Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

東海村へ。

2010-12-29 02:03:12 | ニッポン生活編
翌28日は、大強度陽子加速器施設 J-PARC( Japan Proton Accelerator Research Complex )へ。
ここは、世界最高クラスの大強度陽子ビームを生成する加速器と、その大強度陽子ビームを利用する実験施設で構成される最先端科学の研究施設。

これがその全体図。


今日は、J-Parc広報センターの広報セクションリーダー、鈴木さん自ら、施設内をご案内いただいた。
最初に訪れたのは、物質・生命科学実験施設(MLF)。
加速器からのパルス陽子ビームにより世界最高強度のミュオン及び中性子ビームを発生させ、これらを用いて、物質科学/生命科学研究を推進している。
現在、茨城県のほか、トヨタなどの企業、京大・東大などの大学施設がここを利用し、実験・研究を進めているという。
世界最大の研究施設をふたつも併せ持つ茨城県って、実はお金持ちな県だったのだ!
日本人もビックリ!





お次は、「原子核素粒子実験施設」(Neclear and Particle Pysics Facility)
ここは、いわゆる「T2K」と呼ばれるニュートリノ検知実験が行われている。
ニュートリノ実験施設から生成された世界最高強度のニュートリノビームを、295km離れた岐阜県飛騨市神岡町にある検出器「スーパーカミオカンデ」で検出し、まだ知られていないニュートリノの様々な性質の解明を目指す世界最先端の実験プロジェクト。
スーパーカミオカンデの生みの親でもある小柴博士の、2001年のノーベル物理学賞受賞も記憶に新しい。
実はハーブ教授もニュートリノ研究の第一人者。
なんだか壮大すぎて素人にはよくわからな~い・・・・


(スーパーカミオカンデよりもその近くの野口五郎岳のほうが妙に気になる私)

 
こちらがその検出器。スイスの実験施設SERNから運び込んだという電磁石(T2K-ND280 Magnet)


コントロールルーム。Fermilabよりずっと立派。


やっぱりここでも御両人!意味不明の万歳ポーズ


昼食にご一緒してくださった皆様。
左から広報の鈴木さん、J-Parc副センター長の池田さん、Pちゃん、永宮センター長、加速器アドバイザーの山崎博士
仕事納めのお忙しいときにお時間をいただき、本当にありがとうございました!



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世界に誇る日本の物理レベル

2010-12-28 09:41:45 | ニッポン生活編
12月26日~28日、東京へ脱出。
正確に言うと、茨城県のつくばと東海村へ行ってきた。
ここには日本が世界に誇る物理研究施設がある。もちろんPちゃんの仕事にも密接に関連しているので、見学に出かけることにしたのだ。

日本上陸から1ヶ月。
徳島でなすすべもなくもんもんとしているPちゃんを見かねて、ある日バークレー時代にお世話になった物理学者のハーブ教授にメールを送った。
「せっかく日本にいるのだから世界に名だたる“KEK(高エネルギー加速器研究機構)”を見学したい。どなたかご紹介いただけないでしょうか」と。
ハーブ教授はご夫婦共々私たちをとてもかわいがってくれていて、シカゴに移ることになったとき「困ったことがあったらいつでも連絡しておいで」と私に言ってくれたのをふと思い出し、ここぞと甘えてみることにしたのだ。

私たちの苦況を察したハーブはさっそく昔の同僚を紹介してくれ、連絡をとるようにと返事をよこしてくれたのだった。
そこからとんとん拍子に話がすすんで、なんと年内に訪問をさせていただけることに。しかも、ご紹介いただいたのは、恐れ多くもKEK、および関連施設のJ-PARC( Japan Proton Accelerator Research Complex :大強度陽子加速器施設)を統括する永宮所長だったのだ!

永宮所長はさっそく私たちのために二日間にわたるKEK&J-PARCの見学スケジュールを組むよう諸管轄に依頼を出してくださり、そのうえ英語の話せる方をアテンドにつけてくださったのだった。
本当に感謝感激、光栄の至り!!

