Life in America ~Chicago編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

近所にフラメンコ隊がやってきた。

2017-04-13 18:04:20 | アメリカ生活雑感
先週の日曜日。
久々にふたり揃ってゆっくりぼーっと過ごす休日。
Pちゃんが、この間図書館にDVDを返しに行ったときにスパニッシュギター・デュオが近所で無料コンサートをするというニュースを聞きつけてきていたので、ふたりで散歩がてら行ってみることにした。

どうせ無料のイベントだし、そのへんのおっさんが趣味でやってるギターをみんなに見せるんだろうと思って行ったら、ビックリ。
ものすごくちゃんとしたプロの人たちだった。
そのうえ、おまけにパーカッションとフラメンコダンサー(この二人は夫婦らしい)もついてきていて、すごく得しちゃった気分。彼らはシカゴでも有名なダンスカンパニーに属している人たちらしい。
もったいないやら、申し訳ないやら。もっと宣伝すればいいのに~。

でも、こういうユルさがアメリカのいいところ。
こんなど田舎をどさまわりして本気で演奏してくれる彼らに感謝!


Enjoy Sunday afternoon professional flamenco performance near my house. It's free and so much fun!








最後にはミニレッスンコーナーも。魅惑の腰つき。







ポーズを教えてもらった。簡単そうで難しい。
阿波踊りと一緒。芸は奥が深いのだ。


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ゲイリー・バートン 引退公演

2017-03-30 15:56:47 | アメリカ生活雑感
3月14日

シカゴに(多分)最後の大雪が降った数日後、ビブラフォーンの第一人者で長年アメリカのJazzシーンをけん引してきたGary Burtonの引退公演を観に行った。
彼が最期のツアーの相棒に選んだのが、日本人ピアニストの小曽根真。
このふたりの演奏を生で見ることはもうないのか、と思うとさびしかったけれど、ゲイリーもすでに74歳。
完璧主義の彼が今年を潮時と考えたのもわかる気がする。

そのときの記事を書きました。

ゲイリー・バートン&小曽根真(Makoto Ozone) ~@SPACE(2017年3月14日)




 




ゲイリーとツーショット 


お疲れのところ、ライブ終了後ミニインタビュー(飲みながら )をさせていただきました。
音楽談義大好きのPちゃんも大喜び!楽しい時間をありがとうございました。
See you soon again!





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アメリカで着物を普通に着る会~その3 ひな祭り~

2017-03-25 13:10:26 | アメリカ生活雑感
アメリカで普段着着物を楽しむミート、第1弾はひなまつりディナー。
この日のため特別に、日本人の凄腕寿司シェフが「ひなまつりコース」を用意してくれるというので、ウキウキ。

3月4日
場所はリンカーンパークの隠れ家的寿司レストラン「なおき寿司」。
高級コンドミニアムの1階にあり、エントランスにはドアマンが!
さらにロビーにはグランドピアノもあって、高級ホテルのようなハイソな雰囲気が漂っていて、私なんぞにはもう一生縁がないと思われる(苦笑)。


さて、今日の着物は先日買い求めてきた銘仙シリーズの中の一着。
春らしいオレンジピンクと花模様がかわいらしく、多少女学生的で年甲斐もないところもあるがここはアメリカ、気にするもんか!

  
この帯は、徳島の青空市をぶらついていた時に買ったもの。とてもちゃんとしたものだった。実は100円・・・
帯締め、帯揚げは母のものを。



これが本日のシェフ特別メニュー

 
 

デザートの3色ムース、最高!


お店の中は雰囲気も良く、隠れデートにぴったりな感じ。



せっかくなのでロビーで記念写真。
(みんな、めちゃ正装やん!と内心焦る)
この日「初めまして」の方が3名さま。意外と知らない日本人同士。


せっかくの土曜日の夜だし、ここまで来ているんだからとディナーがお開きのあと友人1名とブルースを聴きに行った。
着物でブルースバーに行くとは夢にも思わなかったけれど、ま、いいとしよう。




「キングストンマインズ」の今夜の出演は、大好きなシュガー・ブルー・バンド。
いやぁ、やっパリいつ聞いてもここのリズムセクションは鉄壁。(今夜のベーシストはイラリアじゃなくてチェック)

友人が帰ったあと、今度はひとりでお向かいのBLUESへ。
だってだって、カルロス・ジョンソン・バンドだもん。
見ずに帰らりょか!?


