湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

紗羅の花 in 龍潭寺

2013年06月27日 | 詩歌・歳時記

    

随分とむかしに、浜名湖の北へ、井伊谷の 「龍潭寺」・・りょうたんじ・・ を訪ねたことがあった。

関が原の戦の功によって、彦根へ移った井伊家は菩提寺として、本拠から「彦根・龍潭寺」をも

移したのだ。 高校生の時から、何度、いやさ!! 何百度通ったことだろうか。

      名庭とわれとの光陰初夏の風

白砂に箒目が渦をまく。 海を現す。 苔むす島が「蓬莱山」・・・二体の石の観音が言葉を

交わしている。この縁で胡坐をかき、いつもいつも座禅を組むのである。 

気がついたら、なんと50年の歳月が流れ過ぎていたのであった。

            

観音を連れてきた、石の舟である。 「石舟」・・せきしゅう・・という号を、すでに戦国時代に

柳生が使っているのだね。 くっうー、残念無念でござりまする。 将軍家剣術指南役・柳生宗則の

父・石舟斎であることだ。 詩歌の名乗りに、う〇〇石舟と名乗りたかったですね。

          おともなくおつるは紗羅のはなばかり

        

           歳月やとりのこされて紗羅の花

           借景は佐和山なりし合歓の花

龍潭寺の参道の入口に、冶部どの・石田三成の像が槿の木々のみどりが映えるなかに

佇む。神仏を信じない私だが、この三成には手を合わせ、頭を下げるのである。

  

 

   


初めての 「ビートルズ」

2013年06月16日 | 詩歌・歳時記

小学生の頃 「♪ だから言ったじゃないの あんた、泣いてんのね♪」 なんて歌って・・・

「お前はませてる」なんていわれて、先生に叱られた。

三橋美智也、美空ひばりの時代でありました。そんな古い歌謡曲の時代のなかでも、

守屋弘の「僕はないちっち」や、松島アキラの「湖愁」に新しさをかすかに感じていたんだ。

    

そして昭和39年、西郷輝彦デビュー。 僕のなかのもやもやしていた、古い文化・しきたり・・・

すべてを新しい価値観へと衣替えしてくれた。 でも、西郷さんはもうひとつ上を行きました。

デビュー二年目に出した、4曲入りのコンパクト盤「テルの涙のチャペル」に収録された、

「ロック アンド ロール ミュージック」・・・・。

これが、ビートルズを初めて知った虹の架け橋であったのだ。

勿論これは、アメリカのチャック・ベリーのヒット曲をビートルズがカバーした曲である訳だが、

西郷さんは歌詞の半分を日本語で歌っている。

歌謡曲しか知らなかった私に、「ラ・ノビヤ」「涙のチャペル」・・・・まったく新しい歌の世界を

次々に教えてくれた彼。

この次はこの俺が、なにかお役に立ちたいものですね。


「星」の歌なら、おまかせを・・・

2013年06月01日 | 詩歌・歳時記

湯上りに外へ出て満天の星を仰ぐとき、缶ビール片手にいい気持ち。 つい口ずさむ星の歌たち。

まずはスロー・バラードの 「星と俺とで決めたんだ」

♪ 俺のこころは星が知る  だから何にも言わないぜ

  ほんとは俺も好きだけど あいつにゆずっていくんだぜ・・・・      詩・水島 哲

そして「星空のあいつ」でリズムを取る。 ここまでくれば、山本リンダですね。

♪ もう、どうにも止らない。 「星娘」「星のフラメンコ」・・・・「願い星叶い星」・・・・。

          震災に呻く列島

          棄ておいて

          詩歌もとむる旅をゆく俺

その頃には涙がにじみまする。 ♪ 明るく輝くひとつ星 なにを語るか夜の空

ひとりぼっちの淋しさに・・・・・孤独を友として、恋人として生きている訳けだが、

最期は 「オリオン急行」 で、歌い収めですかね。

♪ ふと星空にさそわれて あなたを思い出す

  あのさよならに今もまだ こころは痛む・・・・

もう星も涙でにじんで見えません。 湯冷めをしないうちに家へ入りましょう。

          那智滝へいざや行くらむ

          はるばると

          胸の泉に水満たすため

       

ボクの人生はいつも、西郷輝彦の歌たちと共演しているのであります。