カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月でしたがお休みします。

南の島へ。その3。

2010-08-27 11:54:34 | Weblog
 鹿児島へは今回で四回目になるが、行く度にいつも見たいと思っていたものがあった。

 それは錦江湾にいるイルカである。

 空港から海岸線を走り、市内まで来る間、錦江湾にいると言われているイルカがいないかを気にしながら走っていた。

 今回は天草に行ってもイルカを探していた。

 天草ではイルカウォッチングに行けば99%見れると言う。ならば、海岸線を走っていれば、きっと見れるだろうと思っていたが甘かった。見えたのは沖合いに白くなった波ぐらいだった。

 遠くに見えるその波をイルカということにして納得しようともしたが、それはやはり大人気ない。

 しっかりとこの目でイルカを確認したい思いはますます強くなった。

 天草牛深港から鹿児島長島港に向かうフェリーではイルカに逢えるのではないかとずっとデッキに立ち、海面を眺めていたが、美しい風景はあり続けたが、そこにイルカは現れなかった。

 イルカへの想いは増すばかりであった最終日、桜島を一周しようと車を走らせていると、何気なく一瞬右に広がっていた錦江湾を見ると、なんとイルカの背びれを見つけた。

 すぐに車を止め、海面を眺めた。

 絶対あれはイルカだ、幻ではないことへの期待が出てくるがそれは同時に見間違えたのではないかと言う不安を交差させた。

 だが、正義は勝つ、と言うか、熱意は伝わる、と言うものなのか、また二つの背びれが同時に海面に出てきた。

 完全なイルカだった。完全なイルカとは恥ずかしいが、イルカそのものだった。

 隣にいたリーさんも大喜び、自分も大喜び、リーさんも鹿児島で初めてイルカを見たと言う。

 自分も生まれて初めて海でイルカを見た。

 優雅に仲良く二匹でイルカは泳いでいた。

 二匹同時に背びれを見せていた。

 呼吸は合っていたみたいだった。

 ほんとうに嬉しかった。

 ただイルカを見ただけだが心は満ち溢れていた。

 ただイルカを見ていただけではなく、今まで見ようとしても見れなかった過程から来るその意味深さが嬉しさになっていた。

 やっぱりここに居たのだと言うことをこの目で確かめられたことも嬉しさになっていた。

 またイルカに逢ってみたいと思わずにはいられない。

 今日も呼吸を合わせ、二匹仲良く、優雅にのんびりと泳いでいるだろうイルカを今の自分は色鮮やかに鮮明に思い描ける。

 これも嬉しい限りである。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おめでとうございます。

2010-08-26 11:57:34 | Weblog

 今日はマザーの誕生日である。

 ちょうど天草に行ったので隠れキリシタンのことを書こうとも思ったのだが、少し呟くようにマザーのことを書こう。

 マザーはほんとうに厳しいことを言う。

 「自分の感情を乗り越える」そのことをマザーはよく言っていた。

 その思いの祈りの一つがこれである。

 「自分より他人を」
 
 主よ、私が空腹を覚えるとき、パンを分ける相手を出会わさせてください。
 
 のどが渇くとき、飲み物を分ける相手を出会えますように。
 
 寒さを感じるとき、暖めてあげる相手に出会わさせてください。
 
 不愉快になるとき、喜ばせる相手に出会えますように。
 
 私の十字架が重く感じられるとき、だれかの重荷を背負ってあげられますように。
 
 貧しくなるとき、貧しい人に出会わさせてください。
 
 暇がなくなるとき、時間を割いてあげる相手に出会えますように。
 
 私が侮辱を味わうとき、だれかを褒めてあげられますように。
 
 気が滅入るとき、だれかを力づけてあげられますように。
 
 理解してもらいたいとき、理解してあげる相手に出会えますように。
 
 かまってもらいたいとき、かまってあげる相手に出会わさせてください。
 
 私が自分のことしか頭にないとき、私の関心が他人にも向きますように。
 
 空腹と貧困のなかに生き、そして死んでいく世の兄弟姉妹に
 
 奉仕するに値する者となれますように。
 
 主よ、私をお助けください。

 

 祈らなくては自分を乗り越えることなど出来ないのであろう。

 祈らなくては自分に気付くことなど出来ないのだろう。

 祈らなくては自分を認めることなど出来ないのであろう。

 祈らなくては怒りに操られ、呑み込まれてしまう。

 祈らなくては・・・。

 ほんとうにあの方は自分の弱さを教え続けてくれる。

 たまに参るくらいである。

 まったく思いやり深い人である。

 今日もあの方を想う。

 感謝の想いもお供えして。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南の島へ。その2。

2010-08-24 12:32:10 | Weblog
 今回は最終日に初めて桜島一周をした。

 桜島へ橋を渡り、右から黒神へ向かった。

 辺りは溶岩で出来たゴツゴツと黒光りした山肌の上に緑が力強く自然に芽生えた生命力溢れる風景が見渡す限り広がり、その荘厳さに圧倒された。

 溶岩がすべてを呑み込んだ地の死からは新たなものへ常に復活を繰り返す証しであろうことが心に伝わるのだろうか、そのような過程が呼吸するこの自分のうちなるものへ共鳴をしているのか、ただただ圧倒された風景が続いた。