どうして私の前にはいつも ハ●の人がいるんだろう・・・。



早く帰ろうと思ったのに、カルロスが良すぎて結局最後までいちゃった。
彼と会うのは本当に久しぶりで、「ショーコ、どこで何してたんだい?ミスユーソーマッチ」と言われて私も「ミスユーツー」と。
母のお悔やみを何度も何度も繰り返して言ってくれた。
情に厚く、心の温かいカルロスなのだった。

やはりブルースはいつも私の心を慰めてくれる。
やっとシカゴに帰ってきた実感が湧いた日だった。
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2017年、最初の(そしてきっと最後の)大雪。

2017-03-16 00:05:08 | アメリカ生活雑感
3月も半ばにさしかかって、やっと雪らしい雪が降った。
1月2月は百何年ぶりかの「雪のない月」だったそうだ。
実は、去年11月12月とどっさり降ったらしいのだが、私はそのときシカゴにおらず、なんだかこのまま春になるのもさびしい気がしていた。
そこへ、やっとストームがやってきた。
言うほどでもなかったけどとりあえず積もった。
さっそくGOROと一緒に1年ぶりの雪遊び。

遊んでもらっているのは私のほうだった。









温かかったのでここまで伸びてきたチューリップがまた雪に埋もれてしまった。

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WBCガン無視のアメリカ。

2017-03-13 00:40:34 | アメリカ生活雑感
前からそうだけれど、アメリカではWBCが完全に無視されているので、全くと言っていいほど情報が入ってこない。
結果だけ見たってつまんない。
パソコン中継を見て絶叫した最初の頃が懐かしい・・・。

というわけで、大昔に「Kappo」というWebサイトに書いた記事を懐かしいのでここに再度UP。
(残念ながらアーカイブは残っていないので)



★ SHOKOのシカゴ的生活 ~Vol.5~

メジャーリーガーたちが見た“世界”は
WBCの未来の扉を開けるか?



アメリカでWBC情報を得るのは至難の業。

「Big man comes through in the big game for team Japan again!」(すごい男がビッグゲームでチームジャパンのために再びやってくれた!)
WBC決勝。延長10回の日本の攻撃でイチローが決勝の2点打を放った瞬間、アメリカのスポーツ専門チャネルESPNの実況アナウンサーが絶叫した。
この日私は、日本のテレビ動画とESPNのライブ中継を同時にパソコン画面に小さく並べての観戦体制を敷いていた。しかし9回あたりから、閲覧者のキャパシティを超えたために日本からのテレビ中継はあえなくダウン。勝利の瞬間はせめて日本語の実況を聞いて感動を分かち合いたい、という願いもむなしく、最後までサーバが回復することはなかった。試合終了後、ESPNの動画中継はさっさと終わってしまい、勝利の余韻に浸ることもなくその晩は欲求不満のまま眠りについた。
3年前もそうだったが、アメリカでWBCを見るのは一苦労だ。唯一放映しているESPNを見るためには、視聴者はバカ高いケーブルTVもしくは他の有料サービスに加入しなければならない。つまり、日本のように誰もがWBCを普通に見られるわけではないのだ。また、新聞のスポーツ欄をみてもほとんど見落とすくらいの扱いで、アメリカでWBCを楽しみにしている人たち(ほとんどが日本人、韓国人、キューバ人だが)をイライラさせどおしだった。この温度の低さはいったい何なんだ?


Photo/worldbaseballclassic.com


2006年・第1回WBC決勝。日本がキューバを破った瞬間
(TV中継を求めてはしごした3軒目のスポーツバーでやっと撮影/カリフォルニア)


アメリカ人がWBCにかまっていられない3つの理由。

実はアメリカでは毎年この時期(3月)、全米カレッジバスケットボール大会、俗に言う“March Madness(3月の狂乱)”が開催され、人々を熱狂の渦に陥れる。日本でいうなら「高校野球」といったところ。もちろん地上波チャンネルは連日連夜、時間を延長してまで試合の生中継に忙しい。夜のスポーツニュースは、まずカレッジバスケットから始まり、NBA(全米プロバスケットリーグ)、NHL(全米プロアイスホッケーリーグ)、そしてMLB(メジャーリーグ野球)のオープン戦結果と続き、最後にようやくWBCに順番がまわってくるという具合。つまり、この時期のアメリカ人はひいきのスポーツ観戦で超忙しく、なかなかWBCという聞きなれない大会に関心を移す暇がないのが正直なところ。
また、「メジャーのスター選手たちは出場を辞退している」という、メディアが流す後ろ向きなイメージも、この大会を盛り下げている一因だ。メジャーの選手たちにとってこの時期は開幕前の大事な調整時期。新旧チームメートとのポジション争いも熾烈なうえ、もし怪我でもしてシーズンを棒に振ったら即トレード、最悪クビになる可能性すらある。なのにWBC出場中のリスクに対して彼らには何の保障もない。前回WBCに参加したピッチャーのうち14人は4月~5月で故障者リスト入りし、5人に4人は前年度よりも防御率が落ちていることも『USA Today』のリサーチで明らかになっており、高額の年俸を支払っている球団側も、商品が傷モノになることを恐れてピリピリしているという。
野球選手は“一個人事業主”であり、リスクへの判断は自分で下さねばならないのは日米とも同じはずなのに、日本では代表チームへの参加を辞退した選手や球団が“非国民”扱いされ、アメリカではむしろ辞退することを歓迎する風潮すらある・・・「集団の価値観」という文化の前には、当たり前の議論も正反対に動くというのは、実に興味深い。