そういうわけで、短くも濃い二日間の記録を。

★ ★

最初に訪れたのは、「素粒子原子核研究所」。
KEKには周長3kmの加速器があり、そこで光速に近い速さの電子と陽電子の衝突実験を行っている。
2008年に小林・益川両博士がノーベル賞を受賞した「B中間子CP対象性の破れ」理論は、ここの「Belle実験装置」で明らかになった。


フランス出身のカリム氏からBelleの説明を受けるPちゃん。
どんな専門的質問にも的確に答えてくださるので、Pちゃんもついつい時間を忘れて質面攻めに。


2008年小林・益川氏のノーベル賞受賞以来、施設の見学者が格段に増えたらしく、
見学者用の新しいプレゼンテーションボードがあちこちに展示されていた。
バークレーでもそうだったけれど、同じ職場からノーベル賞受賞者が出るのは研究者にとって何より励みになる。


去年まで稼動していたBelle測定器。現在は新型マシンに交換のため解体中。
素粒子一つ一つの運動量の測定、種類の識別に高い性能を持つ。

★ ★

次に訪れたのは、「物質構造科学研究所」(IMSS : Institute of Material Structure Science)。
加速器の登場で私たちは“ミクロの世界”に踏み込むことができるようになった。そのことによって、新薬の開発や、薄型軽量化がすすむ電子機器の開発などが可能になった。
ここでは、私たちの生活に密接にかかわっているライフサイセンス、物質科学、エネルギー・環境などさまざまな領域の研究開発の基となる実験を行っている。
私のような素人には、ちょっと身近な内容だった。




★ ★

最後は「加速器研究施設」へ。
ここでは、次世代型の加速器の研究およびテストを行っている。
今、世界の高エネルギー物理学者が期待を寄せているのは、リニアコライダー (Linear Collider - LC) と呼ばれる新しいタイプの加速器(衝突型線形加速器)。リニアコライダーによって、これまで未踏の領域であった数百ギガ電子ボルト (GeV) のエネルギーでの基本粒子の相互作用が明らかになると考えられている(らしい・・・)。





 

ATFのまわりをぐるりと1周。
加速器に実際に手を触れたのは、もちろんふたりとも初めて。


★ ★

 
小林誠博士のノーベル賞メダルのレプリカと、益川博士との研究論文もホールに展示されていた。



なんと、永宮所長に山本五十六も通ったという土浦一の有名割烹“霞月楼”へご招待いただく。
所長の若き日の経験談や、交流のあった(Pちゃんいわく「教科書でしか知らなかった」)物理学の超権威の方々の知られざる暴露話(?)などをたっぷりとお聞かせいただく。(もちろん、素晴らしく流暢な英語)
おいしいお酒も手伝って、初めてお会いしたとは思えないほどリラックスした楽しい時間だった。
永宮所長は、今までの人生で出会った人のなかで一番、ダンディーでチャーミングな方だった。
Thank you, ハーブ。すべてはあなたのおかげです

(翌日に続く・・・)
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救世主現る!

2010-12-28 09:30:45 | ニッポン生活編
12月23日
徳島での生活ももう限界がきたころ、大阪から助っ人がわざわざ遊びに来てくれた。

というわけで、今夜はみんなでちゃんこ鍋を囲む!





3時ごろまで、しゃべって飲んで。久々に笑った気がする。
Pちゃんも大好きなリーダー“Hide”が来てくれてうれしそう。
興奮しすぎたせいか、Pちゃんは翌日は軽くダウンしていた。ふっ、まだまだガキだな。
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バルトの庭。

2010-12-22 02:36:12 | ニッポン生活編
北朝鮮なみのディクテーターシップが敷かれている窮屈な我が家を抜け出すべく、父を誘って久々に観光に出かけてみることにした。
向かったのは、鳴門市にある「バルトの庭」。

ここはあまり知られていないけれど、2006年に撮影された映画『バルトの楽園(がくえん)』のロケに使われたセットをそのまま保存している新しい観光スポット。
とはいえ、この映画自体があまり知られていないだろうからちょっと補足を。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

