錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『江戸の名物男 一心太助』(その二)

2006-06-26 04:18:32 | 一心太助・殿さま弥次喜多
 沢島忠監督が描く魚河岸のごった返している朝の場面が私は大好きである。太助が天秤棒をかついで、左から右へと人ごみをくぐって歩いていく姿を、私はいつも惚れ惚れとして見ている。魚河岸が「動」だとすれば、神田駿河台にある彦左衛門の屋敷は、「静」である。もちろん、太助が「天下の一大事!」と叫びながら大久保屋敷に駆け込む時や屋敷内に事件が起こる時は、「動」に変わるが、基本的にこの屋敷は落ち着いた静けさを保っている。
 また、この映画には、太助と彦左衛門が池で釣りをする場面が二度現れる。ここで二人は語り合い、太助が悩みを打ち明け、彦左衛門が教え諭すのだが、この「静」の場面が実に効果的なのだ。二人のやりとりをじっくり描いたこの場面があるからこそ、観客は二人の心の交流に強い共感を覚えるのだと言えよう。

 もともと、『一心太助』という映画の良さは、太助(錦之助)の「動」と彦左衛門(月形)の「静」の対照性にあるのだが、この動と静が、事によっては攻守交替することがあり、そこがまた堪らない魅力でもある。私が言っている「静と動」とは、心の動きのことでもある。
 家宝の皿を割ったお仲(中原ひとみ)をかばい、太助が彦左衛門の前で、残りの皿を全部割り、これで九人分の命が助かったと言って、もろ肌脱ぎ、お手打ちを覚悟する場面がある。この映画の名場面だ。太助に居直られて、彦左衛門はたじろぐ。この時、太助は、彦左衛門から教わった「一心如鏡」の心境に達し、「静」になる。一方、彦左衛門は普段の落ち着きをなくし、動揺する。この時、彦左衛門は逆に太助から大切な人の道を教わるのだ。太助の私心のない心意気に感服し、こう叫ぶ。「うー、えらい!立派じゃ、太助。さすがにワシが目をかけた男だけのことはある!」

 この映画は、「静と動」が巧みに使い分けられている。そのメリハリの利き加減が素晴らしいのだと思う。沢島監督の初期の映画は、バタバタしている印象が強い。息もつかせぬスピード感が特長で、登場人物たちが走ったり、群れをなして暴れたり、カメラワーク(坪井誠撮影)も動きが激しい。時には、それが落ち着きのない印象を与え、失敗したりもする。目まぐるしく暴れ回る場面が多すぎると、ストーリーや人物の描写が二の次になり、作品的に何も伝わらないまま終わってしまうことにもなる。
 『江戸の名物男』は、沢島監督のデビュー後二作目、親友錦之助を主演に招きメガフォンを取った念願の第一作である。つまり、彼のごく初期の作品なのだが、動きが多くスピード感溢れる彼の作品の特長はすでに発揮されている。ただし、太助が大乱闘するドタバタ喜劇的な場面は前半の一箇所だけにとどめ、シーン数の多さとシーン間のつなぎの鮮やかさでスピード感を出している。ドタバタ度は押さえ気味にして、セリフのやりとりや動作の面白さで喜劇性を演出している。笑わせるネタが次々に出て来るが、そのヴァリエーションの多さには感心してしまう。しかも、要所要所に「静」の場面、つまり情感のある点描を挿入し、作品に綾を加えている。たとえば、太助が休みの日と知らずに訪れた魚河岸の閑散とした情景(誰もいない市場に野良犬がうろついている)、雪の中で太助が老婆をおんぶして行く場面などがそうだ。また、「静」の場面では、登場人物たちの人間関係(お仲と彦左衛門、お仲と喜内など)をきちんと描いている。だから、作中で彼らが動き出した時、水を得た魚のように生き生きとしてくるのだろう。
 私は、これほど生きのよい、粋な作品を知らない…。



『江戸の名物男 一心太助』(その一)

2006-06-26 02:44:49 | 一心太助・殿さま弥次喜多

 錦之助の「一心太助シリーズ」では、第一作『江戸の名物男』(昭和33年2月公開)が、私はいちばん好きだ。この作品だけ低予算のモノクロだが、処女作にして「これぞ一心太助!」とでも言うべき見事な作品に仕上がっている。確かに第二作の『天下の一大事』(昭和33年10月公開)は、第一作の成功もあって総天然色になり、錦ちゃんもスタッフもみんなノリノリという感じで、最高に楽しめる娯楽作品である。(この第二作についてはすでにこのブログで感想を書いた。)しかし、作品の味わい深さ、内容的な奥行き、登場人物の奥ゆかしさ、きめ細かな情景描写という点では、第一作が勝ると思う。作品のスケール、ドタバタ喜劇的な面白さ、そして、錦之助の威勢の良い江戸っ子ぶりから見れば、第二作に軍配が上がるだろうが…。

