錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

ラピュタ阿佐ヶ谷「有馬稲子特集」

2013-08-29 03:33:28 | 監督、スタッフ、共演者



 ラピュタ阿佐ヶ谷のモーニングショーで、9月1日(日)から11月9日(金)まで「昭和の銀幕に輝くヒロイン」シリーズの第70弾で「有馬稲子特集」があるのでお知らせします。サブタイトルは「伝説の美女 魅惑の独演」です。

 先週の月曜(8月19日)、ラピュタ阿佐ヶ谷のホームページを見て、9月から9週にわたり有馬さんの特集があるのを知って驚いた。上映作品9本のうち私の見たことのない映画が5本もあるではないか。『わたしの凡てを』『胸より胸に』『危険旅行』『鑑賞用男性』『充たされた生活』である。すべて、ビデオもDVDも出ておらず、フィルムで上映されるのも珍しい作品である。とくに『充たされた生活』がニュープリントというのには、びっくりした。残りの4本は、『愛人』『赤い陣羽織』『わが愛』『かあちゃんしぐのいやだ』で、『かあちゃんしぐのいやだ』以外は3本ともビデオが出ているし、何かの特集で見たことのある映画である。
 2010年3月に新文芸坐で「にんじんくらぶ 三大女優の軌跡 久我美子 有馬稲子 岸惠子」という上映会を約二週間したことがある。その時は有馬さんに「錦ちゃんの映画ばかりでなく、わたしの映画も上映してよ」と言われ、新文芸坐の要望もあって、私が企画し、記念本まで作ってやったのだが、それからなんと三年半ぶりである。
 今回のラピュタでの「有馬稲子特集」には残念ながら、錦ちゃんとの共演作は入っていない。と言っても、共演作は、『浪花の恋の物語』と『武士道残酷物語』と『徳川家康』の3本しかないのだから、特集に洩れるのは仕方がないかもしれない。
 ラピュタでは、2005年7月から8月に同じモーニングショーの第22弾で「有馬稲子特集」をやっているが、それからは8年ぶりなのだ。その時は有馬さんもラピュタへ三、四度いらして、映画をご覧になったという話だ。
 で、月曜日に私はすぐに有馬さんに連絡をとり、ラピュタの「有馬特集」について有馬さんがご存知かどうか確認した。すると、まったく知らなかったということで、上映作品を挙げると、有馬さんが公開当時以来見たことのない映画が何本かあって、有馬さんも驚き、大喜びだった。早速チラシを送ってほしいとおっしゃるので、今度はラピュタの支配人の石井さんに連絡をとった。チラシは出来たばかりだと言う。そこで、水曜日にラピュタへ出向き、有馬さんの本の販売やらトークショーのことなどを打ち合わせた。もらったチラシは、有馬さんのご自宅と事務所であるホリプロ・ブッキング・エージェンシーに数部ずつを送った。
 そんな次第で、有馬さんも特集期間中は3日か4日、映画を観にいらっしゃるとのことで、トークショーも私が聞き手で催すかもしれない。ただ、ラピュタはぎゅうぎゅう詰めでも60名くらいしか入らないところなので、トークショーが実現できるかどうかは今のところ未定である。
 この上映会については有馬稲子さんのホームページにも詳細が掲載されているので、ご覧になりたい方は下線をクリックしていただきたい。

 

ラピュタ阿佐ヶ谷の桜町弘子トークショー(その2)

