakurai.jp/
その理由はいったいなんだったのか、と問われればちゃんと答えられる人も少ない。
「捕鯨が制限されているから」「なぜ?」「乱獲で海の生態が壊れるから」
答えはノーである。
クジラが好きで好きでたまらない、なくては死んでしまうという人が大勢いるわけではないためか、クジラそのものが食卓から姿を消し、その理由を語ろうとする日本人はいなくなってしまった。が、しかし、この話題を決して食卓から引き摺り下ろすことをゆるさない、そんなフォーラムに今日は参加してきた。
題して「おんなたちが語るクジラ」~クジラから世界が見える!~。
このフォーラムを主催しているのは「ウーマンズフォーラム魚(WFF)」という非営利団体で、そのコンセプトは「海から食卓までのプロセスで起こっている変化や問題について、消費者と漁業者が行政や研究者と一緒になって語り合い、食卓から海を見つめ直すサイクルをつくっていこう」というもの。先日参加した「アメリカの演歌を聴け」というレクチャーで、たまたまこのWFFの事務局の方と名刺交換をしたのがきっかけだった。
会場に行ってみてまず驚いたのは、その参加人数の多さ。もっとしょぼい集まりかと想像していたのだが、300人はいるだろうかという盛況ぶり。参加者は圧倒的に女性で比較的高年齢層の方が多かった。クジラを普通に食べていた年代だろう。
また、大学生も何十人か参加しており、このフォーラムや話題に対する興味の深さを物語っていた。
第1部はジャーナリストの櫻井よしこ氏による基調講演、
「反捕鯨に反論あり。クジラは食するべき」。
彼女の話をずっと昔から聞きたかった、というのがそもそも今日の参加主目的でもあった。その柔らかな物腰とすずやかな声からは想像だにできない単刀直入、ストレートな語り口にまず圧倒された。
クジラ問題というよりは、むしろその奥にある日本の“へなちょこ外交”、さらにそのへたれの奥にある日本人の“謙虚すぎる”または“日本文化を誇れない卑屈さ”を彼女はバッタバッタと切り落としていく。
戦後の日本人の卑屈な精神を生み出したのが、“いけない戦争をしてしまった挙句、敗戦した”という世界に対するうしろめたさではないかと彼女は指摘する。
「日本文明はいまや欧州諸国が最も注目する文化なのです。もったいない、という、モノを大切にする独特の価値観。それは人間と自然がいかにうまく関わっていくかという思想そのものなのです。ですから、すばらしいこの日本文化が21世紀の人類の進むべき道として注目されているのです。私たちはそれをもっと誇るべきです」
一歩間違えればナショナリズムの塊のようなコトバが次々と発せられ、前に座っていたおばさまは思わず無言で顔を見合わせる。
話は次第に近隣諸国との昨今の外交問題に及ぶ。中国の政府高官が聞いたらのけぞるようなきわどさだ。この迷いのなさ。さすがだ。(へなちょこ政治家よ、見習え!)
私も常々、(特にアメリカ生活を経験してから)「日本の文化は美しい、世界に誇れる、声を大にして誇りたい!」と思っていたけれど、こう目の前ではっきりと誇られるとまだ面映い気がしてしまう。それはまだ私自身が「控えめがいいと思っている」日本人だからかもしれない。
しか~し!ここからがいよいよクジラ問題。
だからといっていつでも控えめに黙って言うことを聞いていては世界からどんどん取り残されるのが事実、そして現実。
「クジラを捕っちゃだめだ、それを食うなんてもってのほかだ」などと、魚を食わない文化の国々から言われて「日本はねぇ、アンタ。魚食って作られた国なんだよ。文句あっか!?」となぜ言えないのだろう。
昔は一緒になって乱獲していたにもかかわらずクジラの油がもう要らなくなったから、そしてほとんどの国はいまや肉食だから、IWF(国際捕鯨協会)では資源としてのクジラに興味がなくなったのだ。
何ひとつ余すところなくクジラを活用し、それがゆえにクジラをリスペクトしてきた日本人と、油だけ取って捨ててしまっていた他国との価値観を一緒に考えてしまっていいのだろうか?
いったいどっちが“かわいそう”なんだ?
第2部はパネルディスカッション。ゲストは神津カンナ氏(作家)、黒田みち子氏(北区議会議員、食育活動推進家)、朝日柚帆氏(WFFこども活動リーダー)。
ここでもクジラ問題にかかわらず、日本人が培ってきた文化論や環境論について実に生きた議論が繰り広げられた。
今までの人生で、自らレクチャーで手を挙げたことなんかなかったのに、思わず挙手をしてこれからどうやってこの問題を広く子どもたち、しいては若い世代に知らしめていくべく教育に生かしていけばいいのかを質問。
「とにかくお母さんも子どもと一緒に現場に引っ張り出すべき。一緒に包丁を持って、魚と向き合うことです。その機会はいくらでもあります」(黒田氏)。
この話題は近いうちにきっと、私が一編集者として取り上げなければならないと感じた。
フォーラム終了後、いろんな人から声をかけられ、連絡先の交換をする。
面白いもので「幼児教育関連の雑誌編集をしています」と私が最初にひとこと自己紹介したことで、同じような草の根運動をしている人たちからも声をかけられた。また、徳島県の人(徳島県の東京事務所の方)からも声をかけられた。
ひとりじゃないんだという大きな勇気がわいてきた。
軽い気持ちで参加した今日のフォーラムで得た収穫は、いろんな意味でとてつもなく大きかった。
クジラを語らなくなったときは日本の文化が滅びるときだろう。
私はクジラに何の執着もない世代だけれど、この問題から目をそらしてはいけないということをまざまざと知った一日だった。
*櫻井よしこ氏のブログ
http://blog.yoshiko-sakurai.jp/