《試練》――現在史研究のために

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友への手紙――政治行動を強める天皇・皇后と現代の天皇制~山本太郎議員の「天皇への手紙」について(上)

2013-11-20 00:43:02 | 天皇制・右翼
友への手紙――政治行動を強める天皇・皇后と現代の天皇制(上)~山本太郎議員の「天皇への手紙」について

(1)現代の天皇制を徹底究明する機会に

 参議院議員・山本太郎氏が、10月31日、秋の園遊会において「平成」天皇アキヒト(明仁)に福島原発事故による被曝にかかわる手紙を手渡しました。このことが大きく報じられています。曰く。「非常識である」、「政治的利用であり、好ましくない」(菅官房長官)。曰く。「各界で活躍したり功績をあげたりした方を招き、天皇陛下がご苦労をねぎらう場」であり、「あのような場所ではふさわしくなかった」(宮内庁次長)。マスコミ各社は、山本太郎氏を批判・非難するコメントを掲載しました。声高に議員辞職を強要する動きが出ました。それに対して、山本太郎氏本人は、「思慮が足りなかった」、「御宸襟を悩ませた」、「二重橋でお詫びしている」と反省の態度を表しています。
 問題が政治的・社会的に大写しになり、多くの労働者人民が関心を寄せるところとなっています。この問題は、現代の天皇制とは何か、天皇制(あるいは天皇制をビルトインした日本帝国主義国家)とどうたたかえばよいのかを徹底究明する、とてもよい機会になったと思います。

 私は、問題点は三つあると思うのです。
 一つは、まずもって、山本氏の行動への賛否とは別の次元で、政府・国会・マスコミなど国家をあげての山本太郎氏バッシングや、在特会など右からの山本太郎氏排撃のもつ危険性、いや恐ろしさというものを、しっかりと認識しなければならないということです。「議員辞職」の恫喝など、もってのほかであり、異様な攻撃です。それを、21世紀現在の天皇制および天皇制イデオロギーの強化の攻撃の高まりとしてしっかりと直視しなければなりません。
 重ねて言いますが、山本氏に対する攻撃は、山本氏を「国賊」、「非国民」に仕立てて叩く天皇制に特有の攻撃です。国会のなかでは、「不敬罪だ」という野次が飛びました。こんなものを許すことはできません。
一貫した反原発の姿勢をいわゆる無党派層の多くの人々が評価し、新左翼系の人々も、社民党や新社会党や生活の党、緑の党なども支援して議員となったのが山本氏です。その山本議員つぶし攻撃に真正面から反対して、天皇制との対決を強めなければならないのです。たとえ、山本氏が今回の異様な攻撃に屈して迎合しようとも、です。これはきわめて現在的な課題なのです。
 二つは、天皇制に対するあまりの無知と天皇および天皇制への無批判的な敬愛の念から行動を起こした山本氏のありようについて、正しくとらえなければならないということです。山本氏は、誰もが認めているように、原発反対のよき意図をもって今回の手紙行動にいたったのですが、肝心の手紙の内容を福島原発事故の被曝者・被災者を始めとする労働者人民に公表しようとしていません。このことはかなり重大な問題なのです。つまり、天皇制(あるいは天皇制をビルトインした日本帝国主義国家)と対峙する構えや思想はいかにあるべきかを、改めて鮮明にさせなければならない、ということにほかなりません。
 三つは、そもそも現在の反原発闘争において本当に、切実に、必要なのは何なのかということです。反原発議員として自他ともに認める山本氏は天皇への手紙行動という落とし穴にはまってしまったのですが、反原発闘争の課題や方向性は天皇に何かをお願いするようなところにあるのでなく、逆にそれとはまったくちがったところにあることを告げる結果となったと思います。
 これらと関連して、中核派、つまり革命的共産主義者同盟・中央派が山本氏の今回の行動をほとんど無条件と言ってもいい形で支持・賛美し、積極的に意義づけするという愚かな誤りを犯し、また一段と腐敗を深めてしまったことについても、書いておきたいと思います。現在の中核派は、山本氏支持という回路をとって、ついに天皇制の軍門に下ったのです。

(2)「不敬罪」なる山本議員バッシングを弾劾する

 一つ目の問題から記してみましょう。
 まず私が疑問に思うのは、手紙を天皇に見せていないことです。報道によると、天皇が直接に手紙を受け取ったように見えたのですが、実際にはその場にいた宮内庁の侍従長が受け取り、天皇に見せていないとのことです。これは何なのでしょうか? そのような権限は侍従長にないはずだし、いったい誰の責任と権限で、このような処置を取ったのでしょうか? これが1点目の疑問です。