 今回は、第一作『江戸の名物男』について書きたい。
 この作品はいろいろな点で素晴らしいと私は思っている。太助に成り切った錦之助のずば抜けた演技、月形龍之介の渋くて風格のある芸については語り尽くされていると思う。他の共演者について言えば、これも低予算のためか、やや手薄だが、太助を慕うお仲(中原ひとみ)の可愛らしさ、彦左衛門の家来笹尾喜内(堺俊二)の滑稽さ、老中松平伊豆守(山形勲)の一癖も二癖もある智謀家ぶり、長屋の大家さん(杉狂次)のほほ笑ましさ、魚屋の相棒(星十郎)の空元気など、みな適役ばかりで、二役を演じた錦之助の将軍家光も気品があって堂に入っていた。まあ、こんなことは言わずもがな、であろう。ここでは、あえて見方を変え、この作品の素晴らしさを語ってみたい。ちょっとマニヤックな鑑賞法になるかもしれないが、お許し願おう。
 まず何よりも注目したいのは、この映画が勧善懲悪のお決まりのストーリーでないことである。それにもかかわらず、十二分に楽しむことができ、痛快さを感じ、心を洗われたような爽快感を味わえるところが、第一作のすごさだと思う。
 ご覧になると分かると思うが、『江戸の名物男』には、悪者が一人も出て来ない。厳密に言えば、ちょい役でスリが一人出て来る程度である。彦左衛門のことを煙たがっている徳川の重臣は登場する。が、彼らは決して謀略をめぐらすような悪逆非道な権力者ではない。老中松平伊豆守の山形勲は、珍しく良い役で、彦左衛門の協力者である。若年寄の加賀邦男(端役だが…)は、彦左衛門に批判的だが、悪者ではない。太助が魚屋になってすぐに喧嘩をする魚河岸の連中も、彦左衛門のお裁きのあと、太助と仲直りして親しい仲間になる。
 東映時代劇で、悪役・敵役が出て来ないというのは非常にまれなことなのだ。娯楽作品では画期的なことかもしれない。だいたいどの時代劇も、ヒーローである主人公が悪事を暴き、最後は悪者を成敗するものとパターンが決まっている。そこに観客は鬼の首でも取ったかのような痛快さを感じるのだが、『江戸の名物男』は、このパターンを完全に脱している。脚本を書いた田辺虎男という人のことを私はほとんど知らないが、意識的に悪者の出て来ないストーリーを書いたことは明らかである。(第二作以降は、脚本家が変わったこともあってか、悪旗本や悪商人や手下の悪者たちがたくさん出て来て、残念ながらまた勧善懲悪のパターンに戻ってしまう。)
 要するに、この作品は、性善説に基づくとでも言おうか、人間の良心(善根)というものを前提にした上でストーリーが展開していく。途中で、片岡栄二郎がスリに財布を奪われた老人を助ける。が、あとでこの片岡が大罪人として捕縛され、馬に乗せられ引き回しになるシーンが出て来る。町の衆は片岡に石を投げるが、太助はそれを制し、生まれ変わる時は良い人になってくれと祈って彼を見送る。この場面など、やや作為を感じるものの、象徴的な表現だと思う。
 言ってみれば、『一心太助』第一作は、善男善女の人情話である。その面白さは落語的だが、この作品から得られる爽快感は、その内容が修身のお手本のようだからなのであろう。



『一心太助』(その二)

2006-06-24 21:59:17 | 一心太助・殿さま弥次喜多
 一心太助のお墓がどっかにあるという噂は以前から聞いていた。この間、「有名人、著名人のお墓案内」というサイトで調べてみると、ちゃんとあった。東京・白金の立行寺というお寺に太助の墓があるではないか!立行寺は(何と読むのだろう?「りつぎょうじ」かな)、実は、大久保彦左衛門が建立したお寺なのだそうだ。ここには、彼自身の墓もある。彦左衛門こと大久保忠教(ただたか)は、もちろん歴史上実在した人物。『三河物語』という自伝が残っていて、これは老人の繰言を綴った本らしい。(この本、私はまだ読んだことがないが、今度読んでみたいと思っている。)問題は、一心太助の墓があるということだ。一心太助は架空の人物である。それなのに墓があるというは変な話だが、彦左衛門の墓の近くに一心太助の墓を作ったというアイデアが面白い。きっとシャレの分かる人が作ったのだろう。太助と彦左の墓のあるこのお寺、今度訪ねてみたい。泉岳寺の近くなので、ついでに赤穂浪士の墓も参って来ようと思う。
<一心太助の墓>