2012-07-01 18:51:17 | 監督、スタッフ、共演者
 桜町弘子さんは伊豆半島の南端下田の生まれ。ご両親は旅館をやっていた。県立の女子高の三年生の時に、写真コンテストに入賞、続いて「ミス丹後ちりめん」の東海地区代表に選ばれ、全国大会で準優勝した。下田では評判のお嬢さんだったようだ。
 ちょうどその頃、東映作品『剣豪二刀流』(原作「それからの武蔵」、武蔵=片岡千恵蔵、小次郎=東千代之介)のロケハンで松田定次監督一行が巌流島を探しに下田を訪れた。そして、たまたま桜町さんの評判を聞いて、会ってみようということになり、実家の旅館にやって来た。
 桜町さん、「旅館の囲炉裏端に坐って、わたしをジロジロ見て。みなさん、なんだか人相が悪くて、ギャングみたいだった」と。結局、巌流島のロケ地に下田は使わなかったが、桜町さんはスカウトされ、東映の第三期ニューフェイスに選ばれる。同期は大川恵子さん、里見浩太郎さん。
 初めの芸名は、松原千浪だったが、勝浦千浪さんという似たような名前の女優さんが居たので、デビュー後3作目で、桜町弘子に改名した。
「知らないうちに勝手に名前変えられちゃったの」とのこと。
 デビューしたての頃、共演の大川橋蔵さんが、付き人を通じて、桜町さんに「口の周りに産毛が生えてるけど、剃ってくれないか」と言ってきたそうだ。それから「鼻毛も出てるよ」と。「田舎出の娘だったので、お化粧なんかしたことなかったのね」と、桜町さん、楽しそうに話してくれた。
 錦ちゃんとの共演では、『おしどり駕篭』(1957年 マキノ雅弘監督)で、妹のお姫様役の桜町さんが、扇子を開いて投げるシーンがあるのだが、それがうまく出来なかった。あとで錦ちゃんにずいぶんからかわれたそうだ。
 『隠密七生記』(1958年 松田定次監督)では、錦ちゃんに抱かれて死ぬシーンでNGの連続。「わたし、緊張しちゃって、何度やっても出来なくて。そばで山形勲さんと原健策さんがずっと出られないまま待ってるの。もう悪くってね。錦ちゃんもわたしを抱いたまま、『重いよー』って……」
 桜町さんの話では、錦ちゃんとやっていると、「なんか威圧感を感じるの」だそうな。
 『反逆兒』では、花売り娘で登場し、舟を漕ぎながら歌を唄うが、「あの歌は吹き替えじゃなく、わたしが唄ったのよ、下手だけど」と。「今でも覚えてますか」と私が水を向けると、桜町さん、急に立ち上がって、唄い出したので、みんなビックリ。
 伊藤大輔監督のことは、「とっても恐い先生でした。古武士みたいにいつも杖をついていらして、わたしの方へ杖を向けて、『そこの女!』なんておっしゃるの」
 まだまだ桜町さんの話は続き、あと一時間はトークが出来たような感じだった。
 打ち合わせの時、「わたし、あなたの質問にイエスとノーとしか言わないかもしれないわよ」なんておっしゃっていたが、全然ウソ。後ろで、支配人の石井さんが、「あと5分」の合図をしていたが、ギリギリの1時近くまでトークショーを続けさせていただいた。
 トークの後は、一階のロビーに移動してサイン会。写真もオーケーで、私は助手兼キャメラマンになって、お手伝いした。
 
 
(ラピュタ阿佐ヶ谷ロビーにて。サイン会終了後)

 桜町弘子さん、ありがとうございました。


 

ラピュタ阿佐ヶ谷の桜町弘子トークショー

2012-06-30 14:53:38 | 監督、スタッフ、共演者
 書き込みがひどく遅れてしまった。
 先日、ラピュタ阿佐ヶ谷の支配人の石井紫(ゆかり)さんが写真を送ってくれたので、その掲載もかねて、6月9日(土)に行なわれた桜町弘子さんのトークショーの模様を書いておきたい。が、もう20日も前のことだし、残念ながらトークを録音していなかったので、覚えていることだけをお伝えしておく。

 9日の土曜は朝から小雨だった。
 朝10時半から映画『車夫遊侠伝 喧嘩辰』上映。最後列の席で桜町さんと並んで、映画を観る。ラストシーンで、桜町さんが感極まり泣いてしまったので、「お化粧室、行かれますか」と私。「大丈夫」とおっしゃるので、正午少し過ぎからトーク開始。石井さんからの紹介があって、桜町さん、続いて聞き手の私がスクリーンの前へ。
 桜町さん、立ったままで丁寧なご挨拶。涙声で、
「雨が降っている中を、みなさん、こんなにたくさん、わざわざいらしていただき、本当にありがとうございます!」
 ラピュタは超満員。大きな拍手。私の知り合いも10人ほど来ている。