アメリカ国外のことには何も関心がないアメリカ人。

しかし、アメリカで暮らしていてもっとも強く感じる要因は、アメリカ人の根っこにある“アメリカ至上主義”ではないかと思う。いはく「そもそもメジャーは世界のトップスターたちが集まった世界一の野球リーグであり、世界一を国別に争う意味なんかない」。そのうえ、“出稼ぎスター”たちが祖国に戻ってしまった空虚なチーム=絶対に勝つとは断言できないチームに対するアメリカ人の態度は、呆れるほど冷ややかだ。
これは何も野球やスポーツに限ったことではなく、政治や文化、全世界的な問題(地球温暖化問題などもそのひとつ)などに対する日ごろのアメリカ(人)の態度を見ていれば合点がいく。「アメリカは世界だ」と自負する人々は、自分の国の中で完結することを好み、他国の情報やましてや交流には全くと言っていいほど興味関心を示さない。ましてや負けるところなんか見たくもない。アメリカ一を決めるゲームを“ワールドシリーズ”と呼ぶのもしかり。このアメリカ至上主義がたまたまWBCでまた浮き彫りになった、ただそれだけなのだ。


WBCの目的は大リーグの市場拡大と人材発掘。
関心の全ては「the next big foreign import(次なる輸入=メジャー入りする人材)」に向けられている。
(“シカゴ・トリビューン”記事)


「祖国かチームか」究極の選択に悩む大リーガーたち。

WBCへの参加をめぐっては、メジャーリーガーたち、とりわけ外国人選手たちにとって相当な葛藤があった。シカゴ地元紙「シカゴ・トリビューン」で、現在シカゴカブスで活躍するピッチャーのカルロス・マーモル選手(ドミニカ出身)がその揺れる心のうちを吐露していた。彼がドミニカ代表としてWBCに出場を決めたとき、ピネラ(カブス)監督が『彼がいない間、ケヴィン(ストッパーを争うライバル投手)がすごい球を投げるようになるだろうよ』というようなきついジョークを飛ばし、それを聞いたカルロス選手はびびって参加をとりやめてしまった。
「難しい決断だよ。ドミニカチームにもNOとは言えないし。ボクにとってはじめての(WBC出場の)オファーだったのに、それを断るのはきつかった。国に帰ったとき国民がボクを責めないでくれることを祈る」とマーモル。しかしその7日後、ドミニカチームの監督に「義務感と愛国心」を問いただされた彼は、またしても心を翻すことになる。この揺れる想いはしかし、アメリカ人には滑稽に映るらしい。
「アメリカに魂を売ったやつ、愛国心のないやつと祖国の人たちの怒りを買うことを恐れる外国人選手の気持ちなんか所詮知るもんか、というのがほとんどのメジャーファンの気持ちだろう」と記事は指摘する。
2008年にカブスに入団した福留選手も“血祭り”にあげられたひとり。
「コースケ・フクドメは、昨シーズンの後半はまったくの不調に終わったのだから、この春のトレーニングでこそ(チームに残って)復調を証明すべきなのに、それよりも日本チームに参加することを選んだ。それもカルロスと全く同じ理由なのだろう」と、皮肉たっぷりだ。「4年間で4800万ドル(当時のレートで約54億7200万円)も支払っている選手は、まずチームをメインに考えるべきだ。シーズン後半はボロボロだった選手がWBCだって?今の彼はアメリカの環境にもっと慣れることが先決だろう」と手厳しい。
 まずメジャーありきのアメリカで生きる外国人選手たちは、どんな雑音にもタフでなければ生きていけない。


カルロス・マーモル選手(左)は、最後はピネラ監督(右)の「心配するな」の一言で出場を決めた。
Photo by/ http://mlb.mlb.com/news (AP)



「U.S. good enough to win」
(アメリカチームには勝つ力があった)


