湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

納豆食いたし、痛風怖い!

2013年09月25日 | 詩歌・歳時記


小学生の頃は、東京と茨城県に住んでいた。卒業間際に滋賀へ移ったのだが、一番ビックらこい

たのが、食料品店に納豆が売っていないということであった。

水戸の当時は毎朝、自転車で納豆売りが廻ってきてさ、「ナット、なっとぅー」と叫びながら、

売り歩いたのだね。 勿論、藁ずとに包まれた納豆であるが、 朝ごはんのお供は納豆である。

それが当たり前であったのだが、滋賀で「納豆」などと言おうものなら・・・・ヒンシュクものだった。

          栗の実を手にして母は童女かな

痛風に一番悪いといわれている納豆が喰いたくって・・・・4連のパックを買ってきて、朝2パックを

堪能しました。でも俺って馬鹿だね。 その夜には炊き込みご飯を仕掛けてしまいました。

まぁー、それはそれなりに美味しくお腹に収めたのだが、残った納豆2パックをどうする?

         

はいっ、回答を見つけました。 明日、はんぺんをふたつ買ってきます。

ハンペンを三角に切って、底辺の部分を包丁で切り込みを入れて、納豆をつめて、爪楊枝で

止めてさ、油で揚げてみましょうね。

お料理は試行錯誤で、一発で決めることはなかなかできませんが、母を思いながら作っていると

本当に楽しい作業ですね。 一合の米を研ぐことが、しみじみと嬉しいのでございます。

          湖上くろぐろ鴨の大群着きにけり

 


味噌汁は、わが鍋で・・・!!

2013年09月19日 | 詩歌・歳時記

母が死んでから、一番困ったのは 「食」 である。 見よう見真似で、いろいろと造っては

みたものの、男である。 続くものではない。 吉野家の牛丼、 なか卯の親子丼なんかに

お世話になりながら、そのうちに、それって違うのよねー・・・と思い至ったのである。

   

             白壁に旧町名は

         紺屋町

         札に見惚れて魚津の真夏

朝、一合半の米を研ぎ・・・炊飯器にしかける。 朝・昼兼用の第一食は・・・例えば卵かけごはん

に、鮭の塩焼きにしろ・・・味噌汁が永谷園の即席味噌汁である。

とうてい「美味い」とは、思えない。 ついにはアマノ・フーズなんてネットのお取り寄せ利用したけれ

ど、結局は母の作る味噌汁に及ぶはずもないのである。

といって、今更ね・・・コンブだの煮干だのといっている余裕はないのですね。

まぁー、それで 「ダシ入り味噌」 を買ってきて、毎晩、味噌汁もどきを作っておりますのさ。

じゃが芋と玉ねぎ、 茄子の乱切り、茗荷の細切り・・・・実を考えるのが楽しみでございます。

所詮は即席ものと思う。 失敗も数々あるけれど、 わが鍋でこさえた食べ物が・・・・・

一番でごじゃります。

          父ほどは泳げず

          海に遊ばれて

          最期の夏と思う魚津よ

そこから私の「本格的」な自炊が始まりました。 今では料理が楽しいのです。

          

 


ゼロ戦がブームだって?

2013年09月13日 | 詩歌・歳時記

   

アニメ映画の「風たちぬ」が評判がいいようですね。 でも、アニメって所詮は漫画でしょう。

日本人の総幼児化と思うね。 アニメなんて、映画芸術にとても足りません。

そしてプラモデルのゼロ戦や戦艦大和の売り上げが伸びているとか・・・。

ボクが中学生の頃は、ダンボールでゼロ戦を作ったものだよ。

そう、全長20センチの胴体を二つ折りした真ん中に、マジック・インキを芯にしてさ、根気よく

まるめて丸めて、主翼を取り付け、尾翼からコクピットへの導線のアンテナは爪楊枝から、

絹糸を渡したりして、ボクだけのゼロ戦を創り、楽しんだものです。

          闘病の伯母も偲ぶか

          夢ながら

          小浜の海を染めてや夕陽

そして、せっかく創り彩色をして愛したゼロ戦を、庭の高みからひもで吊り下げて、

火をつけて、燃やして落下したこともあったさ。戦争を知らないボクの焦りでしょうか。

           あと幾日

           伯母の命の絶えむとす

           曼珠沙華生まれ  曼珠沙華ふえ

ゼロ戦は、少年のボクにとっては永遠のヒーローですね。 それは戦争とは全くの関係はない。

大空へ飛び立つ、美しい男の夢の象徴でありまする。

映画「風立ちぬ」なんて、絶対に観るものか。 がっかりするのが、すぐに見えているのさ。

所詮は、漫画だよ。所詮はプラスチックさ。  俺の創ったダンボールのゼロ戦は・・・・

魂・・・・入りさ。

          秋風に百済恋しや

          観世音

          囚われの身の魂は宇宙へ

漫画の作家のおっさんの、大げさな引退発表会見だってさ。 ちんけな漫画作者が身の程知らず

の映画の観客アップの醜い行いさ。 アッホ。 漫画に拍手なんて・・・するなよなぁ。

 