第一次大戦で日本、イギリスの連合軍に破れたドイツ軍。その総勢4700人にも及ぶ捕虜たちが日本にやってくるところから物語は始まる。
その後捕虜たちは全国6カ所の収容所に収容されるが、その中で最大規模だったのが徳島県鳴門の「板東捕虜収容所」だった。
どんな地獄が待ち受けているのかと戦々恐々とやってきた彼らが目にしたのは、捕虜たちが自らパンを焼き、新聞を印刷し、柔道や日本語を習い、夜はビールを酌み交わす、といった驚くべき光景だった。それは、収容所の所長である松江大佐の「敵国とはいえ堂々と祖国のために戦った軍人として敬意を表すべきである」という方針からだった。板東は捕虜に寛容だといううわさを耳にした陸軍省は松江所長を呼び出し真相を問いただすが、松江は「私が預かっているのは収容所であって刑務所ではない」と言い放つ。一方、捕虜たちもそんな所長の気持ちに応えてドイツのさまざまな技術を地元の人たちに紹介し、交流を深めていく。
1918年。正式にドイツの敗戦が決まり、捕虜たちがドイツに帰る日がやってくる。彼らはお世話になった地元の人たちに感謝の印として最後に“あるもの”を贈ることを決める。男性だけで演奏するベートーヴェンの「交響曲第九番 歓喜の歌」だった・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「第九」は1918年6月1日に映画の舞台となった板東俘虜収容所内でドイツ兵俘虜によりアジアで最初に演奏されたという史実に基づいて、板東ロケ村は「歓喜の郷」と名付けられ、2010年に「バルトの庭」として今の場所に移築された。





★ ★

この「バルトの庭」には映画に出てくるバラッケ(兵舎)、印刷所、製パン所、酒保(Bar)、洗面所などがあって、映画を見てからここにくると結構楽しめる。




大正時代にタイムトリップ




第九の演奏が行われたステージ(のわりに小さかった。きっとミニチュア)


捕虜たちのバラッケ

 
このユニフォームは第一次対戦時の日本軍のもの。
マチルダさんのに似てる?
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年末は嫌いだ。

2010-12-19 08:22:34 | ニッポン生活編
私は年末のこの時期が嫌いだ。
幼少時からのいやな思い出がトラウマになっているからだ。
子どもの頃、いや今でも日本の我が家では毎年この時期となると家の中がピリピリしてくる。
まだ大掃除が終わっていないという焦りからくるこのいや~なムードは、やっと冬休みになって解放的な気分になっている子どもにとって耐え難い苦痛だった。
掃除をしなければいけないのがいやなのではなく、一人(母)の自己満足のために家全体が暗くなるのがいやだった。
それが毎年、必ずこの時期になると決まってやってくるのだ。
大学で田舎を出、そのまま就職して年末ぎりぎりに帰省するようになってからは、憑き物が落ちたようでどんなにうれしかったことか。

だいたいどうして日本人は年末となると大掃除をしたがるんだろう。
新年をさっぱりとした気分で迎えたい、というのはたしかにわかるけれど、掃除をし残したら罰が当たって死ぬわけでもあるまいし。
そもそもそんなに最後の1週間に狂ったように大掃除しなくても、普段からこまめに掃除していればよかろうものだ。

かたやアメリカ人には「新年」という感覚がまったくない。
元旦も今までの日とまったく同じように普通に一日が始まり、人々は普通に仕事にでかける。
年末に大掃除をしている人なんかまずいない。(って、そんなこと気にもしない)
これにもはじめは相当びっくりしたけれど、慣れてしまえばすっきりするものだ。


ああ、しかしまさかよりによって一年で一番嫌いなこの時期に日本にいることになろうとは、1ヶ月前は思ってもみなかったなぁ。
早く雪の我が家に帰って、心静かにGOROと一緒に新年を迎えたい・・・

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ハーバード白熱教室

2010-12-09 10:11:56 | ニッポン生活編
つい先日、巷でウワサの『ハーバード白熱教室』の特別番組を見ることができた。
『ハーバード白熱教室』とはいかなるものか?それは以下のとおり。



