Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

We will rock you!

2005-10-31 11:41:00 | music/festival

photo by BARKS (http://www.barks.jp/)



最近文化的活動をしていないことにはたと気づき、クィーン(“QUEEN & PAUL ROGERS”)を見に行くことにした。
私は実は、そんなに彼らのファンだったわけではかった。存在は知っていたものの、中学生当時は彼らの音楽がとても遠く感じたし、そうこうするうちにフレディーはこの世を去り、熱狂的なファンのようには彼の死を悼むわけでもなかった。
それでも時を経て、彼らの音楽に純粋に接する機会が触れるにしたがい、その宇宙的ともいえる奥深さにたちまち引きずり込まれていった。
でも、フレディーはもういない。
QUEENはもはや、“現存”しない存在となってしまっていた。

今日はそんなQUEENとの、奇しくも遅すぎる“最初の”出会いとなった。熱狂するでもなく、立ち上がるでもなく、とにかく今日はじっくりと純粋に音を楽しもう、とのぞんだ。

フレディーの替わりというプレッシャーの中、この大役を担ったヴォーカルのポール・ロジャースは、純粋に歌い手として申し分なく上手かった。
(彼を見るのは2年前、アメリカで見た「BOSTON」のOpening Actでの「Bad Company」以来だ。)
ファンならいろいろ言いたいこともあるだろうけれど、私はポールが“自分は自分”という歌唱を楽しんでいた気がする。ベテランのなせる懐の深さ、そして何よりも彼らとの信頼関係があってこそだろう。
ライブの構成も“QUEEN”と“PAUL ROGERS”という棲み分けをきっちりとしていた。純粋にQUEENを楽しみに来た人にはいまいちだったかもしれないけれど、私にはむしろこのWe will Rock U な構成が楽しかった。

大ファンでもない私が、それでも不覚にも涙を流した瞬間―それはロジャー・テイラーとブライアン・メイがアンプラグドで数曲、せり出しの舞台上で歌ってくれたとき。
そう、歌った、じゃなくて、「歌ってくれてありがとう!」という感情が心のそこから沸き起こってきた。
ロジャーの声は少ししゃがれた私好みのセクシーヴォイス。方やブライアンは信じがたいほどの音域と堂々たる声量。この年齢にしてどうしてこんな声が出るのかと驚愕した。そしてときどき、フレディーが乗り移っていた。
「フレディー、君は今もここにいるよ」ロジャーがつぶやいたこの一言でもう、涙、涙・・。
本当にフレディーはいたんじゃないだろうか。
ラストソングの「ボヘミアン・ラプソディー」。前半は大スクリーンに在りし日のフレディーが映し出され、ピアノの弾き語りを聴かせてくれた。観客全体が、息を呑んでスクリーンの彼を見つめる。この大観衆の一人ひとりは今、どんなことを考えながらこれを聞いているのだろう・・・。

2時間半、観客が一体となったすばらしいライブ。
心からありがとう、QUEEN。
ブライアン、あなたは世界一のギタリストです。


SET LIST

・Reaching Out
・Tie Your Mother Down
・Fat Bottomed Girls
・I Want To Break Free
・Wishing Well
・Crazy Little Thing Called Love
・Say It's Not True ・・・なんて美しいんだ!
・'39
・Long Away
・Love Of My Life
・Teo Torriatte (Let Us Cling Together)
・Hammer To Fall
・Feel Like Making Love
 ~Drum Solo ~ Let There Be Drums
・I'm In Love With My Car
 ~Guitar Solo~
・Last Horizon
・These Are The Days Of Our Lives
・Radio Ga Ga
・Can't Get Enough
・A Kind of Magic
・I Want It All
・Bohemian Rhapsody

アンコール
・I Was Born To Love You ・・・ロジャーとブライアンがふたりだけでしっとりと歌う。観客の大合唱がまさにゴスペル(泣)
・The Show Must Go On ・・・ 個人的には一番好きだった。
・All Right Now
・We Will Rock You
・We Are The Champions
・God Save The Queen







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運勢。

2005-10-30 12:51:00 | アメリカ生活雑感
何を隠そう、大学時代いっとき、細木和子の「六星占術」にはまっていた。
自分の運勢を知りたい、などとおおまじめなものではなく、その考え方を面白いと思って本を読んだりした。
そのとき自分の将来・運勢についてどう書いてあったかはまったく覚えていない。たとえどう書いてあったとしても、今があるのは必然だからだ。
最近、本屋のレジ近くにに絶対というほど並べられている細木和子の“○○人の運命”。面白そうなので約20年ぶりに運勢をみてみることにした。

