Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

ライブドア騒動

2005-03-27 19:51:51 | アメリカ生活雑感
最近の報道をみていて、なんだかなぁ、ドタバタ劇を見ているようでなんとも情けない。
改めて日本社会の、つまらない義理人情しばり、若いもんいじめ体質がうきぼりになってうんざりする。
義理は大事だが、いったい何人のひとが直接ほりえもんやフジのトップたちと話をして発言をしているのか?直接しゃべってもないくせに、周りの情報にばかり惑わされて何様のつもりだ、いったい。
それとは別に、昨今の芸能人の出演拒否の“輪”。オーナーがかわったからどうだっていうのよ?
昨今の報道をみていてふと、10年前の“ダイエー事件”を思い返した。
ある日突然、ダイエーに株を譲りました、といわれたあの日。社員にとってはまさに青天の霹靂。普通に出社していた私たち社員は新聞の報道で知らされたのだからたまったもんじゃない。
それでもなぜだか、驚くほど社内に動揺はなかった。
「あしたからダイエーで大根売るんかなぁ」とジョークを言って笑っていたほどだ。
今思うに、たぶんだが、もともとリクルートの社員の中に「会社に対するロイヤリティー」だとか「立派な会社に入社した」という思いがかけらもなかったんだと思う。
もともと一生ここで働くと思っている人は皆無、会社を利用して自分に力をつけ早く独立しようという輩だらけだったおかげで、経営者が誰になろうがなんとも感じなかったのだ。
要するに、会社そのものには何も期待していなかった。
ひるがえって、フジテレビ、ニッポン放送。
護送船団でボケーっとしていたくせに、今になって経営にカツを入れようという新参者に反旗を翻す。アホらしいやら情けないやら。
結局は、誰かご立派な人、会社に引っ付いていないと何もできないからもう大騒ぎなのだ。
もっと冷静に、賢く、この機会を最大限に利用してのしあがろうなんて思う社員はいないのか!
文明開花を支えた明治のオトコたちを、今こそ見習えもののふよ。

 
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『父と暮らせば』

2005-03-27 11:54:44 | movie
前から見たかった映画『父と暮らせば』の特別上映会を、満を持して見に行った。
劇団こまつ座の座付き作家の井上ひさしさんが書き下ろしたこの作品は、1994に初演からこれまでに、すまけい・梅沢昌代、前田吟・春風ひとみ、沖恂一郎・斉藤とも子の三組の、珠玉のようなキャストによって、八演計269回の上演を重ねた不朽の名舞台。北海道から沖縄まで、全国111カ所を巡演し、1997年のフランス、2001年のモスクワ公演でも盛大な喝采を浴びた。

昭和23年、広島の原爆投下から3後の広島。生き残った後ろめたさから幸せになることを拒否し、苦悩の日々を送る主人公・美津江。父・竹造に励まされ、悲しみを乗り越え、未来に目を向けるまで4日間の物語。
娘・美津江役には、宮沢りえ。父・竹造役には原田芳雄。美津江の恋の相手、木下正役に浅野忠信、という超演技派ぞろいだ。
ともすると暗く重くなりがちなテーマを、あくまでも父と娘の二人だけの会話を中心としたある種ユーモラスともいえる手法でたんたんと語り、しかし、心にずしり何かを残していく。
ヒロシマ・ナガサキを語れる世代もすでに高齢化し、日本ではもはやこの悲惨な体験自体が風化していくのではないかという危機感が私の中にも高まっていた。
とかくいやなことは早く忘れましょう、被害者面するのはもういいかげんにやめましょう、という意味のない協調路線が蔓延しているような気がしていた。
一緒に見に行った30年来の親友も、「今度娘をつれてヒロシマに行こうと計画してるんよ。だって最近は修学旅行でヒロシマにもナガサキにも行かへんし、学校でも原爆のことあまり教えてないんやもん」と言っていた。
私たちは中学時代の修学旅行でナガサキに行き、原爆記念館を訪れた。あのときの衝撃は30年経とうという今でも二人の中にいまだ鮮明に残っている。
こうやって親がきちんと問題意識を持って次世代に教育としてつなげていくことこそが、今日本の教育で一番望まれていることではないだろうかと思う。