 その地であっても、人は日々の営みを続けてきたことであり、その健気な人たちは桜島の噴煙とは違い、穏やかな人たちだった。

 いくつもある漁港では麦わら帽子をかぶり、釣りをしている姿があった。

 一人のおじさんに声をかけると何ともいえぬあたたかな生きた笑顔を見せてくれた。

 人生を楽しんでいる生きた笑顔を見せてくれた。

 時間に追われることなく、不必要なものまで欲張らず、何が大切なのかを心得た笑顔である。

 今を喜び満たされた笑顔である。

 この世のなかを無条件に愛している笑顔だったように思えてならない。

 そして、釣り好きの自分は麦わら帽子をかぶり、のんびりと釣りをしているのが羨ましかった。

 絵になる風景のなかで、人生を楽しんでいる姿も同じに。

 {つづく}
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たまむし。

2010-08-24 00:26:39 | Weblog

 今日、嘘を付いてしまった。

 どんな嘘かと言えば、たまむしを財布に入れておくとお金が貯まると会社の人に言ってしまった。

 言いながら、少し可笑しいなと思った。

 たまむしを財布に入れたら、たまむしは潰れてしまうからだ。

 そこでネットで今いろいろと調べてみたら、こういうことだった。

 たまむしをタンスに入れておくと洋服が増える、幸せになると言うことだった。

 思い出した。タンスのなかに入れるのであった。

 小学生の頃、たまむしを取るとおばあちゃんが喜んでくれた。そして、たまむしをタンスに入れていたことを思い出した。

 たまむしは死んでも、その色は美しいままであるので、玉虫厨子も綺麗な羽根を装飾に使ってあるくらいだ。

 これは知らなかったが、他にも江戸時代、女性は鏡のなかにたまむしを入れておくと好きな男性にめぐり合うと信じられていたらしい。

 とにかく、たまむしは美しく、また縁起の良い昆虫に違いない。

 ちなみに財布に入れてお金が貯まるのはヘビの抜け殻だった。

 小学生の時、おじさんがヘビの抜け殻を財布に入れていたのを思い出した。

 今日、そのたまむしを助けた。
 
 腹這いになってバタバタしているのを見つけ、木に戻してあげた。

 たまむしを手にしたのはもう小学生以来だろう。

 とても懐かしく、またその美しさに魅了された。

 そして、何か縁起が良い感じもした。

 そのなかにはおばあちゃんの笑顔もあったに違いない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南の島へ。

2010-08-23 12:38:54 | Weblog

 金曜日から南の島に行って来た。

 南の島は天草と鹿児島である。

 物凄く美しいものを見ることが出来た。

 その一つひとつは生まれて初めての体験として、自分の脳裏に記憶され、かけがえのない思い出として心に新たに納まった。

 天気良さと心嬉しい良さが見るものすべてを色濃く鮮やかにこの上なく美しく映させた。

 有り難いこと、この上なしの旅だった。

 一緒にいてくれたリーさんがこの美しいものたちにたくさん出会わさせてくれた。

 有り難いこと、この上なしの幸せを頂いた。

 鮮やかな緑たなびく田園風景に心も喜び踊り、何度も心に映した。

 自然の美しさに畏敬の念を抱かずにはいられないほどだった。

 素敵な夏休みだった。

 また夏休みの日記として、これから少しでも書いてみたいと思っている。

 今日も猛暑みたいだ。

 さっき自転車で買い物に行った。

 日焼けした両腕が少しヒリヒリするのを感じると楽しかった旅の日々が続いているようで嬉しくなり、少し笑った。

 {つづく}
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冷たいもの。

2010-08-17 10:57:36 | Weblog

 さすがにこの毎日の暑さで冷たいものを飲むことが多くなっている。

 ここで問題なのは自分のお腹が弱いと言うこと。

 冷たいものを飲むとすぐにお腹を壊す。

 お腹を壊すと、体力が落ち、身体もだるくなってしまう。

 ビールや芋焼酎などは問題ではない。

 お酒ではお腹は壊れない。

 問題なのは冷たいものを勢い良く飲んでしまうと、もうすぐにお腹がゴロゴロ言い始める。

 トイレが近くないとたいへんなことになってしまう。

 そんなにお腹が弱くて良くインドに行っていましたねと言われるが、インドでは朝から冷たいものを飲むようなことはなく、朝はお腹に素晴らしく良いココナッツを毎日飲んでいた。

 だから、ここ何回かのインドではまったくと言って良いほどお腹を壊したことはない。

 冷たいものを飲もうと思えば、すぐに手に出来る状態と今年のこの夏の暑さがお腹をゴロゴロと言わせる。

 冷たいものは我慢して、あたたかいお茶を飲み、また冷たいものは冷たいまま飲まないようにゆっくりと飲むことをしなくてはならない。

 だが、この暑さ・・・。

 それもなかなか難しい。

 ここにも分かっていることさえ出来ない弱い自分が居ることを認めざるを得ないのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終戦記念日。

