カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

ケンとあん。

2017-05-25 11:17:34 | Weblog

 
 先週の土曜日、多摩川にケンとあんを連れて行った。

 ケンとはカルカッタでお互いの愛犬について、良く語り合った。

 愛犬に会えない寂しさも癒やしあっていた。

 犬好きの私たちは映画Hachiのことを話し合い、瞳をうるうるもさせた。

 明日の朝、大阪から帰って来るケンを渋谷のハチ公に連れて行こうと思っている。

 ケンが知らないであろう、八年間、主人を待ち続けた忠犬ハチ公の話しを教えてあげよう。
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ラジオのこと。

2017-05-24 13:52:21 | Weblog

 金曜日、五分間だけ、埼玉のローカルラジオの「フラワーラジオ」に出た。

 なぜ、そんなことになったかと言うと、三週間ほど前に2001年にカルカッタで会った麻美ちゃんちでの飲み会にそのラジオのDJが来ていて、山谷のことを話したら、今度是非ラジオに出てくださいと言うことになり、それがg現実になり、先週の金曜日であった。

 事前に質問などは送られ、電話でのインタビューと言う形であった。

 素人の私はやはりこうしたものに緊張した。

 出番の一二分前に電話が掛かり、そのまま繋がった状態のまま、しばらく待ち、オンエアーになった。

 オンエアーされていたステービーワンダーの曲名紹介が終り、たぶん、CMに入ったのだろう、DJの彼は咳払いをしていた。

 やはり曲の流れている間やCMの間に耳障りとなる咳払いなどをするものだと、何気なく感心していたら、すぐに私のことが紹介され、出番となった。

 私の準備としては、愛犬のあんが突然「ワン!ワン!」言い出さないかと直前にあんの昼寝を確認したりしていた。

 最初のほんの少しだけ緊張したが、ただ電話で誰かと話す感じを私自身が取り戻し、無難に話せたと思った。

 それは成功とも失敗とも言えない、と言うのは主に山谷のボランティア内容を話し、私がボランティアをし始めたきっかけなどを話しただけだったからである。

 質問が決まっていたこともあり、マザーの愛のことや深い話しはやはり五分と言う時間内では話せなかった。

 私としてはやはりマザーの愛について話したかったのである。

 にも関わらず、こうした普段にない緊張感を感じることは意外と面白いとも感じた。


 さて、ケンは昨夜大阪に夜行バスで旅立った。

 今ごろ京都を観光しているのか、どうか分からないが日本を楽しんでくれていることを期待している。
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ケンがうちに来た。

2017-05-23 11:07:14 | Weblog

 金曜日から忙しくしていて、なかなかゆっくりとブログを書く時間がなかった。

 金曜日はローカルラジオに出て、五分間だけど、山谷のことなどを話した。

 土曜日はケンに会えた。

 ケンを山谷に連れて行き、その後、うちに連れて来た。

 まず地元にあるたこ焼き屋に行き、たこ焼きを食べさせ、それから、うちに来て、あんと散歩をし、多摩川に行った。

 日曜、ケンはフランス語のミサに行き、その後、三社祭りを見に行った。

 昨日、ケンは町田さんに焼き鳥屋に行ってからジャズを見に行った。

 昨夜はカルカッタにべッティーと話し、久しぶりに彼女の顔を見た。

 時間がないので、今はゆっくりと書けない。

 忘れないようにメモをしておく。

 あとでケンの写真をアップしようと思う。
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ケンが日本に来る。

2017-05-18 13:21:29 | Weblog

 明日の夜、カルカッタのホテルマリアで私の隣に住んでいたアメリカ人のケンが初めて日本に来る。

 土曜日、私は彼の滞在する浅草のゲストハウスに迎えに行き、山谷のMCブラザーのところに連れて行く予定である。

 私の去った後のことや、シスターたちやボランティアたちのこと、ほんとうにいろいろと話しを聞きたくてしょうがない。

 それにケンはニュージャージー出身であるが、日本食が好きで良く友達と日本料理屋の「大松」に行っていたと話していた。

 そこで「どんぶり」とか「・・・おろし」とかを食べていて、とても日本食に興味を持っているので、私はどこへケンを連れて行こうかと、最近は良く考えてはケンの喜ぶ顔を思い出し、勝手に私も微笑んでいた。