この戯曲の前口上で、井上さんはこのように語っている。
■ヒロシマ、ナガサキの話をすると、「いつまでも被害者意識にとらわれていてはいけない。あのころの日本人はアジアに対して加害者でもあったのだから」と云う人たちがふえてきた。たしかに後半の意見は当たっている。アジア全域で日本人は加害者だった。
しかし前半の意見にたいしては、あくまで「否!」と言いつづける。あの二個の原子爆弾は、日本人の上に落とされたばかりではなく、人間の存在全体に落とされたものだと考えるからである。あのときの被爆者たちは、核の存在から逃れることのできない二十世紀後半の世界中の人間を代表して、地獄の火で焼かれたのだ。だから被害者意識からではなく、世界五十四億の人間の一人として、あの地獄を知っていながら、「知らないふり」することは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである。おそらく私の一生は、ヒロシマとナガサキとを書きおえたときに終わるだろう。この作品はそのシリーズの第一作である。どうかご覧になってください。


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風雲児の憂鬱

2005-03-23 11:50:43 | アメリカ生活雑感
寝込んでから約1週間、やっと熱もさがり普段どおりの生活に戻った。本当につらかった。
10年前、水ぼうそうで寝込んで以来のつらさだ。
とはいえ、まだ頭の中がぼーっとしていて、舌もしびれている。あまりの高熱で頭のどこかがおかしくなったのかもしれない。

タイから一時帰国中の大学の先輩とランチの約束があったので、ひさしぶりにしゃばに出てみた。
このK先輩は、数年前に大手商社をいきなり辞めて今は某メーカーのタイ法人社長をしている。実は大学時代から「大ファン」を公言してやまない、私の永遠の憧れの人。
大学のときは恐れ多くて直接口も聞けない存在だったから、かえって卒業してからのほうがなにかとランチや飲みをご一緒するなどお話しする機会が増えた。
実は昨年、私もK先輩も同じ時期に「本を出そう」とたくらみ始めた。
私はバークレー日記を、そして先輩は「日本ジェネレーション論」というもので、日本はいま大きく6つの世代によって成り立っているという世代論、そしてこれらの世代の特性をよく知った上でコミュニケーション、マネジメントをしていきましょうという壮大な本だそうだ。
驚いたことに去年の末ごろから一気に書き始め、今はすでに2冊目に突入しているらしい。社長業で多忙な傍ら、よくぞそんなパワーがあるものだと感心する。
この本で有名になったあかつきには評論家になる、というのが目下の野望らしい。
「仕事ではこれから何がやりたいですか?」
と聞いてみたら、意外な答えが返ってきた。
商社を辞めてから今まで、とにかく突っ走ってきた。昔も今も、いわゆる団塊の世代とのジェネレーションギャップに悩みながらもとんとん拍子に業績を伸ばしてきた。赴任先のタイでも、当初は業績も社員の士気もひどかったそうだがやっとのことで建て直しに成功した。今はすっかり業績も落ち着いて、なんだかそれが“落ち着かない”のだそうだ。
私もK先輩と昔から似たようなところがあるのでよくわかるのだけれど、何かに必死になって戦っているときが実は一番楽しいのかも知れない。それがひと段落着いてしまうと、次の「嵐」に身を投じてみたくなる。
じっとしていられない。貧乏性なのかな?
「“風雲児、行くとこなし”って感じですかね?」
「おおおおおおお、まさにそのとおり。うまいこと言うねぇ!そうそう、そんな感じ。なんかすっきりしたわ」
突然口を着いて出てきたこのコトバ、結構言いえて妙かも。
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最悪のバースデー

2005-03-19 20:58:32 | アメリカ生活雑感
ここまでなんともなかったのに、週アタマからなんだか体がだるいなと思ったらいきなり高熱でダウン。
なんとか病院に這っていくと、な、な、なんとインフルエンザを宣告されてしまった。
この人生で初めてである。
アメリカではただの一度も経験したことはなかったのに。ここのところの寒暖の差と疲れがたまっていたのかも。
それにしても、40度の熱が3日以上も続くと、ほとんど死んだも同然。脳みそが溶けてなくなったかんじだ。発症から5日目の今日もまだ微熱が続き、舌の感覚も麻痺している。
もともと何の予定もなかったけれど、誕生日は布団のなかで虫の息だった。トホホ。
やはり健康が一番。
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Session 505