「主要選手の辞退が相次いだアメリカチームは戦力的に決して強力とはいえない」― 大会前から、そして日本に負けて準決勝敗退した後、MLBコミッショナーがしきりに口にする言い訳だ。まるで“抜け殻”のように言われ続けたアメリカ代表チームの選手たちは、実際どう感じていたのだろう?
「U.S. had enough stars to win but simply was outplayed by Japan in the semifinal game.(アメリカチームは十分勝つ力のあるメンバーだった。ただ準決勝では日本が勝った、それだけのことだ)」3月25日付のシカゴ・トリビューン紙で、代表チームに参加したシカゴカブスのテッド・リリー投手はこう反論している。「勝負には必ず勝つなんて保証はないんだ。ドミニカチームも多くのスター選手を欠いていたし、(アメリカが初戦で負けかけた)カナダチームもまた主要スターを欠いていたわけだしね。つまりは勝ち残ったいいチームのうち、最終的に日本がベストの野球をしたということだよ」。
リリー選手だけでなく、実際にWBCに参加したアメリカ代表選手たちは全力で戦い、そして敗れた。でも彼らは無駄に参加し敗れたわけではない。他のメジャー選手ができなかった「アメリカ以外の野球を肌で感じた」という貴重な学習をした。リリー選手は、最も強く印象に残ったこととして日本チームの試合前の練習をあげている。
「日本チームは特に難しい守備練習にものすごく時間をかける。これはメジャーでは普段見られない光景だったね。それに試合で強打者がバントをしてくるのも驚いた。メジャーのようなパワーにたよるゲームではなく、三振をとられないヒッティングスタイルというのもまったく違っていた。上位を争う投手戦では大切なことだ」

「MLBの陰謀」、「世界大会にあらず」・・・などととかくケチばかりつけられるWBCだが、代表チームとして戦った選手たちの真剣プレーは見る者を文句なく熱くしてくれた。何より“ケチの中枢”にいたアメリカ代表選手たちが、純粋にメジャー以外の世界の扉を開け何かを学びとってくれたことが、次への一歩につながると希望をもって信じたい。WBCを真に変革していけるのは、実際にこの“世界大会”を通して野球の醍醐味を再確認した選手たちにほかならないからだ。アメリカのものでも日本のものでもない、野球を心から愛する人たちの大会に少しずつ変わっていくWBCを、野球ファンのひとりとして長い目で見守っていきたい。
WBCのおかげで、今年はメジャー観戦も面白くなりそうだ。


この記事は、筆者の実際の体験に基づき、新聞記事やMLBオフィシャルサイトなどを参照しながらまとめたものです。
その他の参考記事は以下のとおりです。

「アメリカが未来永劫WBCで優勝できない理由」(李啓充)
http://number.goo.ne.jp/baseball/mlb/column/20090326-1-1.html

「選手の出場辞退で騒動勃発!本質的な「矛盾」を抱えたままのWBC」(スポーツジャーナリスト/谷口源太郎)
http://diamond.jp/series/sports_bubble/10010/?page=2




リコメンダー  長野尚子

塩釜で生を受け、塩釜神社で名をいただき、松島の魚介で人生最初の味覚を授かった“三陸ネイティブ”。徳島“阿波”育ち。神戸で大学生活をすごし、出版社の編集者として大阪、東京でディープな日々を過ごす。退社後、カリフォルニアに武者修行へ。現在はシカゴ郊外在住。ブルースな流転人生真っ只中。
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アジア映画の祭典、始まる。

2017-03-07 19:54:50 | アメリカ生活雑感
仕事の一環で、「アジアン・ポップアップ・シネマ」というアジア映画祭のオープニングに行ってきた。
今回で第4回目だというから、まだ歴史は比較的浅い。
創設者のソファアさんは、香港出身の映画スペシャリスト。シカゴでアジアの映画祭を、との夢を実現したのが2年前の2015年。非営利団体のため、運営費は全て個人や団体からの寄付、チケットの売り上げでまかなっているそうだ。
こういうことは情熱がなければできない(もちろん自己資金も。)
彼女の話を聞きながら、好きなことにとことん突き進む情熱がうらやましくもあった。
私も力をもらった。

その時の記事を書きました。

People's Festival (観客のための映画祭)、「アジアン・ポップアップ・シネマ」
3月1日から5月3日まで開催中!