 次に、山本議員バッシングの内容です。すべて筋違いなのです。
 前記したように、「非常識だ」とか、「政治的利用だ」、「不敬罪だ」とかの非難が投げかけられていますが、それらはまったくちがいます。
 もし、山本氏が議員として園遊会に招かれず、それでいて園遊会に潜入して、福島原発事故という国家的な犯罪の責任を追及する内容の手紙行動におよんだのなら、それこそ秩序を破った「直訴」と言っていいでしょう。だが、山本氏は園遊会に招かれたのであり、そこで天皇へのお願いの手紙を渡しただけなのです。じつに穏健な行為ではないですか。それを騒ぎ立て、バッシングするようなことではないのです。
 戦後になって象徴天皇が園遊会を催し、政治家、企業家、各界の著名人やいわゆる功労者を招いて、その場の主人として振る舞うことこそ、象徴天皇制の政治的利用であり、天皇のきわめて政治的な権威主義的行為です。その下での山本氏の今回の行動は、象徴天皇制の枠内でのささやかな、かつ天皇アキヒトを最高位の権威とあがめる従順なものでしかないのです。

 言い換えれば、仮に、その手紙の内容が、「反原発」、「被曝の実態」という深刻なテーマにかかわる内容でなく、「陛下、いつまでもお健やかにいらして下さい。7年後の東京オリンピックの時には、主催国の主賓としてその権威をあまねく世界に知らしめてください」との内容であれば、かくも紛糾し、議員辞職問題にまで発展したでしょうか? 天皇の長寿を願う微笑ましいエピソード=美談として報道されたことでしょう。むしろ、「全国民の切なる願い」かのように報じられたことでしょう。
 はっきりさせねばならないのは、手紙を出したことが問題だったのではなく、そのテーマと内容だったのです。原発、とりわけ現場労働者の被曝実態と福島の子どもたちへの放射能汚染という深刻な事実、時の政府がひた隠しに隠してきた闇の部分に触れたものであったから、「お願い」であったにしても、それらの現実が白日の下に暴き出されることへの恐怖ゆえに、「けしからん」、「議員を辞職して陛下に謝れ」となったのです。

 同時にまた、山本議員バッシングにおいては、「陛下は被災地を度々訪問されており、その実情をよくご存知であられる」、「被災者と顔を突き合わせ、親しくお話をされている」、「その陛下に対し、『何もご存じないと思い、知っていただきたかった』というのは傲慢だ」といった論調を目にするが、はたしてそうでしょうか?
 確かに天皇・皇后は度々被災地を訪問しています。しかし、それはあくまでもセレモニーであって、形式的なものではないでしょうか。天皇と話をする人物はあらかじめ決まっており、順番も、時間も決められています。決められたシナリオを、その役割にそって忠実に演じているにすぎません。テレビで見る限り、「大変でしたね」、「お体は大丈夫でしたか?」との問いに、「ありがとうございました」、「おかげさまで大丈夫でした」と答えているように見えます。たかだか二言三言の会話で、多岐にわたる被災地の実態、その凄まじく深刻な現状を理解したという方がよっぽど傲慢です。
 また、あのような場で、被災者が「要望」、「陳情」をしたという話は聞いたことがありません。切実な想いを訴えたという事例もありません。これで「心通わせる交流」と言えるのでしょうか? とても言えません。形式的なもの=セレモニーに過ぎないのです。

 実は、このような天皇・皇后によるセレモニーを、3・11以後の日本帝国主義は必要としているのです。福島原発事故が起こり、その事故収束がまったくできないばかりか、放射能汚染が人体に、大地に、海に、大気に拡大している深刻な状況で危機に立つ日本国家。その国家と政府と東電への大衆的な批判をそらし、責任追及を抑えつける役割をになって登場しているのが天皇・皇后なのです。危機に立つ帝国主義国家支配の補強材として増強されているのが、今日の天皇制なのです。
 そうした増強されつつある補強材としての天皇制の役割を示すものは、他にもいっぱいあります。今年4月28日を安倍政権は「主権回復の日」としました。その記念式典には天皇・皇后が出席し、その場で、安倍は「天皇陛下万歳」を高唱しました。それは、沖縄の切り捨てと圧殺、日米安保体制の今日的な美化、朝鮮戦争とレッドパージ―破防法体制の歴史的肯定、加えて天皇の国家元首化を軸とする憲法改正策動の宣言など、安倍政権による幾重にも許しがたい政治的攻撃です。問題は、その攻撃において天皇の権威主義的な位置と役割を必須のものとして位置づけていることです。
 天皇・皇后が積極的に担っているこうした各種の権威主義的な政治行動を、私たちはけっして軽視してはならないと思います。山本議員に対する実質的な不敬罪攻撃を断じて認めてはならないのです。