 まず、今観た『車夫遊侠伝 喧嘩辰』のことをお聞きすると、桜町さん、この映画は大好きな思い出の作品だそうで、
「わたし、ちゃんと結婚できなかったんですけど、この作品で三度もお嫁さんになれてほんとに良かったわ」
 それから、加藤泰監督のことをいろいろ話される。
「撮る前にずっと(キャメラを置く)穴掘って、準備が終ってやっと始まると、わたしが何度やっても加藤先生がムスッとなさっていて、オーケーが出なくて……」
 撮影は毎日大変だったそうだ。桜町さん、心の中で監督に腹を立てながら、むきになって演じたという。加藤泰監督は、俳優に何度も何度も演技をやらせながら追い詰めて、その中からイイものを取り上げる。辰(内田良平)が花嫁の桜町さんの頭をこづくシーンでは、文金高島田の角隠しを何度直したか分らないほどだったと。監督は俳優のアイディアも生かし、喧嘩に行く前の辰と桜町さんのシーンで、辰がおにぎりを食べるところがあるが、「あれは、内田さんのアイディアなの」とのこと。
 ここで、私がお客さんから、この映画についての質問を受け付けると、三、四人の方から質問があり、桜町さんのお答えがあって、その後、女優桜町弘子誕生のいきさつをいろいろとお尋ねする。私も拝聴していて、ここからのトークが非常に面白かった。
 ラピュタでのトークショーはなごやかでアットホーム。舞台の上でやる新文芸坐のトークショーより、聞き手としてもやりやすい。(つづく)

 

ラピュタ阿佐ヶ谷「桜町弘子」

2012-05-08 18:28:16 | 監督、スタッフ、共演者
 現在、ラピュタ阿佐ヶ谷のモーニングショー(午前10時半より)で桜町弘子さんの映画特集をやっている。
 明日から三週間にわたり、錦ちゃんとの共演作を3本上映するので、書いておきます。
 
 5月9日(水)~15日(火) 『美男城』
 5月16日(水)~23日(水) 『家光と彦左と一心太助』
 5月24日(木)~31日(木) 『反逆兒』

 『美男城』は、平成21年11月「錦之助映画祭り」に合わせ、東映ビデオがDVDを発売する時にニュープリントにしてくれた作品である。新文芸坐での上映日がちょうど丘さとみさんのトークショーだったので、私は対応に追われ、半分しか観ることができなかった。
 東京のどこかで上映してくれたらぜひ観に行こうと思っていたが、これまでどこでもやってくれなかった。二年以上経ってやっとスクリーンで観られることになり、大変嬉しい。
 東映はニュープリント作品だと、二年間は映画館への貸し出し料を高く設定しているので、映画館は二の足を踏むことになってしまう。旧作のニュープリントは除外してほしいと常々思っているのだが、どうにかしてくれまいか。錦之助映画ファンの会が寄付金で作ったニュープリントも新文芸坐で一日上映しただけで、二年間倉庫に眠っているものばかり。錦ちゃんの13回忌の年(平成21年)に制作したニュープリントがようやく期限切れになったので、どんどん上映してもらいたいものだ。
『ゆうれい船』(前・後篇)『丹下左膳 飛燕居合斬り』『江戸っ子奉行 天下を斬る男』などは、早くまた観たいなあと思う。



桂長四郎さんを偲ぶ

2012-04-28 10:30:33 | 監督、スタッフ、共演者
 美術監督の桂長四郎さんが亡くなった。87歳だった。
 桂さんは京都での錦之助映画祭りに何度も足を運んでいただき、また京都シネマではトークゲストにお迎えし、私が聞き手をやらせていただいた(2009年6月11日)。「青春二十一 第二巻」の日誌にはそのときのことが書いてあるが、この小冊子を桂さんのお宅へにお送りした二週間前(3月26日)に桂さんは亡くなっていた。お送りしてすぐ奥様からお電話をいただき、桂さんの逝去を初めて知らされたのだった。第二巻をご覧になられたら、あの童顔をほころばせ、きっと喜ばれたに違いないと思うと、お目にかけられなかったことが悔やまれてならない。桂さんとは何度かお話ししたが、穏健でとても真面目な方だった。


(桂さんと京都シネマのロビーで)

 桂長四郎さんは美術デザイナーとして、昭和22年東横(東映の前身)入社から昭和39年ごろまで東映一筋にずっと第一線で活躍された。最初に稲垣浩監督作品につき、その後松田定次、マキノ正博(雅弘)、中川信夫、佐々木康、伊藤大輔、田坂具隆といった名監督たちの作品の美術を担当された。錦之助出演作では、『任侠清水港』『おしどり駕篭』『浅間の暴れん坊』『弥太郎笠』『親鸞』『続親鸞』『反逆兒』『ちいさこべ』『源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶』『関の彌太ッペ』などがある。


(京都シネマに展示した『弥太郎笠』のポスター)