2010-08-16 09:12:46 | Weblog

 昨日は終戦記念日だった。

 あるお年寄りに「今日は終戦記念日ですね」と言うと、彼は苦笑いでこう答えた。

 「敗戦記念日だよ」

 彼にとってはそうなのであろう。

 敗戦の記念日だった。

 またあるお年寄りに聞いた。

 「終戦記念日はどんな天気でした?」

 「今日みたいな、雲一つない暑い日でした。うちにはラジオがなくて、近くの家に行き、天皇陛下の声を聞いたけど、あまりラジオが聞こえなくて良く分からなかった・・・」

 そして、こう続いた。

 「これから何がどうなるか、まったく分からずに大人たちは毎日話し合っていた。男は捕虜にされ、女はさらわれると言うことをみんな考えては脅えていたり、米がまだ青かったがたくさん実った米を食べれなくなるのではないかと馬にその米を食べさせたりしていた。

 大人たちは何もせず、一週間ぐらいはただ集まり無気力に話し合っていた・・・」

 「学校はいつから始まりました?」

 「9月15日には始まったけど、今までの教科書を黒くなるだけの日々が続いた。もう教科書は真っ黒になったよ。それから半年後ぐらいに新しい教科書が出来たんだ」

 「今の日本をその頃想像は出来なかったでしょうね。その頃と比べて、今はどうですか?」

 「やっぱり、今が良いですよ。今の世の中の方が豊かで良いです」彼は笑って答えた。

 彼の身体は半身不随であるが、笑顔で今の方が良いと答えた。

 平和な今の方が良いと笑って答えた。

 この自分たちを包み込む世のなかであれ、より良くなろうとする自己実現のなかにあるのではないかと思えてならなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少し心配。

2010-08-15 10:52:22 | Weblog
 昨日、久しぶりにライオンの旅で会ったあやちゃん、このみちゃん、コージーが遊びに来た。

 あんは大喜びでひたすらテーブルの上にある食べ物を狙い続けていた。

 コージーは犬嫌いであんが近くに寄る度「もうダメ!もうダメ!」と言い続けていたが、少し経つとあんを触っていた。

 「どこまで嫌なことをしても離れないか、実験をしている」と話していたがそれだけではなく、あんの可愛さを気付き始めていたと思う。

 それから、コージーはあんが来ても、初めほど騒がなくなった。

 久しぶりに会っていろんな話が出た。

 少し心配なのはコージーがかなり人間不信と言うか、歪んでしまった感が拭えない感じを出していた。

 確かにインターンに4月からなり、忙しく働いているとその忙しさに人間的な心を奪われてしまうのかもしれない。

 自分の感情を乗り越えることが出来ずに、意識できずに自分の感情にしがみつき、またそれに囚われてしまう。

 客観的に自分の感情を見守ることなど出来ない状態、たとえ怒りの感情が分かったとしても、その処理をどうすることも出来ず、また誰かに怒りのままに与えてしまうようだった。

 仕事中もイライラしていることが多そうだった。

 うまくこの時期を乗り越えて欲しいと思う。

 もちろん、この状態がいつまでも続くことはないと思う、いつか良い方向に自分を進めていけるのかもしれない。

 ただそれを期待する。

 三人でコージーを心配した。

 その心配が要らなくなることを願った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夕顔は・・・。

2010-08-13 12:39:43 | Weblog

 今年の夕顔は油虫にやれてしまい、あまり良くない。

 すぐに葉が色を変え枯れてしまう。

 何度か消毒をし、綿棒も使い、油虫を取ったりもしたが、すでに遅かったのだろう。

 油虫の勢いは絶えることはなかった。

 だが、今年の夜香木は素晴らしくたくさんつぼみを付けている。

 もうすぐ咲きそうである。

 それが楽しみでならない。

 明日は友達が来るから、咲いてくれると嬉しい。

 歓迎してくれると嬉しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お別れ。

2010-08-12 12:51:27 | Weblog

 姿を変えられてしまうと、なぜかは一息置くというか、それまでの悲しみも姿を変えて、周りに影響を与える。

 我に戻ると言うのか、またその我は誰のか。

 小さな壺にその悲しみまでも封印されてしまうかのようにあるのかもしれない。

 だが、時は止まってはいない。

 また少し経つとやはり悲しみはじんわりと息吹をし始める。

 寂しさと感謝と涙と笑顔、交互に一人ひとりの人生史のなか、奴との関わりのなかで何かを修復し、不安定なものから、何かバランスを取ろうと努め、それを再構成し、また新たに物語りを語り始める。

 呼吸する命、生きている今日の意味を別れた皆に与え続ける。

 別れを終えて、酔い、その酔いが覚め、静かなところから、あたたかなものがにじみ出るように溢れてくる。

 すでにその前とは違う現在に呼吸し始めている。

 そして、何かは変わり続ける。

 変らないように見えたとしても、何かは変り続けている。

 決して変えることの出来ぬ過去を生み出し続けていく。

 だからこそ、今を生きる。

 過去には生きれない。

 寂しくて良い。

 寂しくて当たり前である。

 決して変えることの出来ぬ愛したという過去を身にまとったのだから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする