カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月の予定です。

同じトラウマ。

2009-11-30 12:32:24 | Weblog
 あんがうちに来てくれた日。甥っ子も二人遊びに来ていた。

 だが、五年生の兄は小さな子犬のあんを見に来なかった。

 彼はまだ小さい頃に犬に追いかけられ、池に落ちて以来、犬を見ることすら嫌なようだ。

 自分のように30年ぐらい経てば、それは変るものなのかどうかは定かではないがゆっくりとでいい。その傷を見詰められるようになってほしい。そして、新たなより良い学習をしてほしい。

 それはきっと誰かから教えられるものでもないかもしれない。新たに感じ直すことによって、そこは成長する。その過程のいまも、その場所は癒されようとしているだろう。

 自分たちの好き嫌いのなかには、その人のなりの意味を大いが含まれている。それを一つひとつ知っていくのは果てしない旅のようである。

 どのように快・不快を感じ習得してきたか、分かりきろうとしたところで分かりきるものでもない。

 だが、それを知り認め、受け容れていくことで、自己認識を深めていくことになり、人生が深いものになっていくように思う。

 極端なものの考え方よりは柔和なものの考え方がいい。極端には無理と排他があり、柔和には愛と思いやりがある。

 それを選ぶのはいつでも自分自身である。

 また好き嫌いがあっていい。何でも好きというのも、これはある意味危険である。そこには確固たる自己がない。

 痛みはいつか必ず癒される。分からぬ痛みであれ、癒される。

 痛みは悪いものではない、成長への糧となっている。

 その過程は果てしない旅のようだが、独りではない、誰が居てくれるものである。
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あなたに。

2009-11-29 12:25:37 | Weblog
 胸に手を祈る。

 その手は胸のなかにあるものを支え、抱きしめるようにあてがう。

 空へ祈る。

 身体に受ける風に願いを任せる。

 陽へ祈る。

 与えられたあたたかさをあなたにも。
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休み。

2009-11-28 19:09:20 | Weblog

 今日は山谷をお休みした。今週はあんが家に来てくれてから、寝不足の日が続いていたのと仕事の休みもあまりなく、身体も少し疲れていたから休むことにした。

 久しぶりに二度寝でゆっくりと寝た。

 だが、忙しい日だった。

 ほとんどがあんの買い物だったが、布団を干したり、石坂があんに会いに来たり、風呂を掃除したり、ずっとやりたかったミニのオイル交換も出来た。そして、あんの身体も初めて洗ってあげた。

 ほんとうは買い物を少しして、少し前に飼ったタゴールの詩集でも読んで、ごろごろとのんびりしていたかったのだが、この先も休みがあまりないと思うと、一気にいろいろとしてみた。

 とりあえず、あたたかく晴れた日に充実した一日を終えることが出来た。

 あとはもう少ししたら、ゆっくりと晩酌を楽しもう。

 シャンプーした後、たくさん遊んだあんは、いま、四本足を伸ばして健やかに寝ている。

 柔らかい穏やかなときが流れている。
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犬の十戒

2009-11-27 10:28:45 | Weblog
 昨日、あんが昼ごはんを食べなくてとても心配した。夜になり、仕事から帰ってくると尻尾を振って嬉しさを現し、遊んでくれた。安心した。

 食事のことが気になり、ネット調べていると「犬の十戒」なるものがあった。その一番最初にこうあった。


1. My life is likely to last ten to fifteen years. Any separation from you will
be painful for me. Remember that before you buy me.

私の一生は10~15年くらいしかありません。
ほんのわずかな時間でも貴方と離れていることは辛いのです。
私のことを買う(飼う)前にどうかそのことを考えて下さい。


 自分たちは時間が永遠にでもあるような錯覚をしてしまう。しかし、死を目の前にすれば、一つの呼吸をすることですら奇跡である。

 今朝目覚めることが出来たことも奇跡であり、自分だけの力ではない。

 「自分もあなたと離れることが辛い。愛しているから」

 死ぬ間際になってから、その意味を知り感じるより、今を、今日を思う存分愛しく生きる方がいい。

 何度も味わった。
 「また明日来ます」そう言って別れ、次の日にはもう逢えなくなっていた。

 またこう言われた。
 「See you tomorrow」
 明らかにあなたには明日が来ないのに、彼はそう言って、その夜、天に召された。

 死ぬ間際になってから、その意味を知り感じるより、今を、今日を思う存分愛しく生きる方がいい。

 最後にこうあった。


10. Go with me on difficult journeys. Never say, "I can't bear to watch it, or, "Let it happen in my absence." Everything is easier for me if you arethere. Remember, I love you.

最期の旅立ちの時には、そばにいて私を見送って下さい。「見ているのが辛いから」とか「私の居ないところで逝かせてあげて」なんて言わないで欲しいのです 。
貴方が側にいてくれるだけで、 私にはどんなことでも安らかに受け入れられます。
そして......どうか忘れないで下さい 私が貴方を愛していることを。


 必ず別れは来る。ならば、惜しみなく愛そう。「あなたを愛している」そう言い続け、伝え続けていこう。

 夕顔は昨夜最後の一輪を咲かせた。今朝まで美しく咲いていた。いま、朝日を浴びながら、光りのなか、ゆっくりとしおれていく。

 多くの種の残して。

 多くの愛を残して。

 安らかに。

 自分はそれを決して忘れない。
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無精髭。

2009-11-26 11:43:25 | Weblog

 おじさんたちに挨拶をしていくと久しぶりにナンクルナイサーおじさんに会った。

 マスクをしていたが彼だと分かり、そばに行って握手をした。あまり元気ではない様子だったが愛くるしい笑顔を見せてくれた。またあとで話しをしようと伝え、またおじさんたちに挨拶をしていた。