日本人の総幼児化に、慣れないと・・・自殺をするしかないのだろう。

「風たちぬ」なんて、観て、感激する日本人って、直ぐに死んでください。

明日の日本には、まったく必要のない・・・・ばい菌ですね。

 


五輪なんて・・・いらない!

2013年09月07日 | 詩歌・歳時記

      

むかし、巨泉さんがプロデュースされたテレビに「こんなもの、いらない」という番組があった。

2020年にオリンピックを東京へ誘致すると、マスコミが騒いでいる。 正気の沙汰ではないぜ。

          注意報知らせるスマホ牽牛花

現実の日本には、スポーツの祭典などと言うまやかしの提案を考慮している「暇」はない。

福島の原発事故は、収束どころかますます深刻化している。 沖縄の問題もしかりである。

1964年の東京オリンピックは、敗戦からの復興に力を与えた、しかるべき大会であった。

そう!! オリンピックは開発途上国が開催すべきなのだ。

日本がするべきことは、「東京」の看板をいさぎよく降ろして、 イスタンブールかマドリードへ

建設・開催資金を無償で提供することだ。

          稲光りふりかえっても母はいぬ

巨泉さんがセミ・リタイアされて、日本を離れた気持ちは痛いほど解かる。 そして、また

競馬からは完璧に卒業されたようだが、日本の週刊誌にコラムを持っておられる気持ちも

よく解かるのだ。 誰よりもこの国を愛されている巨泉さんである。

          まんなかで大きな蜘蛛は君臨す

二度目の東京オリンピックなど、こんなものいらない!!

手を挙げるのならば、「広島・長崎オリンピック」という・・・・発想はないのかしらね。

そうであれば、ボクも支持するのである。

   

ブエノスアイレスでの最期のプレゼンテーションは、 恥の上塗りだぜ。 嘘にウソを重ねて、

東京が落選することを祈るさ。 先ず、福島!! だと思うのは、 日本人として当たり前の

思いである。 都知事の猪瀬某とやら、アベちゃんも・・・・「ちゃん」づけされるだけ、軽いね。

          何故かしら鳴き声低き秋の虫

次の五輪はトルコにしてあげようよ。東京で開催を願う奴らは、はっきり言って、まことの

日本人ではない。敗戦後にはびこった「ばい菌」のような一部の国民であろう。

 

 

 

    

 

    

 


納骨

2013年09月01日 | 詩歌・歳時記

一年半まえに死んだ母のお骨を、仏壇に置いておいた。 この夏に息子が大阪から帰ってきて、

母が建てた父のお墓に「納骨」をした。 別にボクにはどうでもいいことなのだった。

    

ひとは死んだ時点で、すべてが「零」である。 霊魂などというものがあるはずがない。

田舎の葬式には笑ってしまうよ。 納棺する時に、死者に手っ甲、きゃはんをつけてさ、

6文銭を添えるのだね。 三途の川の渡し賃だって。 

          酔芙蓉咲かせて風の八尾かな

大学の高等教育を受けた息子のほうが、俺よりも封建的な考えの持ち主!!って・・・・・

ちょっこし信じられないのだが。 職業軍人だった父を愛していながら、世代の違いで敬遠した

ボクとは違って、息子はおじいさんが好きだったと言う。

その息子はかって、フラワー・アレジメントの仕事をしていた。 道の駅で買って来た花束を、

てきぱきとふたつの花立に生けてゆく。 うむー、おぬし・・・やるなぁー、てなもんだった。

          幾千里飛んで幾万鴨きたり

こうして、ともかくも母のお骨を父の側に入れました。 息子のお陰でございます。

まぁー、ほっとはしましたが、「墓は三代・・・」という言葉があります。 

息子には 「俺の骨は墓には入れるな。 ①魚津の海へ撒いてくれ ②琵琶湖へ捨てよ

③トイレヘ流せ・・・・と」、遺言しています

生きている間は「人間」ですが、 死んだ瞬間に、それは用をなさない「物体」に過ぎないのです。