オープニングに選ばれたのが、日本映画『サバイバルファミリー』。
これがまた、面白い。というか、本当によく練られた作品。
無駄なシーンやセリフがひとつもない。もちろん俳優陣の演技も素晴らしく、この配役しか考えられなくなる。こういう映画、久々に見た気がする。
一緒に見に行ったPちゃんも、終わってからスタンディングオベーションしようかと思った(でもみんながしないから恥ずかしくてできなかった)そうだ。
映画を観終わった後に、何日たっても「あのシーンはどうだったね」と話ができるそんな映画は久しぶりだ。



 
(c)Shopia'sChoice Presents
前日にはソファアさんの自宅で、メディアを招いての監督インタビューがあった。
ソファアさんのお手製のランチをいただいたあと、たっぷりと時間をとっていただけた。こういう心遣いにも彼女の情熱が感じられる。
矢口監督は、物静かな感じのなかにも絶対に譲れないコアを持っている人。本人は「僕はサドなんです」と言う(笑)
ある意味そうじゃないと監督はやれないよなぁ。



(c)Shopia'sChoice Presents
オープニングナイト。矢口監督をはさんで
監督一行は前々日にシカゴに到着して、翌日はメディアインタビュー、この日はオープニングで、翌早朝に帰るという強行軍だったそうな。



(c)Shopia'sChoice Presents
左が、この映画祭の生みの親、ソフィアさん。


映画上演後は、客席とのQ&Aコーナー。
モデレーターは、ジャパンタイムズのマイケル氏。(バックの字幕がJapaan Timesの誤表記になっているのが気になって仕方ない(笑)


(c)Shopia'sChoice Presents

この映画祭は5月3日まで。
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アメリカで着物を普通に着る会

2017-03-02 17:57:04 | アメリカ生活雑感
今年のテーマは「着物を着る」。
少しでも多くの機会を設けて、着物を着たおす、これが目標。
母もきっと喜ぶはず。

折しも昨今、海外在住者の間で「着物を普段からもっとクールに着こなそう」、というムーブメントがおこっているらしい。
せっかく持っている着物のひとつやふたつ、タンスの肥やしにしているのはもったいないし、
なんといっても着物は日本人の民族衣装。アイデンティティーを自覚するにもいいかもしれない。
見た目もきれいだし、気持ちもしゃんとするしね。

というわけで、2017年に入ってからの着物履歴。

■第1回■
リリックオペラハウス(2月4日)

シカゴを拠点に活躍する、さまざまなジャンルのボーカリストによる歌の祭典「Voice of Chicago」。
メトロポリタン・オペラ、サンフランシスコ・オペラと並ぶ、アメリカ3大オペラ・ハウスの一つである、リリック・オペラ・オブ・シカゴは、1929年に建設された歴史ある建物。
普段はちょっと敷居が高そうでなかなか中に入れる機会もないのでこういうお気軽なイベントはとても助かる。
この紅型の着物はちょっと子供っぽいのだけれど、アメリカ人にはわかんないからいいや。
日本でならとても着られないけど、アメリカはこういうなんでもありなところが楽でいいよね~(笑)
ただ、着くずれしまくったのが本日の反省点。
長時間座っていても苦しくないようにと、なるべく紐類はゆるめにしたのが仇になったみたい。



















■第2回■
シカゴ・シンフォニーオーケストラ・ホール (2月26日)

太鼓パフォーマンスグループ「鼓童」を観に行った。
今迄何度も見る機会はあったのに、実は今回はじめて。
2012年から昨年まで、芸術監督にあの坂東玉三郎さんを迎えての新作「DADAN(打男)」の北米ツアー。
玉さまのご趣味か(?)男性のみの勇壮なステージ。
「2時間打ちまくる」という宣伝文句のとおり、ひたすら打ちまくるスタイルの太鼓だった。





  
今日はちょっとカジュアルな、大正ロマン風。
大正から昭和にかけての女性の普段着、お洒落着として大流行した平織りの絹織物、「銘仙」。
帯や小物の組み合わせが結構自由で、着ていて楽しい。



羽織も銘仙。丈が長めなのがおしゃれ。


「ブルース・ブラザーズ」と大正ロマンの組み合わせか!?


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宗教はなんのため? ~その2

2017-02-24 16:55:29 | アメリカ生活雑感

母の四十九日法要を無事終えて、やっと長い1年が終わったようなほっとした気持ちでシカゴに戻った。
アメリカではお葬式のことをよく「セレブレーション」と呼ぶけれど、まさに私たちは母の人生を祝福できた、そんな満足感でいっぱい。
仏教的には、もっと厳かに静粛に進めなければならないのだろうけれど、普段そんなに信心深くしていたわけではないのにこの期に及んで急に神仏にお願いするのもなんだか虫がよすぎる気がして、儀式自体は「真言宗的」にとりしきりつつ、全体的にはいたってオープンに母の好みを汲んで執り行った。
このことが家全体を明るくしてくれた気がする。
それもこれも、全て母が導いたのだと思う。

もともと辛気臭いことが嫌いだった母。
自分のことよりも、人一倍家族の心配ばかりしていた母。
だからなおさら、私たちがくよくよしようものなら「なにやってんの、ちゃんとしなさい。辛気臭いわね」と怒られるようで、みんなで普段通りの日々を過ごした。