★ ★

創立1636年、アメリカ建国よりも古いハーバード大学の歴史上、履修学生の数が最高記録を更新した授業がある。政治哲学のマイケル・サンデル教授の授業「Justice(正義)」である。
大学の劇場でもある大教室は、毎回1000人を超える学生がぎっしり埋まる。あまりの人気ぶりにハーバード大学では、授業非公開という原則を覆し、この授業の公開に踏み切った。ハーバード大学の授業が一般の目に触れるのは、史上初めてのことである。

サンデル教授は、私たちが日々の生活の中で直面する難問において、「君ならどうするか?何が正しい行いなのか?その理由は?」と、学生に投げかけ、活発な議論を引き出し、その判断の倫理的正当性を問うていく。
マイケル・ジョーダンやビル・ゲイツはその仕事で、すでに社会に貢献しているのになぜ税金を納めなければならないのか。また代理出産、同性愛結婚、人権など最近のアメリカ社会を揺るがす倫理問題も題材となる。絶対的な答えがないこのような問題に、世界から選りすぐられた、さまざまな人種、社会的背景を持った学生が大教室で意見を戦わせる授業は、ソクラテス方式(講義ではなく、教員と学生との闊達な対話で進められる授業形式)の教育の最高の実例と言われている。

世界の若き頭脳たちの堂々たるディベート能力、知的探求心、考える力など、世界最高レベルの知的エリートの能力は、私たちに強烈な知的刺激を与える。さらには、宗教、人種、貧富など複雑に入り組んだアメリカ社会の構図を読み解く糸口にもなる。また副音声による英語放送によって、今のアメリカの生きた英語を学ぶ絶好の教材ともなるはずである。
(NHK『ハーバード白熱教室』HPより /http://www.nhk.or.jp/harvard/about.html)


★ ★

NHK教育テレビが、このマイケル・サンデル教授の「Justice(正義)」の講義を放映し始めて以来、番組には大きな反響が寄せられているという。
4月4日に放映された第1回のテーマは「殺人に正義はあるか」。その後、
第2回 「命に値段をつけられるのか」
第3回 「「富」は誰のもの?」
第4回 「この土地は誰のもの?」
第5回 「お金で買えるもの 買えないもの」
第6回 「動機と結果 どちらが大切?」
第7回 「嘘をつかない練習」
第8回 「能力主義に正義はない?」
第9回 「入学資格を議論する」
第10回 「アリストテレスは死んでいない」
第11回 「愛国心と正義 どちらが大切?」
第12回 「善き生を追求する」
と、続いていく。

そして8月25日、『白熱教室』がついに日本に上陸。
東京大学で行われた特別講義の様子と、教授のロングインタビューで構成された特別番組『ハーバード白熱教室@東京大学』がつい先日放映された。これが実に興味深い内容だった。

イチロー、オバマ大統領、日本人の教師、3者の年俸を比較しながら「富の分配の公正」について議論したり、
日本、アメリカそれぞれの戦争責任を今の世代が負うべきかどうか、殺人を犯した弟の居場所を警察に通報するか否か、など、次々と難解かつ面白いテーマが繰り広げられていく。
「ディベート」は日本人がもっとも苦手とするところだが、それに対して“最高学府”の学生たちはどう立ち向かっていくのかも見ものだった。

サンデル教授は、どんどんと挙手をして自分の意見を述べていくアメリカの学生たちと比べて、果たして日本の学生たちが積極的にディベートに参加するのかどうかが心配だったという。
しかし、実際はアメリカの学生たちと同様に前向きで実に積極的だったとふりかえる。
ひとつ違うところといえば、学生たちが事前に資料をよく読み勉強をしていたところだった。
「どの学生もよく勉強をしていた。そのことに驚かされ感心した。しかし、ときには何も準備せずに臨むほうがいい場合もある。世の中でいろいろな課題にぶつかるときは往々にしてそういうものだからね」。