2005-03-14 12:11:50 | music/festival
東京のいいところは、タダでいろんなものを見聞きできる機会がふんだんにあるとこの間書いたけれど、今日はその第2弾。
Jazz友のひろよんに誘われて、今日はNHKの「セッション505」というラジオ公開収録番組を見に行った。彼女はこうやってお気に入りのミュージシャンが出演するときはせっせと往復はがきで申し込んでいて、相手のいないときは私を誘ってくれる。
今日のお目当ては、岡 淳(テナーサックス)&江藤良人(ドラム)のデュオ。
このふたりでどうやって音を広げていくのかと思ったら、今自分が吹いた音をそのまま音源としてその場で重ねていくという、まさに「宅録」を目の前で見るようなかんじだった。
ゲストも大好きなベースの杉本さん、五月人形のようなオルガンの金子さんと、うれしい顔ぶれ。
曲も、岡さんのオリジナル、「パンチパーマちりちり」のようなユーニークなものから、スタンダード曲まで聴くものを飽きさせない。最後の「Yesterdays」は全員による合唱(絶叫)。アフロンキューバ風のアレンジもいかしていた。
こんなJazzの録音、見たことない!
ときどき

*このもようは4月10日、NHKFMラジオで放送予定。
  岡 淳ts 江藤良人ds 金子雄太org 杉本智和b
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日本語を伝えよう。

2005-03-13 01:24:05 | アメリカ生活雑感
海外で日本語を学ぶ学習者は、2003年の調べで235万人にも達するという。
そんな学習者のための教材を開発したり、海外で日本語を教える外国人教師を招いて研修を行ったりする目的で設立されたのが、国際交流基金(Japan Foundation)の付属機関である日本語国際センター。
今日は、その日本語国際センターの設立15周年を記念して開催された公開イベント、「日本語で話しませんか」という無料セミナーに参加してきた。
私の人生における、これからのキーワードのひとつが「教育」にならんでまさに「国際交流」。コトバにしてしまうと堅いが、つまるところは「もっとお互いの文化を知り合いましょう」ということだ。そのためにはその国の言葉を正しく伝える伝導者が必要になってくる。この仕事には以前から興味を抱いていた。
なんといっても、年齢に関係ない。そして世界のどこでも働けるからだ。

さて、このセミナーは大きく2部で構成されていた。
第1部は、駐日スーダン特命大使・ムーサ氏の記念スピーチと、「日本語を学ぶこと、教えること」と題して、海外で日本語を学び現在日本で活躍されている3名と、海外での教授経験を持つ先生方3名との座談会。
続く第2部は、事前申し込みによる参加型プログラム(分科会)という構成だった。私はこの2部にも申し込みをしており、参加を許可されていた。

一部の座談会では、学んだ側と教えた側双方の苦労話や気付きなどが事例を交えて紹介され、私自身のアメリカでの生活を思い出し、思わず何度もうんうんとうなずいてしまった。
教わる側は「本当のコトバは生活してこそ本当に理解でき覚えられたことが多い」「つまりはコトバを通じて文化を学ぶのだ」という意見に集約され、教える側は「コトバを教えることによってより自分のこと、自国の文化について深く考えるようになる」「外国の人たちの“母語”を敬いながら、日本語を教えていくことを大切にしなければいけない」「これは日本語独特の言い方です、のような逃げ口上は教える上では禁句」(金田一教授)という点を強調されていた。
教わった側でディスカッションに参加したのは、ソニー関連会社で採用担当をしている孫さん(中国)、ピレリ・ジャパンでマーケティングディレクターをしているロマニエルロ・ドナトさん(イタリア)、そしてウォール・ストリート・ジャーナル誌の東京特派員、ジニー・パーカーさん(アメリカ)。3人の日本語コミュニケーション力には正直驚かされた。
特に興味を持ったのはジニーさん。彼女は高校生のときはじめて訪れた日本に興味を強く抱いたことが発端で、プリンストン大学で日本語を専攻したのちインターンシップで大阪の会社で1年間OLを経験したという面白い経歴の持ち主。その高い日本語能力を買われてジャーナリズムの道に入ったそうだが、「就職のためでもなんでもなく、私はただ日本をもっともっと知りたかっただけなんです」と彼女は言う。
私は彼女とどうしても交流を続けたいと思ったので、座談会後さっそく話しかけた。教育と国際交流を自分のテーマにしていると話すと、彼女もきれいな大きな瞳を輝かせて「私も教育には普段から関心を持っていて、いろんな人たちとお会いしているんですよ。情報交換できればいいですね。お友達も紹介しますよ。今度ランチでも是非!」と応えてくれた。
こういう人脈の広がりは本当にうれしい。遠く浦和くんだりまででかけていったかいがある!