お葬式の日も、父と姉夫妻と私の4人でお寿司を食べながらテレビを見ていたし、四十九日の日も、神戸から駆けつけてくれた大切な友人ふたりを交えて5人で昼間から飲んで食べて、夜は焼き肉。さんざん母の暴露話をして盛り上がった。
「本来なら精進料理だろー?」と笑いながら。

私の中では「なにを信仰するか」なんかもはやどうでもよいこと。
今回つくづくそう思わせてくれたひとつは、Pちゃんの両親の温かい心遣いだった。


Pちゃんの両親は、敬虔なクリスチャン。さらに彼らの長年の友人であるカトリック神父、マニュエルとはここ数十年3人で一緒に暮らす仲だ。
母が亡くなったことを義母に伝えたら、さっそくスペインの両親とマニュエルはクリスマスのミサのなかで、母のために特別の祈りを捧げてくれ、そのときの写真を送ってくれた。




母の親戚や親しい友人は皆、遠方(北海道)にいるため、母は元気なときにすでに彼らを訪ねて「これからはお互い年なので、もし何かあっても行き来はなしにしましょうね」という約束をしてたらしい。
こういう準備だけは異常にいい母なのだ。
会ったこともない人たちから形式的な弔問を受けるより、家族だけでゆっくりと愛にあふれるお別れをしたいと望んでいたという母の遺志をくんでのお葬式。それでもやっぱり少数で見送るのは心細くさびしかったのだけれど、同じ日に地球の反対側で、こんなにも多くの人たちが母の人生を祝福してくれているということが私たちにとってどれほどの慰めになったことだろう。

この愛のかたちには、仏教もキリスト教もないのだ。

 
さらに四十九日当日にも、マニュエル神父が教会を借りて母だけのために特別なお祈りをしてくれた。


また、四十九日の法要の際には、スペインの叔母家族(マリベルー叔母さん、その娘のネカネ、ネカネのご主人クリスチァン)と、Pちゃん両親とマニュエル神父から我が家に素敵な花束が届いた。




母が丹精込めて育てていた庭の梅を借景にして。



お花を届けてくれた宅配の人は、「確か“お悔やみ”、ということだったのですが華やかにしてほしいと言うご注文でしたから・・」と少々戸惑っていて、なんともおかしかった。
「仏前花」は白を基調にしんみりと、というのが慣わしだろうけれど、母のことをよく知るスペインの家族は母のイメージに合う明るいカラーの花束を注文してくれた、その心が痛いほどうれしかった。

せっかくなので、私もシカゴの友人から頂いたお香典で、器にいっぱいの桜の枝をお花屋さんに頼んでおいた。
新しい命が芽吹くこの季節を何よりも楽しみにしていた母にとって、このカラフルな花に包まれたセレブレーションはさぞううれしかったことだろう。


2月11日


2月23日現在 八分咲き


さらに忘れられない思い出は、私が日本語の個人教授をしているアメリカ人の友人、ローレルからのお見舞いの品。

長い間日本に帰ったままの私を心配して、彼女はPちゃんに連絡をしてわざわざこの美しい手編みのショールを届けてくれた。




このショールは、彼女が通う教会のメンバーが母の回復を祈ってひと針ひと針編んでくれたもの。
いわゆる、アメリカ版の「千人針」だ。
アメリカのクリスチャンコミュニティにはこういうトラディションがあるらしい。
このショールを、Pちゃんが父と私の待つ徳島にわざわざ持ってきてくれたのだが、そのとき私たちはどれほど救われただろう。
見ず知らずの者のためにひと針ひと針編んでくれたこの気持ちのこもったショールで、母は生きる力をいただけたのだと思う。
翌日病院に行って、母にこの話を聞かせ、胸元にこのショールをかけてあげた。
どんな宗教のどんな言葉よりもパワフルな究極の愛だったと思う。

こうしなきゃいけない(さもなくば・・・)、と言われると宗教はもはや恐怖でしかないけれど、
自分の心の中にしっかりとした柱(信念)を持ち続けている限り、宗教をうまく取り入れると人は平和に過ごせるのかもしれない。

信じる者は救われる。

(でも)信じない者はもっと平穏でいられる。

これが宗教?
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宗教はなんのため? ~その1

2017-02-01 22:37:30 | アメリカ生活雑感
「テロ対策」の名のもとに中東7か国からの入国制限が始まり、アメリカは混乱を極めている。
いよいよ“あの時”のようにきなくささが漂い始めた。
つまるところ、人類は何千年も前から何も変わっちゃいないのかもしれない。自分たちが信じるものを信じない奴らは、いつでも敵となりうるのだ。
「宗教」という名の最終兵器である。