 一心太助は、講談で有名な人物である。あの立川文庫にも入っているらしいが、先日私は神田の古本屋街で、太助の講談本を探してみたが、どうしても見つからなかった。古本屋のオヤジに聞いたら、東京の平井に講釈師田辺一鶴がやっている古本屋があるから、そこへ行ってみたらあるかもしれないと言われた。ただし、店主の田辺一鶴が客を選ぶので、注意してほしいとのこと。彼は気に入った客にしか本を売らないらしい。
 この際、もうちょっと一心太助のことをお話したい。一心太助という人物が演劇に初めて登場するのは、河竹黙阿弥(1816~1893)が書いた歌舞伎『芽出柳翠緑松前(めだしやなぎみどりのまつまえ)』(通称「松前屋」)であるという。この歌舞伎、私は観たこともなければ、筋さえ知らないが(今度図書館で調べてみようかなと思っている)、どうやら、松前屋五郎兵衛という江戸の商人にして剣豪が主人公の話らしい。ちなみに、この人物は、錦之助の映画『一心太助・男の中の男一匹』で、大河内伝次郎が扮した役である。
 もう一つ、『大久保彦左衛門』という長編小説がある。今ではあまり読む人がいなくなったが、土師清二の代表作で、痛快娯楽時代小説だ。私は、今、この本を読みかけているが、これが非常に面白く、歯切れの良い会話体にぐいぐい引き込まれてしまう。魚売りの一心太助も活躍するが、すでに女房持ち。その名前は「お千」といい、しっかり者だ。錦之助の太助の女房になるのは、中原ひとみが演じた可愛らしい腰元「お仲」だった。
 錦之助の一心太助については今回は何も書けなかった。次回に乞う御期待。



『一心太助』(その一)

2006-06-24 17:42:18 | 一心太助・殿さま弥次喜多
 一心太助は、誰がなんてったって、錦之助!
 錦ちゃんの一心太助、一心太助の錦ちゃん、どっちでもいい。これには、だれも文句はあるまい。文句があるヤツがいたら、出て来い!って言いたい。
 一心太助は、錦之助のはまり役、当たり役、十八番(おはこ)、エトセトラ。
 錦之助と一心太助は「一心同体」だ。一心太助は、錦之助の「分身」だと言っていたのは誰だっけ?錦ちゃん自身がそう言っていたのかもしれない。
 へえー、一心太助を演じた映画俳優はたくさん居たんだなあー!ネットで「配役宝典」というサイト(これ、便利です)を調べてみたら、うじょうじょ居た。
 まずはカツドウの大スター尾上松之助(目玉の松ちゃん)が明治43年初演、大正時代に「一心太助シリーズ」を4本撮っている。その後いろいろ居て、有名なのは片岡千恵蔵の「一心太助」(昭和6年)。でも、ここまでは無声映画。しゃべらない太助じゃ、しょうがない。それから、小林重四郎などまたたくさん居て、阿倍九州男(東映時代の悪役)、藤原釜足までやっている。戦後になると、榎本健一(エノケン)、川田晴久といった喜劇俳優から、河津清三郎、大友柳太朗(彼が江戸っ子かよ!)といった個性派(?)、片岡栄二郎(売れなかったなあ)、高田浩吉、長谷川一夫などの美男俳優がやっているが評判にもならなかった(と思う)。
 この後、登場するのが、真打。待ってました、錦之助だ。ついでに、錦之助の後はと言えば、松方弘樹、舟木一夫、杉良太郎…。あとは流行歌手とかお笑い芸人とか小物俳優ばかり。
 私は、錦之助の一心太助しか知らない。上に挙げた俳優たちの太助を観ていないのに、錦之助が断然一番だって言えるのかって?えい、こうなったら開き直ちゃえ!他の連中の太助なんか、観なくても分かるんだよ。チャキチャキの江戸っ子をやれる役者は、後にも先にも錦之助しかいないんだから…。私は絶対にそう思っている。それに、錦之助の一心太助は人気が違う。リアルタイムで錦ちゃんの「一心太助」シリーズを観た方は知っていると思うが、スゴかったんだから、もう!映画館は超満員、爆笑につぐ爆笑!錦之助の一心太助は国民的ヒーローだった!ホントに。(錦之助の私のイメージは、一に太助、二に武蔵、三に子連れ狼なんです。)
 じゃあ、なぜ錦之助の一心太助がそんなにイイのか(また良かったのか)?その理由を挙げてみよう。
一、錦之助の江戸っ子ぶりが最高なこと。(これは前にちょっと触れた。)
二、大久保彦左衛門の月形龍之介との共演が最高なこと。
三、監督沢島忠と錦之助のコラボレーションが最高なこと。
 この三つの最高に加え、
四、東映時代劇の全盛期に製作されたこと。(これも大きな理由だったと思う。)