サンデル氏の公開授業はPBSのサイトでも見られるが、内容が難解なため今回きちんと日本語サブタイトルで見られたことはよかった。
興味のある方はNHKのオンデマンドでも見られるのでぜひ見てください。

ココから

http://www.nhk-ondemand.jp/program/P201000059300000/#/0/0/

★この本もベストセラー
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学 /マイケル・サンデル (著)
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ストレス。

2010-12-08 00:16:39 | ニッポン生活編
日本に上陸してから、早や丸1ヶ月。
いつでも領事館(大阪)にいけるようにと、徳島で待機するもいまだに職場からは何の連絡もなし。
耐えかねてPちゃんが職場に電話すると、
「まだどうなるかこちらでもさっぱり見当がつきません」ときっぱり。
この秋に、政府のセキュリティーシステムが大幅に改正され(要はさらに面倒になった)、そのタイミングでビザの延長請求をした私たちはまんまとこのニューシステムの“犠牲者”第1号になったのだ。
「この先、同じように海外で数ヶ月待たなければならない研究者が出てくるでしょうね」
と軽~く言われ、ふたりとももう笑うしかなかった。

私にとってもっとも苦痛なのは、田舎(実家)での生活だ。
げに、故郷は遠きにありて想うもの。
だいたい18で一人暮らしをはじめて以来、実家で何もせずにこんなに長くいたのは人生2回目だ。
アメリカから戻って半年くらいいたときは、実際にストレスで神経がおかしくなりかけた。あれ以来だ。
今回の滞在でも、3日をすぎたあたりから、ただの居候でしかない居場所のない生活がストレスになってきた。
だいたい、家の中に女がふたりいると碌なことにはないのだ。肉親だから余計にやっかいだ。
おまけに、老人の娯楽的生活に合わせなければいけないので、自分たちのペースで食事をしたり出かけることもできない。
出かけるといっても、タバコのだめなPちゃんがいけるところといえば駅前のスタバくらいなもの。
東京のように、日がな一日楽しめる美術館や博物館があるわけでもなく、観光地はもう行きつくしてしまった。
いっそのこと、大阪かどこかにウィークリーマンションでも借りようかと真剣に考えたが、、
どれくらいの期間になるのか見当がつかないので借りられない。
ホテル暮らしも自炊ができないのでかえってストレスだ。
そのうえ、一応“仕事”扱いで日本に来ているのでふらふらと旅行するわけにもいかない。
その前にどこへ行ってもPちゃんのタバコのストレスで、私がまいってしまう。
私一人ならさっさと出て行くところだが、Pちゃんのことを考えると、ここにいるのが一番無難ということに落ち着く。
まったく八方塞りだ。
この生活がいったいいつまで続くのか・・・・そう思っただけでまたストレスになる。

★ ★

そんなこんなでこの八方塞りの気持ちを吐露していると、いろんな方々から励ましのメールをいただいた。


「こんなシチュエーションはなんぼ考えても自分たちでコントロールできないわけですから、後は逆手にとって日本滞在を楽しんじゃうという風に切りかえれるかどうか、だと思います。
残りの時期をまずどう過ごすかですが、もう「心の置き所」しかないと思うんですね。
今後二人でご両親のところで、長く暮らすことなんて将来はないと思うのです。・・・難しいかもしれませんが、エンジョイしてみてください。」

「長期になると色々苦労もあるでしょうが、新しい大人の目でふるさとを見て、今まで気づかなかった魅力を見つけて下さいね。」


“新しい大人の目でふるさとを見る”って、いい言葉だなぁ。
カリカリキリキリしていた自分を少しなだめすかして、乗り切らねば!

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Japan Tour 2010 (前半Part2)

2010-12-05 10:27:11 | ニッポン生活編
まだこのころは無邪気に写真が撮れた・・・滞在2週目。
これ以降はもう、出かけるところもなくなって写真すら撮る気にならず。
この先のことを考えると、ただただ不安な毎日。




徳島科学博物館にて。田舎にしてはけっこう楽しめる博物館だった。

 
 
“阿波のグランドキャニオン”土柱。
世界に3箇所しかないありがたい場所のわりには、案外知られていない。。。


 
脇町の「うだつの街並み」



高校時代の同級生のおうちを襲撃。


 安いよ!(近所のスーパーにて)

 庭でゴルフレッスン(?)