 ケンはハウラーで働いていて、私はシアルダーだった、一緒に働いたことは一日だけであるが、私たちはだいたいいつも一緒にいた。

 朝のミサも夕方のアドレーション、夕食は毎日一緒だった。

 カルカッタでそこまで長い時間を過ごした一緒に過ごしたボランティアはあまりいない、それほどお互いが気の合う間柄であった。

 さて、もう二つ寝るとケンに会える、楽しみの正月を待つ思いでいる、ケンとカルカッタの話しをすれば、私の心はまた夢のカルカッタに帰郷するのかも知れない。

 
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ありがとう、ブラザー。

2017-05-16 12:15:03 | Weblog

 もし、と言うことはいつもは使いたくない、だが、もし、ブラザーノアスが山谷に居なかったならば、私は洗礼を受けなかったかも知れない。

 私にカテキズムを教えてくれたダニエルはザビエル会の司祭だった。

 東北の震災前の頃であろう、黙想のために良い場所はないかと探している時に、山谷のブラザーたちのことを聞き、行くことを決めた。

 それが半ば居なかった時もあったが、約二年の滞在になり、私はその間にダニエルの人柄に惚れ、カテキズムを教えてもらおうと思った。

 そのダニエルは現在カルカッタにいる、ダニエルはザビエル会の司祭を辞め、マザーテレサのブラザーの会に入ることを決めた。

 それもブラザーノアスの柔和であり、謙虚な態度、貧しい人たちへの深い愛情に感化され、新たな召命を受けたからである。

 ブラザーノアスは深くすべての人たちを深く愛してくれた。

 お別れの会の時、そこに集まった古いボランティアたちは一人ひとり感謝の言葉をブラザーノアスともう一人日本を去るブラザーバルナバスに伝えた。

 ブラザーバルナバスはその時、ボランティアたちの言葉を聞いた後、私たちはボランティアも含め、家族であると言ってくれた。

 次にブラザーノアスは、少し話し始めたが、言葉を詰まらせた。

 そして目頭を押さえ始め、泣き始めた。

 私はもらい泣きをした。

 今までそんなブラザーを見たことがなかった。

 そこまでもこの日本のこと、山谷のこと、ボランティアたちのことを愛してくれていたことが十分に分かった。

 上辺の言葉だけではない、行いすべてにほんとうに愛情深いブラザーだった。

 出会わせてくれた神さまに感謝してもしきれない。

 
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ブラザーたち。

2017-05-14 12:22:13 | Weblog


 昨日は二人のブラザーが日本を去るにあたって、お別れ会をした。

 ブラザーノアスはフィリピン、ブラザーバルナバスはインドに行くことになった。

 私はこの四人のブラザーたちはほんとうに貧しい人たちのなかにいる神さまを見ることが出来るマザーテレサの愛する子供たちである。
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ドラッグのこと。

2017-05-10 13:17:20 | Weblog

 昨日フェイスブックでマザーテレサのノーベル賞授賞式のスピーチの動画をシェアした。

 マザーがこう言っていた。

 「私は一人の小さな女の子を路上から運んだ。彼女はとても空腹だった。パンをあげたが、彼女はそのパンの小さな一切れを食べ始めたが、あとは小さく切り分けていた。私は{食べなさい。パンを食べなさい。もっと・・・}と言うと、彼女は言った。{このパンを食べきるのが怖い、なぜなら、食べきれば、また空腹がやって来るから・・・}。