『竜馬がゆく』(その四)

2006-06-23 00:00:53 | 幕末・竜馬がゆく

 『幕末』で錦之助の立ち回りは、寺田屋襲撃の場面一箇所しかないが、ここは迫力満点。右手に傷を負ってから、左手一本で行う刀さばきは、まるで丹下左膳のようだった。刀の重量感と斬殺のリアリティが伝わってくる。竜馬の護衛役の江原真二郎(槍を使う)も良い。二人で襲撃者たちに立ち向かい、狭い寺田屋の二階で斬り合うのだが、暗い部屋の壁や廊下の障子にスポットを当てたような照明を使ったのが効果的で、モノクロっぽい画面がかえって鮮やかだった。ここにはおりょうも居て、竜馬を手伝う。敵に裸を見せて、竜馬をかばう場面が有名である。三人はどうにか急場を逃れるのだが、この場面のシークエンスは、殺陣の切れ味もカット割りも素晴らしい。錦之助、江原、小百合の三者三様の動きも良いが、何と言っても伊藤大輔の演出の冴えが発揮されていて、感服した。
 
 最後に、テレビドラマ『竜馬がゆく』について少しだけ触れておこう。伊藤大輔が亡くなったのは昭和56年(1981年)だが、彼の残した脚本を基にして、この年の終わりに12時間ドラマ『竜馬ゆく』が制作される。錦之助はすでに改名し萬屋錦之介になっていた。このドラマは翌年(1982年)1月2日にテレビ東京で放映された。振り返れば24年も前だが、私はこのドラマを全部観たことをはっきり覚えている。先日、購入したビデオ5巻を二日がかりで全部観た。さすがにテレビドラマだと間延びしていて冗長な印象を受けたが、映画『幕末』で描かれた場面はそのまま踏襲していたが、それ以外の所は原作を忠実に再現していた。テレビの方が司馬遼の『竜馬がゆく』のイメージに近いなと感じた。ただ、惜しむらくは、錦之助が49歳で年をとり過ぎていたことだった。それに貫禄があり過ぎて、映画以上に他の男優陣を圧倒しているのが気になった。テレビドラマでは、共演者の年齢差、芸歴の幅が大きすぎて、錦之助のスケールの大きさに付いていけない印象が抜けなかった。たとえば、竜馬より実際には6歳年上の俊英武市半平太が伊吹吾郎では明らかに不釣り合いだし、亀山社中の同僚たちも出演者のレベルがぐっと落ちていた。
 テレビで錦之助に太刀打ちできる演技を見せたのは、岸田今日子の乙女(竜馬の姉)、淡島千景のお登勢(寺田屋の女将)と中村賀津雄の中岡慎太郎くらいだった。大谷直子のおりょうは熱演、あべ静江のお田鶴も奇麗で、若林豪の勝海舟と原田大二郎のまんじゅう屋長次郎も良かった。が、あとは見劣りする共演者が多かった。
 それとこのドラマには錦之助の息子(実子ではない)の島英津夫が新宮馬之助という大事な役をやっていたが、溌剌としていてなかなかの熱演だった。島英津夫には、母親の淡路恵子の協力を得て錦之介の死後出版した『親父の涙 萬屋錦之介』という本がある。その中に書いてあったが、この頃彼は、中村プロのため、そして義父錦之介に憧れ、いい役者になろうと一生懸命働いていたと言う。結局、中村プロは、ドラマ『竜馬がゆく』の放映の翌月、すなわち昭和57年(1982年)2月、不渡り手形を出して、あっけなく倒産してしまう。負債総額12億7千万円、経理担当者の使い込みと資金運用の乱脈が原因だったと言う。島英津夫の出演料(給料)も払われないどころか、萬屋一家は大借金と信用の失墜という大変な苦難を背負うことになった。
 思えば、映画『幕末』が中村プロの記念すべき映画第一作(中村プロは『祇園祭』の製作途中で設立されたので、錦之助自身は『祇園祭』が第一作だと言っている)、そしてドラマ『竜馬がゆく』は、突然の倒産によって、残念ながら中村プロの最後を飾る作品になってしまった。昭和57年は、錦之助にとって、まさに悲劇の幕開けだった。(完)