日本が“平和”なのは、国民が一方向を向くような強い宗教がないからかもしれないな、と海外暮らしをしているとつくづく思う。
神道、仏教、キリスト教、少数派だがイスラム教に儒教。もちろん多くの人は無宗教。すべて個人の自由であり、そのことで差別をしたり殺し合いに発展することはまずない。
裏を返せば、命を懸けて信仰するような人の割合が少ないということだろう。

かくいう私も、良くも悪くも何の宗教も信仰ない環境で育った「無宗教派」である。
厳密に言えば仏教(仏教は哲学であって宗教ではない、というのが一般説らしいが)と神道(こちらも宗教の範疇には非ず)のごちゃまぜだ。
お寺めぐりをしては仏像に手を合わせるし、初詣は神様に柏手を打って一年の安寧を祈る。
とにかく祈れる対象はなんでもいいから祈っておこう、というのが本音。
節操のない日本人的宗教観の代表選手だ。
だから、「あなたの宗教はなんですか?」と聞かれたら、相手によって返事を変えることにしている。
相手が外国人だったら、「特にありません。I'm agnostic(アグノスティック:どちらでもない人、もしくはこだわりのない人)」と答えるし、日本人同士なら、「決まったものはありませんが、我が家はお寺さんにお墓を管理してもらっているから仏教です」と、どうにでも逃げられるような返事をする。
お経の一つも読めないくせに仏教徒などと言ったら本当の信者さんの怒りを買うだろうけれど、趣味は「お墓参り」でご先祖様に手を合わせていると自分の心が穏やかになり安らぐのだから、全くのウソではないと思う。
要は、心のよりどころの問題。

そもそも、宗教って何ぞや?そして何のためにあるのだろうか?
この究極の問いかけを長い間ずっと頭のなかでぐるぐる続けてきたけれど、母のこともあって最近ようやくその結論らしきものが自分で整理できた気がする。

宗教とは、
所詮は死んでなくなってしまうちっぽけな人間の、慰めのツールである。

宗教とは、
「死」をうまく理解・納得し、それに向かうための「生」を心地よくするためのものである。

さらに言うなら、
信じることで死への怯えが薄まり、また、死んでいく人への悲しみを癒すことができる心のよりどころ。(これが極端になると「自爆テロ」のような悲劇が起こることになる。)


母が私にくれた最後の3か月という時間の中で、私はこんなことをいろいろ考えたし、そうせざるを得なかった。
もし母が今亡くなりでもしたら、私はどうしたらいいんだろう?という強迫観念がそうさせた。
変な話だが、何をどう準備すればいいのかわからなすぎて「無宗教」である私はとても狼狽し、途方にくれていた。
しかし、本人からの詳細な申し置きがない以上、家族(または友人)がその責任において本人の気持ちを汲みながら突き進んでいくしかないのだ。
それをできる人は他にいないのだから、多少間違ったところで許してくれるはずだ、と信じるほかない。

だから、3か月の間私はいつも母になりきって全てを切り盛りし、一日の終わりには母に「これでよかった?」と胸の中で対話をし続けた。
その時間のなかで、母なら絶対にして欲しいこと、私が母だったらしてもらいたいことを、私は何の後悔もなくやリ遂げるんだ、と心が決まっていった。


 手入れを怠らなかった庭の手入れを完璧にすること。
 家の中はいつも清潔に掃除すること。特にお玄関はいつ人が来ても恥ずかしくないようにピカピカにしておくこと。
 急ぎの時にあわてて探さなくてもいいように、家の中のモノを在りかを把握しておくこと。
 季節遅れのものはさっさと片付けておくこと。
 どの部屋もお花を絶やさず、明るくしておくこと。
 戸締りはきちんとすること。
 朝昼晩、気を抜かずに栄養のあるものを食べて笑顔を忘れないこと。
 普段通りの生活を、粛々とすること。
 めそめそしないこと。
 何が起こっても、大騒ぎせず質素かつ清く正しくふるまうこと。
 家族全員、いつまでも仲良く健康でいること。

形式や儀式や、ましてや準備なんかじゃない。
こうした日常のひとつひとつが、母の教え=私だけの宗教だと気付いた。
形式や儀式は、プロに任せればよいこと。
他人ができないことを粛々とやる、それが家族の仕事なのだから。

今から思えば、この時間は母の私に対する「試験」だったのだと思う。
自己採点では、まぁまぁ合格点もらえたかな?・・いやいや、もらえないと困る。
あたしゃ今まで精いっぱいの親孝行をしてきた自信はあるからね。
それに、今まで無駄にケンカしてきたわけじゃない。何が好きで何が嫌いか、許せないものは何か、母の価値観は痛いほどわかっているつもりだから。