私は水星人ー(マイナス)。この本によれば、水星人というのは「恋人であろうが親であろうが、親友であろうが、誰に対しても“自分は自分、他人は他人”という考え方を貫き簡単に自分の意見を曲げたりしない」そのために「新しく商売を始めたり、事業を起こしたりすることが得意な“初代運”の持ち主」だそうだ。
一方で恋愛にはクールで、感情の赴くままに突っ走るということはせず、相手から“この人ほんまに自分のこと好きなんかなぁ”と思わるほど冷静沈着、だという。
ま、大まかなところはあたってるけどね。

でも最も興味深かったのは、過去にさかのぼって自分の運勢を見たときだった。
会社を辞めてアメリかに渡った2001年は「立花」。つまり今後の基本的な方向を決定づける重要な年。この時期に得たものは生涯の財産となる、とある。
翌2002年は「健弱」。「運気のウミを出す小殺介で小休止の時期」。振り返ればこの年は学校も終わって次の一手を考えあぐねていた“迷いの年”だった。楽しいだけで終わっていいのか、と悶々としていた頃だ。
そして2003年、「達成」。自分の望みがかない、目的が達成されるという強運気の年で愛情運も充実する、とある。個人的にはここで“不惑”を迎えたわけだが、年初から新しく通い始めた学校で、まさに自分のやらんとしていた充実した勉学の日々を送ることができた。そしてPちゃんと出会ったのもこの年だった。(そのときはこうなるとは思ってもみなかったけれど・・)
そして2004年、3年ぶりに帰国して田舎に身を寄せていたものの、何もやることがなく、毎日が苦痛で精神不安定だった。運気は「乱気」。ここ5年間一生懸命やってきたなら、ここで一休みしなさい、新たなことを始めるのはよくないですよ、という休息の年だったらしい。
2005年、意を決して東京に出てフリーで仕事を始める。運気は「再会」。結婚・就職・開業・引越しなど、すべてにおいて新しく事を仕掛けるチャンスの年、とある。
引越しも開業(仕事)も、そしてギリギリ結婚も、この年に集中したことになる。

こうして過去を振り返ってみると、これは結果論であるとはいえなかなか興味深い。しかも自分で意識せずにうまく運気にのっかって行動していたというラッキーも重なったようだ。
ちなみに来年は「財政」。まさに収穫の年で12年に一度の絶好調期。やることなすことすべてがお金になり、何をやっても成功する、らしい。だからといってぼーっとはしてはいられないんだけれど・・

2006年。アメリカで何を始めようかな。
そう考えると、ブルーになっていた気分も少し盛り返してきた。
つまり「運気」って、そういうものなのかな。

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ネット詐欺!?

2005-10-26 17:09:29 | アメリカ生活雑感
つい先日のこと。
Amazon.comからこんな内容のメールがきた。
「あなたが決済に使っている銀行から、何者かが再三にわたってあなたのクレジットカードからチャージをしようとしているという連絡がきました。・・・あなたのアカウントを再確認して下さるようお願いします」

コレは大変だ、と確認画面をあけるとそこはアマゾンのアカウント確認画面。
でもここにクレジットカード番号を言われるがままに入力していいものかどうか?う~ん、でもこの画面は間違いなくアマゾンのHPとリンクしている。
いや、そっくりに作ることは誰にでもできるしなぁ。

そこで、アマゾンのカスタマーサービスに直接メールをして聞いてみることに。
「こんなメールがきたんですけど、これって間違いなくおたくから発信されたものですか?」

数日後、返事がきた。
「The e-mail you received was not from Amazon.com. We are investigating the situation, and we appreciate you letting us know that you received this.If you did not click on the link in the spoofed e-mail, your account at Amazon.com is fine--there's nothing more you need to do.
For your protection, we suggest that you never respond to requests for personal information that may be contained in suspicious e-mail.
It is best to assume any e-mail that asks for personal financial information (or web site linked to from such an e-mail) is not authentic. 」

「それはうちが送ったものじゃありません。疑わしきメールには一切返信されないこことです。個人の決済情報を聞き出すメールはまず間違いなくうそメールだとお考え下さい。」
要するに、これは明らかに第3者による詐欺メールだったわけだ。