 こうした貧しさをしのぐために、小さな子供もドラッグに手を出さずに居られなくなっている現状がある。

 以前、私もシンナーを吸っている7歳ぐらいの男の子と会った。

 その子に私は「このビスケットをあげるから、それ{ドラッグ}を私に渡しなさい」と言ったが、彼はドラッグを放さず、「ビスケットは要らない」と言った。

 「それ{ドラッグ}は必要なんだ?」と優しく言うと、「うん」と言っていた。

 5、6歳ぐらいから路上の貧しい子たちはシンナーを吸い始め、その後、マリファナやブラウンシュガーと強いものをするようになり、廃人になっていく。

 ブラウンシュガーの場合、やり方はインドの場合、三通りある。

 あぶり、注射、そして、身体を切り付け、そこに直にブラウンシュガーを塗り込むものである。

 昨日のブログで書いたリナはこの三番目のやり方でブラウンシュガーしていた、それは容易にHIVにもなるだろう。

 マザーは言っていた「麻薬中毒者は私の神さま」と。

 マザーは胸を痛めるほどに知っていた、彼らの痛みを。

 そうせざるを得ない彼らの激しい貧しさを。

 それ故、私は麻薬中毒者にも愛を届けようと心にしていた。

 ビスケットを要らないと言った子供も、その次の日、またその次の日も、独りで私を待つように同じ場所に来ていた。

 激しい空腹もあるが、人の関わり、愛情への渇望もあった。

 ドラッグをしている良くないものと裁くのではなく、また何も出来ないと嘆くのではなく、その子供に微笑むこと、許すこと、思うこと、愛情を惜しみなくそそぐこと、をしようとした。

 マザーがしたそれをひたすら感じるように求めながら、神さまを喜ばそうとした。

 
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リナのこと。

2017-05-09 12:16:34 | Weblog

 私がカルカッタを離れる時にどうしても心配な一人の女性患者がいた。

 彼女の名前はリナ、旦那ロビーと息子、妹のミナやミナの旦那たちとシアルダーの駐車場で路上生活していた。

 リナは激しい足の痛みでもう歩くことが出来なくなり、3月半ば、アイルランドのNGOのホープの病院に入院させた。

 しかし11日の入院だけで退院させれた。

 リナは以前バライプールにあるMCの結核患者の施設に入院していたが、4ヶ月でそこを自ら離れてしまい、また結核のために病状が悪化していたとのことだった。

 ホープの病院で栄養状態のみは快復されたが、私が帰国する時、まだ歩けはしなかった。

 私はマザーハウスのシスターアントに頼み、もう一度リナをバライプールの施設に入れるようにしてほしいと頼み、私は帰国した。

 その後シアルダーのボランティアはバライプールにリナを運んだが、実はリナがHIV保持者であることが分かり、結局シャンティダンのHIVの施設に移った。

 このシャンティダンのHIVの施設にはボランティアは居ない、オリエンテーションでも紹介されないのでHIVの施設があることはあまり知られていない。

 女性のHIV患者はシャンティダンのなかにある施設に行き、男性のHIV患者場合は同じ敷地内にあるブラザーのHIV患者の施設に行くことになる。

 今はリナは何も食べることが出来ず、薬も飲めない状態だと昨日べッティーから連絡が来た。

 私にはいまリナのために出来ることは祈ることののみである。

 だが、もう少し何か出来ないかと私は考えた。

 べッティーに私の写真を送り、リナに見せ、日本から私が祈っていることを伝えてほしいと伝えた。

 べッティーがどう伝えるか、ここからでは分からない、ただベンガル語だけしか話せないリナであるから、きっとベンガル語を誰かに教わり、リナの前でスマホのなかにある私の写真を見せて、優しく話すであろう。