 今私の手許に、京都シネマでのトークショーの時に、桂さんから前もっていただいたトークの原稿がある。トークの前に桂さんがちょっと打ち合わせをしたいとおっしゃり、こういうことを話そうと思っているんですがと手渡されたのがこの原稿である。私もこれまで何人かトークの聞き手をやっているが、原稿を書いてこられたのは桂さん以外にはいない。実際のトークは全くこの通りには行かず、違う話(桂さんが東横に入社するまで)に時間をとってしまい、桂さんが用意してきた内容とは相当離れてしまった。桂さんのご冥福を祈り、その原稿をここに紹介させていただく。

 美術デザイナーの桂長四郎でございます。
 振り返ってみると、中村錦之助さんを中心にして監督のマキノ雅弘さん、田坂具隆さん、伊藤大輔さんを始め、たくさんの方達との出会いを持ち、良い作品につかせていただけたことを幸せだったと思っております。
 先ほど観ました『弥太郎笠』は、子母沢寛の名作で、各社で撮られておりますが、この作品はマキノ監督好みの作品だと思っております。昭和35年(1960年)公開ですから、49年ぶりに観ました。マキノさんとはこの作品のほかに6本くらいやっております。
 『ちいさこべ』は、一昨日上映され、見せてもらいましたが、この話は江戸の大火で親と死に別れた孤児達を助け、一緒に生活していく若き大工の棟梁を、田坂さんは優しい目で描いた心の暖まる作品であったと思います。
 田坂さんはその昔、日活多摩川時代は『路傍の石』や『土と兵隊』といった心にしみる名作を作ってこられ、内田吐夢さんと昔の日活を代表する監督です。私が田坂さんと初めて仕事をしたのは、『親鸞』でした。これも時代劇ですが、むつかしい時代で、考証が大変でした。田坂さんという方は誠実で穏やかに話をされる方で、打ち合せにあたって私の意見をじっくりと聞いていただき、それをとり入れていただけたと思っております。田坂さんは終戦の年広島で被爆され、「桂さん、私はねェ、原爆の落ちた時、便所に入っていたから命が助かったんだよ」と言っておられたことを思い出します。当時白血病でおつらかったことだと思いました。
 この『ちいさこべ』のお話をいただいたのは私がちょうど『反逆兒』で毎日映画コンクールに入賞してその受賞に東京の東映本社へ寄った時、本社の方が田坂さんが私がこちらへ来るので是非会いたいとおっしゃっているので受賞式が終ったら必ず本社へ立ち寄るようにと言われ、式が終って本社へ訪れると、田坂さんとプロデューサーの小川貴也さんが待っておられ、次回にやる『ちいさこべ』の美術をやってほしいと言われて驚いたことがありました。監督からじかに指名されたことは初めてだったからです。
 準備して撮影に入りましたが、大工の棟梁の話ですから、大道具の係の古い方にお願いし、演技の指導、新築の家を建ち上げるまでの工程と立ち会ってもらい助かりました。
 そして江戸の大火の場面、焼け跡のセットも大変でした。オープンセットで作るわけにもいかず、近くにある宝プロダクションの空地に全部焼け跡の江戸の街を作りました。材料には焼けた木材をずいぶんと使いました。



(京都シネマに展示された『ちいさこべ』のポスター)

 今回は上映されませんでしたが、伊藤大輔監督の『反逆兒』は私の一番思い出に残る作品です。私と伊藤さんとの初めての出会いは小池一美さんというデザイナーについて早川雪洲の『あゝ無情 第一部』(レ・ミゼラブル)でしたが、二週間ほど九州ロケに連れて行ってもらい、私は監督の指名で捕り手役にかり出されたことを思い出します。
『反逆兒』は、徳川家康の長男である信康を家康は徳川の家を守るために殺させるという悲惨な話でしたが、その信康を演じた錦之助さんの演技は大変見事だったと思いました。
 その年の芸術祭で伊藤大輔監督が『反逆兒』で芸術賞を受けられてその祝賀会が行なわれた時、その席上で離れた席から私の方へ来られた錦之助さんから、「桂さん、良かったですね」と握手をしていただいたことがありました。錦之助さんはこの『反逆兒』で熱演されておられ賞をいただけると私達は信じていたのに、ご本人も残念だったと思います。まだまだ思い出はつきませんが……。伊藤さんとはその後、『源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶』『この首一万石』と三本続いて仕事をさせていただきました。



(トークが終って、桂さんご夫妻と食事)