だいたい最近1年間は買い物をしていない、アメリカのAmazonからいきなりメールが来ること自体おかしい。でも、もしアメリカに住んでいてこれを受け取っていたら、ちょっと信じたかも。
もともと疑い深い性格(しかもアメリカに行ってから余計に慎重になった)なのが幸いしたようだ。

そういえば、大学のとき財布をなくして警察に届けたその晩にこんな電話がかかってきたことがあった。
「警察です。盗まれたあなたの財布を発見しました。あなたのクレジットカードに●●●●という番号が書かれた紙が張ってありましたが、これは暗証番号に間違いありませんか?」
「いんや、違います」
「そうですか・・・。それでは正しくは何番ですか?」
「そんなもんいくら警察にかて言えまっかいな。明日受け取りに参ります」←すでにここで怪しいと思っている。
「わかりました。では明日●時に●●警察に来てください」
「はい。ところでおたくの最寄は何駅ですか?(←ヒアリングモード)」
「××駅です」
「はい。わかりました(かかったな!××なんて駅、阪神にないで!)」

そのあとすぎさま、同じ体育館で財布を紛失した剣道部同期のMくんに電話。かくかくしかじかあやしいやつから明日財布を取りに来いって電話がきたから、一緒にいってボコボコにしたろやないか。私がオトリになるから何かしかけてきたら木刀で襲い掛かろうぜ。
ふたりともかなり戦闘モードに入っていたものの、結局、警察に問い合わせてウソがわかるとやる気をなくし、その“復讐計画”は取りやめになったのだが・・。

クレジット情報を聞き出す電話やメールは信じちゃだめ!ということを改めて実感した事件だった。
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Deep Impact

2005-10-24 11:17:12 | アメリカ生活雑感
競馬好きの友人に付き合って、菊花賞を見に行った。
京都でやっているのになぜ?
実は、少しでもリアルに楽しみたいと、東京の府中競馬場でスクリーンに映し出されるレースを見に行くファンが大勢いるというのだ。それには驚きだ。
競馬場というと、赤ペンを耳にさしたおっさんたちが、新聞とにらめっこしながら、くわえタバコでワンカップもって歩き回っている、というイメージしかなかったのだが、府中競馬はまさに「家族のための巨大アミューズメント」だった。
外に出るとはるか富士山をのぞむ芝生スペースが広がっていて、小さい子どもたちが思い切り遊んでいるし、カップルはシートを広げてお弁当を食べている。
ここで日がな一日、美しいお馬さんをみながら過ごすのも悪くないなぁ、と思わせてくれるのだ。


なぜか、スダチくん法被をきた人たちが場内をうろうろ。
よく見ると「徳島物産展」をやっていた。
なぜ、競馬場で・・・?
竹ちくわでも買ってビールのあてにしようと思ったけど売り切れ。
で、ちりめんを買った。


Mt. FUJI


さて、この日のレースの目玉はもちろん菊花賞。ディープインパクトの3冠なるか、というところ。
京都での出走の様子がスクリーンに映し出されると、満員の観客席からはうぉ~っという歓声が上がる。(なんでやねん!)



これから始まる大レース~






結果はディープインパクトが予想通りの大勝。強すぎるぜ。
2・3位をどう読むかというところで配当が割れたが、見事に(2位はあたったが)はずれた。玉砕。


美しい夕日を見ながら、競馬場にさよ~なら。
もう来ることもないだろうけれど、なかなか楽しい経験だった。



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ダンナ離れ

2005-10-21 16:03:07 | アメリカ生活雑感
ここのところ忙しくて、1週間があっという間だ。
取材に原稿のやりとりにと、耳と手と口をフルに動かして、一度に5つくらいのことを同時にやっているので、夕方になるともうやる気ゼロ。
よくもまぁ、会社にいるころはコレを夜中までやっとったなぁと、若さゆえの暴走(?)に感心する。

この間、“ハレンチ先生”こと、徳島の大親友が上京してまた我が家に泊まっていった。
なぜこのような不名誉なあだ名がついたかといえば、2ヶ月前に上京した際、たまたま同僚たちが近所で飲んでいたのでそれに合流して一緒にご飯を食べたときのこと。
彼女が中学の先生をやっていた頃、やんちゃざかりの男子生徒たちにからかわれると、自分から彼らにぐいぐい「ない胸」を押し付けてこれでもか!と罰をしていたという話を身振り手振りでやってくれたものだから一同唖然・・。
それ以来いつしかみんなは「ハレンチ先生」と呼ぶようになったのである。
でも、40年近く彼女を知っている私からすれば珍しいことでもなんでもなく、それは彼女のあけっぴろげで誠実な性格だからこそ許される、一種の「愛情表現」みたいのものだ。
昨今の教育現場の荒れ具合を見聞きするにつけ、彼女のようなおおらかな教育者が増えるとそんなこともなくなるだろうに、と思う。

さて。
そんな彼女だけれど、うちに来るたびに漏らす言葉がある。
「私、ここ(東京)に来るたびに、楽しくて(だんなに)悪い気がするんよ」
「へ?何いうてんの?Kちゃん(だんな)やって今頃“あ~。今日はうるさいやつおらんわ”ってのびのびしとるわよ」
「そう言うてくれたらほっとするわ。お姑さんや子どもたちには“東京行ってくるわ”って素直にいえるのに、だんなには何か悪うてよう言わん」

なんでこんなことでこんなに“卑屈”になるの?しかも東京へは研修に来ているのであって、そのついでに我が家に半日滞在しておじゃべりしたり、ショッピングしたりする、ただそれだけのこと。
「はは~ん。それって、実はアンタがダンナ離れしてないだけちゃう?自分がいなかったら何もできないかわいそうな人、って思ってない?」
「やぁ~そうか。そういう考え方もあったんじゃな~。そうかもよ~」

これは、今彼女が受けている「子離れ」に関するコーチングの内容にもそっくりあてはまる。子離れはできているのにダンナ離れできてないのかとお互いに大笑い。

日本人は、いや日本社会においては元来、オトコは黙って家の中心に座っているだけ。そんなお舅さんの周りをこまごまと動き回るお姑さんを見ながら日々生活していたせいもあってか、いつしか彼女も気持ちだけは「私がやってあげなきゃ」病にかかっていたのかもしれない。

そういう意味ではダンナが外人だと楽なもんだわ、とちょっとほっとしている。“相互扶助”が身についているしね。しめしめ。


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看板に偽りあり!

2005-10-15 11:52:27 | アメリカ生活雑感
母の洋裁展帰りに、夏の阿波踊り以来、徳島にちらりと帰省した。
帰りも遅くなったしご飯のしたくも面倒くさいので、両親と3人ですし屋に行くことに。
なんでも母が毎日新聞の記事で目をつけていたすし屋があるという。
記事によると、「仕事を終えたサラリーマンらでにぎわう人気店」「みんなが気安く楽しめる店」だそう。

暖簾をくぐると、すし屋とは思えないしけた雰囲気。
なんというか、覇気がない。
案内された奥の座敷は、さっきまで散らかっていたのを急に片付けたようにほこりくさい。ふすまを隔ててすぐ横では、3~4人のガラ悪そうな中年の男女が酔っ払って大声でしゃべっている。
席について同じことを感じたのか母が「出る?」といったが面倒なので2~3注文してから判断することに。
頼んだのはノンアルコールビール小瓶と生ビール2杯、お刺身の盛り合わせ、アスパラとホタテ炒め。以上。
別にだからどうよ、という程度のまずくも特に驚くほどおいしくもない味。
何よりも、すし屋に来ているという気持ちにさせない、この“はやらない居酒屋”のような暗~いムードに私たちはすっかりやる気をなくし、別の店に移ることに決定。
で、お勘定をあとから聞いてびっくり。
これっぽっちで1万2千円だと~~~~!!!????
ふざけんな~!
なめんじゃね~、毎日新聞!
きっと何も知らない親子3人、県外からの一見さんか何かがネギしょってきたと思ったのだろう。
そういわれれば、少しタチ悪そうだった。
「二度と行かない、こんな店。」というシリーズで一番に紹介したい店だった。

こんな店:繁ずし--徳島市大道2
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“素敵”は自分の似合う色。

2005-10-09 14:15:08 | アメリカ生活雑感
母が長年趣味でやっているのが、洋裁。
私は小さい頃からあまり既製服というのを着たことがなかった。
物心ついて、自の趣味を主張する年齢になっても、母が作ってくれる服は好きで着ていた。
なんといっても仮縫いつきの、フルオーダー。体にしっくりなじむし、生地やデザインの段階から自分の趣味を主張できるので、出来上がりにはいつも満足していた。
タカラヅカが好きだった中学時代は、舞台衣装を真似てマントを作ってもらったり、ちょっといい生地が手に入ったときは、サマードレスを仕立ててもらったりした。
友人の結婚式の司会をしたときも、社会人になって、初めて手がけたビルの竣工式に出たときも、いつも手作り服だった。
いわば、私の“勝負服”はいつも、母作だったわけだ。