 
(3)天皇ヒロヒトとは何であったのか

 天皇の今日的な動向に関連して、次に「天皇の政治的利用」なる主張を考えてみましょう。そもそも「天皇の政治的利用」とは何でしょうか? 天皇を政治的に利用することはありうるのでしょうか? 天皇は政治的に利用される存在なのでしょうか? このことを書いてみます。

A 2・26事件と天皇
 1936年、青年将校を中心に2・26事件が生起しました。事件直後、川島陸相が「昭和」天皇ヒロヒト(裕仁)にいわゆる拝謁し、反乱軍の「蹶起趣意書」を読み上げて状況を説明しました。天皇は、「なにゆえそのようなもの(蹶起趣意書)を読み聞かせるのか」、「速やかに事件を鎮圧せよ」と命じています。翌27日、「朕が股肱と頼む臣を悉く倒すとは真綿で朕の首を絞めるに等しい行為である」と不快感を表明しました。遅々として進まぬ鎮圧に苛立ち、「朕自ら近衛師団を率い、これに当たらん」と激怒しています。さらに28日、「行動将校一同は、自刃して罪をお詫びすることに決しました。ついては、勅旨を賜って彼らに死出の光栄を与えて頂きたい」との上奏がなされました。天皇は「自決するならば勝手に為すべく、斯くの如きものに勅旨など以ての外なり」と却下したのです。

B 日米開戦と天皇
 当時、海軍は南方侵略を想定し、陸軍は北方(対ソ連)侵略を想定していました。その南方侵略について軍部は事前に天皇に報告しています。いわゆる上奏です。上奏は陸軍参謀総長・杉山元、海軍軍令部総長・永野修身が行なっています。
 この上奏に天皇がどう答えたかということです。防衛庁に残る「御下問つづり」に次の天皇の言葉が記録されています。
 「国際信義上どうかと思うが、まあよろしい」との言葉を残しているのです。
 そして9月6日の御前会議の前日、再度両人(杉山参謀総長、永野海軍軍令部総長)を呼び出し、「この度の戦、絶対勝てるか!」と質問を発しています。これに対し杉山参謀長は「絶対とは言えませぬが、見込みはございます」述べているのです。
 太平洋戦争開戦に関する天皇の言動の記述はこの2点だけであり、極めて少ないのです。それは、敗戦不可避の情勢のなかで、「戦争犯罪」の責任追及を恐れ、証拠となる議事録・発現録等を処分したためと考えられています。しかし、これだけでも、天皇の役割は非常に明確なものです。

C 沖縄の軍事的分離支配と天皇の沖縄メッセージ
 今ではよく知られるようになった歴史的事実なので簡略にしますが、1947年9月19日、天皇の顧問である寺崎英成が天皇のメッセージをマッカーサーに伝えました。
 天皇ヒロヒトは、「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう希望している」、「その軍事占領は、日本の主権を残したままでの長期租借――25年ないし50年あるいはそれ以上――の擬制にもとづくべきである」、「(沖縄の)『軍事基地権』の取得は、米国と日本の二国間条約によるべきだ(註 米国から押しつけられたのではなく日本自身が決めたことだということを明確にするために、という理由による)」と積極的に沖縄売り渡しを提案したのです。
 〈天皇制の護持・存続〉と〈新憲法制定〉と〈沖縄の軍事的分離支配〉と〈日米安保体制〉と〈朝鮮南北分断への加担〉、そして〈破防法を頂点とする国内内乱鎮圧体制〉のすべては一つのものでした。天皇ヒロヒトはそのことをもっともよく知っており、まさに戦後の混迷する日本帝国主義の体制的命運を一身に担って、積極的に行動したのです。

D 日米安保条約と天皇
 戦後史の定説を覆す驚くべき事実が、5月31日号の『週刊朝日』に報じられました。「サンフランシスコ講和条約締結」に、他ならぬ天皇ヒロヒトが大きく関与していたとの内容です。『週刊朝日』が下地にしたのは豊下楢彦著『安保条約の成立――吉田外交と天皇外交』(岩波新書)です。
 それによると、マッカーサーと吉田茂の間で、「単独講和」でなく「全面講和」を締結し、なおかつ日本を「非武装中立国」、「極東のスイス」にする構想で基本的合意に達していたといいます。そのためにマッカーサーは、憲法第1条(象徴天皇)、ならびに憲法第9条(戦争放棄と戦力不保持)を核とする新憲法を制定し、これでもって同盟国に天皇の戦争責任の免責を認めさせました。そして、一方で憲法を制定し、他方で東条英機らA級戦犯に戦争責任をかぶせ、天皇ヒロヒトの命を助け、天皇制を維持させたのです。
 マッカーサーに助けられたとは言え、天皇ヒロヒトは今ひとつの脅威を感じていました。「共産主義の脅威」です。ここで天皇ヒロヒトは決断しました。「全面講和ではなく、単独講和」、「非武装中立でなく、日米安保同盟」でなければならない、と。これこそ日本帝国主義を救う唯一の道だ、と。そして行動しました。
 命の恩人であるマッカーサーを切り捨て、「冷戦」思考のダレスに接近し、アメリカ本国の了承を得たのです。さらには、条約締結のためのサンフランシスコ行きを拒否した吉田の尻を叩き、条約締結を完遂させたのです。
 こうして戦後日本帝国主義の政治・軍事・経済・外交の基本方針が決定されたのです。天皇ヒロヒトのこれらC、Dの行動は、新憲法の下で「象徴天皇」になった後のことであり、明らかに憲法で禁じられている「政治的行為」なのです。憲法破りの第一号は「昭和」天皇ヒロヒトその人だったのです。