徳島に耐えられなくなって、ある日神戸に脱出。
ここは心のふるさとなり。

 
大学剣道部の同級生と北野で夕食。(神戸)
何年ぶりに会おうがついきのう会ったような感覚でいられる友人の存在って、ありがたいなとつくづく思う。
がらにもなくおしゃれにチーズフォンデュなどを食べた・・・が、高い割りに思ったほどの感動もなく。
でも、ま、一生に一度ならいいか。




中華街いろいろ。
Pちゃん、「神戸ビーフバーガー」(700円)なるものに挑戦。



神戸の震災記念館。1995年の阪神大震災の生々しい資料や映像を目の当たりにし、
また、実際に震災を体験した方々からお話をうかがい、
当時を思い出して思わず涙が出た。



震災で壊滅状態になった長田駅前は、いま「鉄人28号」で盛り上がっている。
これは行っておかなければ、とこの写真を撮るためだけに行った。

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Japan Tour 2010 (前半Part1)

2010-12-02 03:15:20 | ニッポン生活編
それは本当に、寝耳に水のことだった。
11月に入ってしばらくしたある日、Pちゃんがいきなりこう言った。
「来週ビザが切れるからいったん国外に出て更新手続きをしなければいけない」

本来ならば、ビザが切れる前に職場が更新手続きをしてくれるのでノープロブレムなのだが、どうやら昨今のセキュリティー強化によってシステムが変わり、書類の手続きに手間取っているうちにタイムアウトになってしまったらしい。
職場のほうもがんばってくれたそうだが、そこは上に行くほど事務能力のないアメリカのシステムのこと、どうにもならなかったようだ。
そういうわけで、急遽ふたりで海外に出て待機することになった。
とすると、滞在先は日本かドイツ。ドイツ嫌いのPちゃんが下した結論は当然「日本行き」だった。

私のビザはPちゃんに依存しているものなので、私だけ残るということはできない。
11~12月にはいろいろと予定がたて込んでいた私のショックはもう、とてつもなく大きかった。
よりによってこんなタイミングで離れたくなかった・・・。
とはいえ決まってしまったものは仕方がないし、私以上にショックを受けているのはPちゃんのはず。
あわててチケットを手配し(Pちゃんの分は職場もち)、とるものもとりあえず日本へ飛び立った。


★ ★ 

そんなわけで、日本上陸をほぼ誰にも知らせることができずにいたことをお許しください。
しばらくは徳島に滞在する予定。退屈なのでみなさん、遊んでね。



それでは上陸後の怒涛の記録をば。

Day1(東京)

Pちゃんが一番はまったのはここ、秋葉原。メイドカフェにめろめろ。
こんなに喜ぶとは想像していなかった

4月に名古屋から東京に引っ越してきたSHOKOブラックのお宅へ。
 
3歳になってますます会話が面白くなってきたむーちゃんに遊んでもらうPちゃん

 
いつも楽しみなブラックの手作りディナー。ヘルシーでかつおいしい

Day2(東京)

昼間の歌舞伎町をお散歩。結局東京ってどこも同じだよな・・

 山手線にて

 
もちろんこの日も、豪華絢爛ディナー。

 
Pちゃんが宗教論争を持ちかけて、テリさまと大激論(?)
普段話し相手がいないもので本人もよほど興奮したらしく、疑問をいろいろぶつけてしまいました。すみませんねぇ・・・

Day3(東京から大阪へ)

ブラックとむーちゃんに別れを告げていざ大阪へ。
二日間、遊んでくれてありがとう。おかげで疲れもふっとびました。



さて、今夜は尼崎のやよいちゃんのうちへ。さっそくみんなで鍋(ぶりしゃぶ)を囲む。
いや~、たまりまへんなぁ

 



つづく・・・
Comments (3)
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