おっと、日本人と宗教の話をしようとして、結局大きく脱線しちゃった。(苦笑)
というわけで、このテーマは「その2」に続く・・・。

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母は強し。女は強し。

2017-01-22 15:40:41 | アメリカ生活雑感
1月21日(日本時間1月22日)は、母が亡くなってちょうど1か月の月命日。・・と、さらりと書いている今も全く実感なし。
去年の今頃は、よもやこんなことになるなんて全く予想だにしていなかったから。
でもこれが、人間という個体の命の不思議なんだな、とつくづく思う。

その1月21日、アメリカでは歴史を揺るがすような大変なことが起こっていた。
トランプの大統領就任に反対する大規模デモが全米各地で繰り広げられ、その動きが世界にも広がり約300万人もの人たちが参加。
「Women's March」と名付けられたこの抗議デモに参加した80%は女性だった。女性への性的なハラスメント、差別発言を繰り返す品性のかけらもないトランプへの怒りが全世界で爆発した。

シカゴでも15万人の人たちがグラントパークを埋め尽くした。
8年前、オバマ大統領誕生の瞬間、10万人以上の人たちが押し寄せて歓喜した同じ場所で、今度は「トランプ許すまじ」の叫びがあがった。

実はトランプは大統領選挙のPopular Vote、つまり「国民による実際の投票数」では100万票以上の差をつけられてヒラリー・クリントンに大敗していた。にもかかわらず、アメリカ大統領選挙の複雑かつトリッキーな仕組み(選挙人総取りシステム)によって、国民の意思に反して大統領を勝ち取ってしまった。
このことに人民は黙っていられなかったわけだ。

今から思えば、日本に帰っていた昨年の9月からの3か月、この「世にも醜い大統領選挙」を見ずにすんだ、というのが私にとって一番の安らぎだったかもしれない。(Pちゃんはこの間、テレビと新聞をキャンセルしてメディアをシャットアウトしていたそうだ。それほど、大統領選というのは見ているほうを憂鬱な気持ちにさせるのだ。)


母のことに話を戻そう・・。


母の出身は、北海道・函館。
その函館の女が、50年も前に徳島に遠路はるばる嫁に来た。
当時は、徳島なんてまるで異国だったに違いない。いや、いっそのこと異国のほうが言葉も文化も違うからまだ諦めがつくが、「どこの馬の骨ともしらん、蝦夷(えぞ)の女が長男の嫁とは!」と風当たりも相当強かったそうだ。
しかし、そこを黙っちゃいないのが、うちの母。函館(ハマ)の女は、気が強いのである(笑)。
若かりし母は、祖父母(つまり舅や姑)とも相当やりあったらしい。(らしい、というのは私がまだ小さすぎてあまり覚えていないため全て本人、または姉からの又聞き)

そんな経験からだろう、いつの頃からか母は娘たちに「ここ(田舎)にいちゃだめだ。どんどん外に出なさい」と言ってきかせるようになった。外に出て、リベラルな目を持ちなさい、「どこそこの出身だから」とか「女だから」というだけで人間を見下すような小さな世界に留まっていてはいけない、そう言いたかったのだろう。
女の子は県内の大学(または腰かけ就職)を出て、そのうちお嫁に行けばいい、というのがまだまだ田舎の風潮だった時代、娘をふたりとも大学からさっさと県外に送り出した母の勇気もすごい、と当時の母の年齢になってつくづく思うのだ。
そのおかげで、私たち姉妹は大学を卒業してからは、それぞれの道を思い切り進むことができ、自立することができた。
娘への激励ともとれる叱咤は、差別されて悔しい思いをしてきた彼女なりの最大のリベンジだったのかもしれない。

眠っている母の顔には、なんだかそんな達成感が漂っていた気がする(笑)


以前、オバマ大統領が、亡き母の思い出をテレビで語っていた。
「やさしく温厚で、ほとんど怒ることのなかった母が唯一怒りをあらわにしたのは、肌の色など生まれならの違いによって人が人を差別したときだった」と。
白人(アメリカ人)の母とケニア人の父の間に生まれたオバマ氏は、小さいころから白人でも黒人でもない自分のアイデンティティーにもがき苦しんでいた。
当時、黒人と結婚した母への世間の風当たりも相当だったにちがいない。
幼心に深く刻み込まれた母の怒り。それがその後の彼の原動力となり、“アメリカの縮図”ともいえるシカゴ・サウスサイドへと彼を向かわせ、アメリカで暮らす全ての人が、差別なく暮らせる社会をつくる夢を抱いて、大統領へと向かわせたのかもしれない。


もし私の母がアメリカへの日系移民だったら。
もし、オバマ氏の母親がこの時代にここに生きていたら、
ふたりは絶対このマーチに参加していただろう。


そんなことをふと思いながら、今宵も母と一献。







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