 戦後、日本の支配階級は、何を聞かれても「あっそう」と答える「人の好い昭和天皇」のイメージを演出してきました。しかし彼は、冷徹にしてリアリスト、鋭い政治感覚を有した超弩級の反動政治家=極悪の権力者だったのです。
 そうした「昭和」天皇ヒロヒトと日本帝国主義国家に対して、日本の新左翼は、1967年の「紀元節」復活以来、天皇の代替わりや一貫した「日の丸・君が代」強制と対決して、天皇制打倒のためのたたかいをくりひろげてきました。今日も多くの団体・個人が反天皇制の運動を粘り強く継続しています。かつては、中核派はそのたたかい全体をリードし、身体をはってたたかってきたのでした。その底流には、戦前・戦中・戦後にかけて虐げられ、犠牲を押しつけられてきた数多くの民衆の天皇と天皇制への怨嗟の声、根深い憎悪と反発が広範に潜在化していたという歴史的現実があるのです。
 しかし、われわれが「昭和」天皇ヒロヒトを糾弾するとき、過去(戦争責任・植民地支配責任)だけでなく、日本帝国主義の過去―現在―未来を規定する基本路線=日米安保体制を構築した張本人として、徹底断罪することを、改めて明確にさせなければならないのです。また、われわれは、日米安保体制の内実を、天皇ヒロヒトとは逆の立場から、天皇制存続を要とする憲法体制、沖縄差別構造、一貫した朝鮮侵略戦争体制、労働者人民への内乱鎮圧体制などと一つのものとしてとらえなければならないのです。

 以上、A、B、C、Dに見られるように、天皇ヒロヒトは、日本帝国主義の進路を左右する決定的な時点で、体制の重圧にあえぎつつ、自らの思考と判断に従って、常に最凶悪の選択肢を決定し、その絶大な権力を行使して、帝国主義日本に君臨してきたといわなければなりません。誰一人としてそれに抗しうる者はいなかったのです。
 現在の天皇アキヒトも、そうした父ヒロヒトから帝王学を伝授され、近現代における天皇制の歴史を継承・体現し、皇居内で神道の密儀をとりおこなう大祭主として振る舞うことを含めて、きわめて自覚的に政治行動を行っているのです。後の(6)でも触れますが、天皇アキヒトおよび皇后ミチコが、帝国主義日本の頂点に位置する権威主義の権化であることについて、いささかも見誤ってはならないと思うのです。
 ここから分かるように、「天皇を政治的に利用する」など、本質的にも現実的にもありえないことであると言えます。否むしろ、歴代の天皇は、自らの責任を隠蔽するために、「政治的利用」の常套句を用いさせてきたと考えるべきです。つまり、「利用された=被害者である」と装うことによって、自らへの責任追及を封じ込めてきたと言えるでしょう。天皇制を〈無責任の体系〉と呼ぶゆえんです。

 「あの大戦は軍部に利用されたものであり、必ずしも天皇の意図したものではなかった」、「陛下は平和主義であられ、決して戦争を望んでいなかった」などの俗説は、そのさいたるものであり、これが歴史の定説として認定されることなどあってはならないのです。
(つづく)

2013年11月14日
竜 奇兵(りゅう・きへい)

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1 コメント

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革農協 (mm)
2013-11-21 00:16:50


どこでも、誰にでも反原発を訴える山本議員。 「直訴」問題
http://megalodon.jp/2013-1109-2241-13/www.tokakushin.org/wp/?p=2418

参議院議員・山本太郎の天皇直訴は支持できない/天皇陛下の動労千葉派
http://megalodon.jp/2013-1109-2203-43/okayama911.blog69.fc2.com/blog-entry-322.html
緑の党に支持の山本太郎応援をまだ自画自賛してるのだからどうにもならん。動労千葉敗訴確定と共に画期的転向だろう。
百万人署名運動事務局にはシリア反戦するようメールしていたのに、無視の上、文句言った岡山の党員を粛正だと恫喝とは、常総派は夜郎自大いうほかない。2013年9月30日
https://twitter.com/kibikibi20/status/384604070800928768

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