 カレーを配り終え、おじさんたちが食べているところを回っていると、ナンクルナイサーおじさんを見つけた。

 彼は独り小さくなってお弁当を食べていた。施設ではカレーがなくなるとふりかけののり弁を作り、数は少ないが持って行っている。

 近づいて初めて分かった。無精髭が伸びえていた。

 「おじさん、髭伸ばしたんだ」

 「いや、バッグを盗まれたから、洗面用具もなくなったから伸ばしているだけだよ」

 「そうか、たいへんだったね・・・」

 「うん」

 そばにいるとご飯が食べれないようだったので、また来ると伝え離れた。

 しばらくしてから、また行ってみるとまだ食べていた。胃腸の調子も良くないのであろう。お腹が空いていても、思うようには食べれないのかもしれないと思った。

 彼のお弁当には川エビの佃煮がのっていた。どこかでもらったものだろう。それは彼がより良く生きることの出来る小さな証しに思えた。しかし、その分本意でもなく髭を伸ばしている違和感も感じているのだろう。バッグを盗まれた悔しさ・情けなさとともに・・・。

 沖縄出身の彼には東京の冬はやはり辛いとのことだった。来月のMCの施設であるクリスマスのことを伝えると必ず行くと答えてくれた。

 ひ弱だが笑顔は見せてくれた。しかし、二人の合言葉のような「ナンクルナイサー」は一度も出なかった。
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ビスケット。

2009-11-24 11:35:45 | Weblog

 先週の土曜は三週目と言うこともあり、624個の用意したカレーで足りると思っていた。

 山谷では一週目、三週目、連休がある場合、その他の週よりは宿泊などにいくおじさんがいるので少なくなる。

 しかし、三週目で連休の土曜だったが、おじさんたちは多かった。二十人くらいは足りなかった。

 寄付されたビスケットを用意していたので、カレーをもらえなかったおじさんたちには配った。

 何ももらえないで帰るのと、そうでないのとではかなり違いがある。一人ひとり丁寧にカレーがなくなったことを謝りながら配った。

 全員の顔を覚えようと心しながら働くことにより、今までよりはほんの少し深みを増せるような期待をしていた。
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魚のぬいぐるみ。

2009-11-23 10:47:32 | Weblog

 午前4時にあんちゃんが何か騒がしかった。あんちゃんの寝床のダンボールを覗くと魚のぬいぐるみにうんちをしていた。

 百金で買ったなかなか可愛い魚のぬいぐるみだったがさようならをして、シーツも新しくしてあげた。

 あんちゃんは澄ました顔をしていた。とっても可愛かった。

 自分はすぐにベッドに戻って眠りなおした。

 今度は何を買ってあげようかな。噛んだら音が出るボールが良いかな。

 楽しいことばかり想像させてくれるのはあんちゃんのおかげ。ありがたいことです。

 今朝はあんちゃんに会いに母親の友達が来た。うちの母親もあんちゃんのことが大好きになり、楽しい会話をしていた。これもあんちゃんのおかげ。ありがたいことです。
 
 今日はあたたかいのでベランダを少し歩かしてみたい。まだ歩く足もおぼつかないあんちゃんだがどんな反応を示すのか楽しみだ。

 いま、あんちゃんは自分の後ろですやすや寝ている。

 
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あんちゃん。

2009-11-22 11:49:18 | Weblog
 昨夜、まっちゃん{小学校から同級生}が一日早いけど、黒柴犬がもう来ているから持っていけると電話があった。

 長野県、10月12日生まれの女の子。

 名前はあんにした。安心のあん、あんこみたいに甘いあん、赤毛のアンは好きなのであん。そして、響きも良いので、あんにした。

 とっても可愛い。いま、自分の後ろのダンボールのなかで魚のぬいぐるみと一緒に寝ている。

 何度見ても飽きない。ずっと見ていても飽きる訳はない愛らしさがある。

 ありがとう。あんちゃんって思っている。

 元気良く育って欲しいと言う願いが漂っている。
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お米を買うお金。その2。

2009-11-22 11:11:09 | Weblog

 仕事場に戻ってから、その近所に住んでいる人に老婆のことを聞いてみた。

 やはり近所でも有名で、「お金がないので200円ください」とか、「娘が多摩病院に入院したので見舞いに行くからタクシー代をください」など、いろいろな人に話しかけているらしい。

 自分が小学生の頃にも「100円ばばぁ」と言う老婆がいた。実際自分は会ったことはないが聞いた話によると、小学生にも会えば「100円ちょうだい」と言っていたらしい。

 戦後間もない時代にはこのような老婆もいただろう。金田一耕介の悪魔の手毬唄に出てくるような老婆だった。声を掛けられたときに、その老婆の時代に吸い込まれたような気がした。

 仕事中でなければ、もっと話しを聞いてみたかった。
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お米を買うお金。

2009-11-21 08:16:23 | Weblog

 昨日、仕事中に腰のかなり曲がった老婆にあった。

 帽子をかぶり後頭部を前にし、杖をつきながらゆっくりと歩いてきた。足は外反母趾できっとその足しか見えないだろう歩き方をしていた。5メートルを15秒くらいかけて歩くその姿に大丈夫かなと思ったくらいだ。

 10メートルくらい近くなったときに、その老婆を顔をあげた。人が近づいてくる気配を感じたのだろうか。

 そして、すれ違うときに顔を上げてこう言った。

 「すいません。お金が無くてお米が買えないので、お金をください」

 手の離すことのできない仕事をしていたため、「ごめんなさい。いま、仕事中なんです」と言うと、それ以上何も言わずに老婆はまた歩き始めた。

 その時に気が付いた。この老婆には以前にも会っていて、同じことを言われたことを思い出した。

 {つづく}
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