第2部は、海外で日本語を教えている外国人教師たちと日本語で文化交流を図るという分科会。私のグループは、インド、シリア、韓国からきていた日本語教師たちと「贈り物文化の違い」についてお話をした。韓国はいざしらず、インドやシリアでも日本語がきちんと教えられていることが印象に残った。
ムーサ大使が最初のスピーチで「日本は世界の経済大国であるということを正しく自覚し、日本語をもっと世界に伝えていく努力をしないといけない」と言っていたけれど、この本当の意味が体の中をまっすぐに入っていくのがわかった。
私の中のもやもやとしたものが少しずつ晴れていくような気がした。
国際交流は、文化交流でありコトバ交流。英語をしゃべるだけが国際化ではなく日本語を正しく世界に広めていくことも大切なミッションなのかもしれない。

その気になりさえすれば、このような無料のプログラムがどこでも毎週のように行われている。
やはり、東京の環境はすばらしい。


*ちなみにこのイベントの様子はNHKで4月16日、11:30~12:40の土曜フォーラムで放映される予定。

みてね~!
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本を出そう!

2005-03-10 13:13:36 | アメリカ生活雑感
長い間棚上げにしていた、「バークレー日記」出版計画が、本格的に動き始めた。
去年10月に某出版社の出版相談会に参加して以来、前進したり後退したり、やる気になったりひるんだり・・と、さんざん迷ったけれど、最終的に“近代文芸社”という出版社で話を進めることにした。
実はこの出版社は、ショーコ・ブラック&しんたろうご夫妻のご紹介。本社が長野県ということもあって、今まではもっぱら郵送やメールでのやりとりを重ねていたけれど、やっと今日、担当者ご本人と東京でお会いすることができた。
彼女は私のつたない、長~い原稿をすっかり読んでくれており、私がこの本を出版する意図や想いを理解してくれているという安心感が感じられた。
正直言ってどの出版社も条件面では大差はない。だからなおさら、いかに著者の「想い」を理解してくれているかが大きなポイントになってくる。
彼女とたっぷりと企画の趣旨、装丁のアイデア、そして具体的なスケジュールなどを打ち合わせをしているうちに、やっと具体的になりつつある自分の本にワクワクしてきた。
うまくいけば、帰国からちょうど1年後の7月に「バークレー日記」(タイトルは別)が形になる(ハズ)。
さぁ、そのためにもお仕事がんばらなくっちゃ!
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再会のスノーボード

2005-03-09 21:29:17 | アメリカ生活雑感
私より1年後に会社を辞めた同期のOネェさんと、3年ぶりに再会。
それはなんと、「平日に行く、ガーラ湯沢・スノボ・レディース・パック」という形で実現した。
アメリカで2度、レイク・タホで滑って以来私もずいぶんスノボから遠ざかっていたので、こういう意外な実現はうれしかった。このトシになると一緒に行ってくれる相棒も年々いなくなるからだ。
“意外”というのにはもうひとつの理由がある。
会社時代の彼女からは、スノボをする姿は想像だにできなかったのだ。
「いつからやってたの?」と聞いてみるとなんと彼女は会社を辞めてから、ずっとやってみたかったスノボをちゃんと会得しようと、ひとりで“平日パック”に申し込んではせっせとスクールで自己練習を重ねていたのだという。
これには正直びっくり、そして感動。ひとりでスノボの鍛錬に通うだって?あの彼女が??
How independent!
「会社にいるときは本当に忙しすぎたよね~。あれもやりたいこれもやりたいが実はいぱいあったのに、そんなことをやる暇が全然なかった。辞めてから自分のために時間をいっぱい使おうと思って」
と、なんだか表情もあの頃よりもずっとすがすがしい。
彼女は会社を辞めた後、かねてから大好きだったフランスに2週間語学留学したり、ニューヨークで美術館めぐり三昧をしたり、角館に満開の桜を見に行ったり・・・と自分の中にあった「・・したかった」を一気に堪能しているという。そんな話を聞いていると、お先にそんな贅沢な時間を体験しちゃった私のほうまでもわくわくうれしくなってくるのだった。
どれくらいの勢いで働いていたかをお互いが知っているからこそ、今の過ごし方に納得がいくんだろう。

40も過ぎた独身オンナがふたり、平日のスキー場をまるで“体育会”のように、コロンでも何度も何度も立ち上がり滑走しまくる。
おそろしい絵ヅラだ・・・
ふたりでこんなことをする日が来るとは、10年前はよもや思ってもみなかった。

「これからなにをやって生きたい?」
「私はやっぱりアートが大好きなの。だから美術館で働ける資格(こんなものが存在するのも妙な話だけど)を取れたらとって、子どもたちが気軽にアートを楽しめる企画を立ててみたいの。だって、外国に比べると日本はあまりにもそういう機会がなさ過ぎるよねぇ。そう思わない?」
アメリカでもイギリスでも、パリのルーブルでもこの感じるものはどうやら同じらしい。
激しく賛成。
外国で美術館や博物館に行くと、たくさんの子どもたちが先生に連れられて、本当に間近で芸術に親しんでいる光景をよく目にする。小さいときからホンモノを見る目を養い、興味を持つ心を育てる。教室の授業よりも大切な教育だと思う。

スノボのあとはゆっくりと温泉につかり、なんと5日ぶりとなるビールを飲み(うめぇ~~~!)近い再会を約束して別れた。
「お互い道は遠いかもしれないけれど、がんばろうね」

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ひそかな楽しみ

2005-03-08 11:14:23 | アメリカ生活雑感
最近のお気に入りは、ラジオ。
ラジオといってもパソコンで聞く、アメリカのラジオステーションのこと。
バークレーでよく聞いていたのが、Hard Rock Stationの“107.7"、Light Rockの“KOIT”、そしてJAZZの“KCSM”の3局。
先日、何気なくこれらのWebサイトをあけて放送が流れてきたとたん、部屋の中がバークレー時代のアパートの空気に早がわり!カラリと晴れた日はハードロックを聞きながら朝食、午後は軽めのロックやバラードなどを聞きながら宿題をやり、一緒に歌いながら夕食準備、そしてJAZZを聞きながらのナイトタイム・・・。あの懐かしい日々がよみがえってきて、なんだかえも言われない一種のホームシックになってしまった。
これを聞きながらパソコンに向かうと、むくむくと勇気がわいてくる。
音楽はいつでもこうして私を慰め、鼓舞してくれる。
少しでもカリフォルニアで過ごした経験のある人なら、感涙まちがいなし。
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休肝日。

2005-03-05 23:16:51 | アメリカ生活雑感
今週は毎夜の“飲みニュケーション”で疲れた~。
7年ぶりにあったライターさん、R時代の仲間、音楽仲間、そして新しい仕事仲間(顔を合わせてみるとなぜだかほとんど昔の同僚!)と、毎日よくもまぁこんなに会う人がいるもんよと自分でも驚く。
それでも彼らに会って時間を共にし、未来と夢を語ることはことは今の私にとって大切なこと。いや必要不可欠なことなんだろう。
自分ひとりでできることは小さいけれど、同じ意思を持った人が集まれば必ずやいい未来を作れる。そう信じないと、生きてる意味がない。大げさだけれど。
そのためにも、健康第一にいかなくっちゃ。
で、土日はたっぷり休肝日。
今日の夕食は、さばの味噌煮with糸こんにゃく、牛肉と油揚げの佃煮風、冷奴、納豆。

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