そんな母が、数年前から通っている洋裁教室の作品展が大阪で開かれた。
この日のために、重要文化財に指定されている「大阪市中央公会堂」を借り、1年前から作品製作に教室全員で取り組んできたという。
かなりの入れ込みように、これは私もぜひ見ておきたいと出かけたわけだ。

メイン会場には“四季”をテーマとした、色とりどりの自信作がマネキンによって展示されていた。



想像していたよりもはるかに、趣味の域を超えた力作ぞろいだったのにまず驚いた。
何よりもこの日のために、1年もかけて一生懸命製作してきたみなさんの努力に少し感動。


これが母の作品。2点。
コートドレス(左)と、カクテルドレス。
誰がいつ、どこに着ていくねん!とつっこんでみたが、
一応、姉貴用に作ってみたそうだ。

                                                  

サブ会場では“寿衣”の展示がされていた。
寿衣とは、いわゆる「死に装束」。
とかくタブー視されがちなものだけれど、この教室では自分のフィナーレを飾るにふさわしい衣装があってもいいのでは、と
明るく取り組んできたテーマだそうだ。
「寿」の字はめでたい事、祝い事、の意のほかに「命のあること」をも意味するという。



これは先生が手づから染め上げたもの。
飛鳥時代の衣装にヒントを得ているそうだ。
素材はすべて絹。絹か綿という天然素材でないと、美しく焼けないという。



これは母の作品。
とてもエレガントで、着心地よさそう(?)な素敵な作品だった。


先生は、日ごろから介護衣服や障害者の方たちのための衣服を手がけているそうで、そのホスピタリティーはこの作品展にあふれ出ている気がした。

<参照>
山口千代子洋裁教室
*http://www.eonet.ne.jp/~ufmii/

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二都物語。

2005-10-08 12:21:51 | アメリカ生活雑感
週末、大阪に行くことになったので久々に京都に途中下車した。
京都に行くときは相当の覚悟が必要だ。というのも、ここにくると決まって飲みに行くなじみの店があって、そこに行くと絶対に帰れない、から。
なので今回は徒歩圏内にホテルを予約し、万全の状態で京都に向かうことにした。

お店にいく前に、これまた古くからの友人のGちゃんと約1年ぶりに再会。積もる話に花が咲く。
彼女はフリーのテキスタイルデザイナーで、昨今の景気の荒波にのまれながらもたくましく個人事業主として立派に生計を立てている。
しかも毎回感心するのは、彼女は常に10年先の自分像を描きながら、今からできる準備に余念がないことだ。私のように刹那的人生とはほど遠い。
私よりも年齢はずっと上なのだが、“50代は今よりも確実に体力が衰えるからこうやって生活していく”というビジョンをたてて模索している。
デザインの世界がまだアナログだったころからいち早くマックに取り組み、時代の流れをよんで生き残ってきたGちゃん。
熊本の女の心意気を感じ、本当に勇気をもらえる。
めったに会う機会はないのだけれど、こうしていったん会うともう怒涛のようにしゃべりまくり、結局この晩も場所をうつしてもなお話は止まらず、ホテルに帰れなかった・・・。

徹夜で飲んだ体を引きずり、翌日は大阪へ移動。
その内容はこのあとゆっくりと・・・。



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Birthday Party in Ginza

2005-10-08 11:56:00 | music/festival
昨年、還暦コンサートに招待された“ブルース”の森さんの誕生日がもうやってきた。
1年ってあっという間。
久しぶりにお店のドアを開けると、そこはもうライブの真っ只中。
ただでさえ狭い店内が、大勢の観客でいっぱいで、その間をかいくぐるように森さんがサックスを、ドラマーがスネアをたたくので熱気むんむんだ。

森さんのサックスはもう聞きなれてしまってるけど(失礼)、今日いちばんの感動は「アルパ」という小さなハープ。
アルパ奏者の女性が、ラテンナンバーから日本の古い童謡まで7~8曲たて続けに演奏してくれたのだけれど、私たちはその美しい、けがれのない音色にしばしこの世のうさを忘れたのだった。


一緒に行った営業の谷やん(from Osaka)が、
アルパにのせて「あんぱんマン」を熱唱。
顔、怖いで。


演奏中にしゃべると怒鳴られる、“恐怖Bar”ブルース。
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