 大切なことはあなたを大切に思っている人が居ると言うことを伝えることである。

 リナにはスマホの写真を見ることも初めてあろう、べッティーも自分のスマホから写真をインド人の患者に見せることは初めてになるだろう。

 そこに愛が生まれることを私は期待し祈っている。

 リナはもうすぐ死ぬのかも知れない、しかしその前にもっともっと愛を味わってほしいと願い祈っている。

 ちなみにリナの妹のミナもバライプールに8ヶ月入院していた。

 兄のガテは私がプレムダンに運んだが容態は回復せず、私が滞在中に亡くなった。

 そのことはミナには知らせた、その時、ミナは号泣した。

 病状の良くなかったリナには旦那ロビーや彼らの友達と話し合い、リナには伝えることはしなかった。

 彼らはほんとうに貧しい兄弟だった。

 空腹をしのぐため、ドラックをしなくては生きて行けないほど貧しく、彼らの腕には無数のブラウンシュガー{ヘロインをケミカルにしたドラッグ}をした痕があった。

 だが、兄弟愛をしっかり持っていた、そして家族、仲間がいた。

 私やべッティー、他のボランティアもその仲間に加えて欲しいと、私は願い祈る。

 
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ライブが決まりました。

2017-05-08 11:48:26 | Weblog

 6月23日{金}に学芸大学にあるアピア40でライブをします。

 まだうたをうたえるのが嬉しいです。

 良かったら来てください。

 何事も必ず終わりがあり、別れがあり、喪失がある、その意味をその時に知ることも意味あることではあるが、いまここでそれを感じることにより、いまここに感謝する思いを豊かに味わうことをしても良いのではないかと思う。

 人生から語り掛けられていることに心を寄せることにより。

 
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フレッシュ。

2017-05-05 18:01:18 | Weblog

 私がコルカタで滞在していたホテル・マリアには二匹の猫がいた。

 人懐っこい黒猫と警戒心の強い白に少し柄のあった猫だった。

 この猫たちは悠々自適にホテル内を歩き回っていた。

 黒猫などは何か食べ物があるのではないかと、少しでも部屋のドアが開いていると、素早く入ろうとするくらいだった。
 
 猫は嫌いではないが、そこら中を歩き回っている猫なので決して綺麗とは言えないので、私は触ろうとはしなかった。

 あれはイネスの誕生日パーティーをホテル・マリアの屋上でした時、やはり黒猫は何かをあさりに来ていた。

 カナダ人のクレイグが動物好きで猫を抱き、匂いを嗅ぎ、「フレッシュ」と言って笑っていた。

 私はそれを聞きながら、この「フレッシュ」はどんな風に訳せば良いのかと考えた。

 「新鮮」ではないし、「新しい」でもないし、たぶん、あまり汚れなく、臭くないと言う感じでクレイグは「フレッシュ」と言ったのだと思うが、こんな風に「フレッシュ」を使うものだと何だか勉強になった気がした。

 このクレイグは最初はシアルダーにいたが、ハウラーのボランティアが少なくなっていたので奥さんのエミリーと一緒にハウラーに行ってもらっていた。

 彼らは新婚旅行中だった。

 インドに来る前は二週間日本にも来ていて、二人とも日本好きだった。

 クレイグはオタクであろう、アキバのゲームセンターで物凄い上手いゲーマーを録画していたり、宮崎アニメはほとんど見ていて、「君の名は」までスマホのなかに持っていた、そして良くスターウォーズのTシャツを着ていた。

 それを見て、ケンはたぶんクレイグは同じのをあと二三枚は持っていて、着ていない袋に入ったものも持っているよと冗談を言っていた。

 ある日はケンがクレイグが「もう人間相手の仕事は疲れたから、帰国したら動物相手の仕事をしたいと思っている」と言っていたと笑いながら教えてくれた。

 ケンも犬好きだけど、クレイグはそれ以上に犬好きで、良く通りの犬を録画したり、遊んだりしていた。

 ホテル・マリアの周辺にはケンが「マンゴー」と名前を付けた犬がいて、インド犬{路上にいるのはほとんど一種類の犬、ほとんど髪の毛は短い}であるが少し毛の長い犬だった。

 ケンがそのマンゴーと良く遊んでいるので、クレイグもイネスの誕生日パーティーの帰りであろう、マンゴーと遊び、酔っていたからか、終いにはマンゴーにキスしていたとのことだった。

 インドではほとんどの犬が狂犬病を持っているし、またとても汚いのに、クレイグはそんなことは構わない男だった。

 クレイグは面白くて優しい男であるが、猫や犬と遊んでいるからかは分からないが、ほとんど病気の毎日を過ぎしていた。

 ケンに「クレイグはどうしている?」と聞くと「病気」といつものように答えていた。

 クレイグはもうそろそろ帰国するだろう、大きな病気になっていなければ良い、また好きな動物相手のフレッシュな仕事が見つかれば良いと思っている。
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