しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

ボストン美術館「日本美術の至宝」

2012-05-27 22:43:11 | 美術館 博物館

                東京国立博物館で開催中のボストン美術館展に出かけた。
                 

                 

                

                    五月の上野の森は新緑が美しく爽やか

 

                

                「かつて海を渡った幻の国宝が一堂に里帰り」というのを見て
                なぜ国宝が海を渡った? と興味は別の方向にも広がった。
                

                アーネスト・フェノロサ 聞いたことはある名前、でもよく知らない、
                いろいろ調べてみた。

                ボストン美術館草創期に在職していた、日本の美術、芸術に
                深い関わりのある人だった。

                日本のお寺に関係があったような・・・それも調べてみたら
                滋賀県の三井寺(園城寺)に京都クラブの人たちと行ったとき
                解説の先生が一緒だったので、くまなく見せてもらえたのです。
                そしてこちらに足跡があったのです、これは後に触れるとして・・

                音声ガイドを聞きながら日本の至宝を見ているうちに、”里帰り”と
                フェノロサの関わりが分かってきました。

 

            

             雲龍図(部分)  奇才 曽我蕭白の江戸時代・宝暦13年(1763)の作品
                        
             東洋美術の殿堂ボストン美術館には10万点を超える日本の美術品が
             収蔵され、その量と質において世界有数の地位を誇っている。
                                         

 

                    

                       普賢延命菩薩 平安時代・12世紀中ごろ
                                        
                「仏のかたち、神のすがた」の中の1点で「普賢延命菩薩像」
                四方を固める四天王が付いているのは珍しいそうです。
                    
                普賢菩薩が乗る蓮華座は3つの頭を持つ1頭の象が支えている。
               

 

                   

                   唐織 「紅地流水芦菊槌車模様」 江戸時代・18世紀
                 
                  明治時代海外に渡った工芸品は、多くの人を魅了した、
                  日本の工芸が技術的に高度な発達を遂げていたからです。
                  彼らを感嘆させた精緻な技の美です。
                   
                 
                  
            フェノロサは初来日のときショックを受ける。 明治維新後の日本人は
            西洋文明を崇拝し、日本古来の浮世絵や屏風は二束三文の扱いを
            受けていた。

            写楽、北斎、歌麿の名画に芸術的価値があると思っておらず、狩野派
            土佐派といったかつての日本画壇代表流派はすっかり忘れられていた。

            仏像、仏画など仏教に関するものは、政府の圧力により、ただ同然で
            破棄されていた。
            全国の大寺院は寺領を没収され、経済危機に陥り、寺院を叩き売るなど
            追い詰められていた。 (廃仏毀釈は日本人の手で日本文化を破壊した)
 
            フェノロサは寺院や仏像が破壊されていることに強い衝撃を受け、日本
            美術の保護に立ち上がった。
            古美術の収集や研究を始めると同時に鑑定法を習得し、全国の古寺を
            旅した。
            日本人が愛する幽玄の精神を学ぶために能楽も学んだ。

            1884年政府の宝物調査団に任命され文部省職員となり、弟子の
            岡倉天心と奈良や京都の古寺を歴訪する。
            

            フェノロサ27歳の時長男誕生、名前を”カノー”と命名。
            32歳の時には法隆寺の秘仏(誰も見たことなかった)救世観音に出会い
            その翌年には三井寺にて受戒し締信の法名を授かった。

            1896年2度目の来日東京高等師範学校教授となる。
            そしてこの年三井寺・法明院を訪ね茶室「時雨亭」に滞在、今も愛用の
            地球儀、望遠鏡、蓄音機が保存されている。

            その後も「浮世絵展覧会」や「北斎展」開催のため来日、1901年(48歳)が
            最後の来日となる。
            1908年滞在先のロンドンで心臓発作で急逝 享年55歳
            生前から墓は法明院にと願っており、翌年分骨され三井寺・法明院に埋葬
            されました。  戒名は「玄智院明徹締信居士」

            フェノロサについては「貴重な日本の美術を海外へ流出させた」と批判する
            意見もあるそうです。
            
            フェノロサは日本人の気づかなかった”美”を日本画に見出し、価値が
            分かるから購入したのであり、彼が集めた2万点の美術品をボストン
            美術館は大切に所蔵・展示している。
            フェノロサは天心に嘆く「日本人が売るから買い求めるのです、もったいない」
            と・・・

           

            岡倉天心は欧州の視察体験から、国立美術学校の必要性を痛感、
            日本初の芸術教育機関東京芸術学校(現東京芸大)を設立、初代校長と
            なる。  フェノロサは副校長に就き美術史を講義する。

 

            最終的に日本政府が美術品の海外流出に歯止めをかけたのは1933年、
            すでに膨大な美術品が流出した後だった。

            長くなりましたが、まだまだフェノロサのことに関しては書ききれません、
            「ボストン美術館展」は素晴らしい日本の美術品の里帰りでしたがそれ以上に
            アーネスト・フェノロサのことを知るきっかけになったことも感慨深かったです。
               

            

        


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2 コメント

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Unknown (雲母舟)
2012-05-29 20:13:08
素晴らしい解説をありがとうございます。
丁寧な説明が、今あらためて、大変勉強になりました。
フェノロサにも、しなこじさんにも感謝したくなりました~。
またよろしくお願いします?
Unknown (しなこじ)
2012-05-30 06:56:52
雲母舟さん
おかげさまで印象に残る展覧会でした。
日本の至宝はもちろん素晴らしかったのですが、
フェノロサが強く残り、いろいろ調べているうちに
UPが遅くなりました。
すごい人でした、上手にまとめきれていませんが、
フェノロサによくぞ残してくれましたと感謝ですよね。

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