化粧坂の少将は、『曾我物語』によれば、十六歳の若さで、「引く手あまた」の可愛い遊女だった。そこで、彼女に入れ込んだ男はたくさん居たらしい。なかでも梶原景季という武将が彼女に首っ丈で、曽我五郎が恋敵だと知って、何かとイチャモンを付けてくる。が、五郎は、仇討ちの目的を果たすために、梶原と争うのは避けようとした。
五郎は二十歳で血気盛んな若者であったにもかかわらず、胆の据わった男だった。箱根の山で一人苦労しただけあって、我慢すべきところはぐっと我慢できる大人に成長していたようだ。
五郎にとって化粧坂の少将は初恋の相手で、彼女のもとには足繁く通って、たくさん恋文も送ったらしいが、しかし最後は潔く諦めてしまう。富士の裾野へ向かう前に、曾我の里(現在の小田原市郊外)から平塚まで馬を飛ばして彼女に会いに行くのだが、結局会えずじまいで、和歌を書いた恋文を置いたまま帰って来てしまう。あとで少将がこの文(ふみ)を見つけて、さめざめと泣いた後、遊女仲間に文を見せながら、「わたし、貞女になろう。どうせ梶原なんかの奥さんになれっこないんだもの…」なんてことを言う。仇討ちをして五郎が死んだことを知ると、この女も、十郎の恋人の虎御前を見習って、同じように出家してしまう。十六歳で尼さんになり、五郎の菩提を弔って、なんと八十歳まで長生きしたそうだ。
十郎と虎御前のことも書いておこう。この二人が初めて出会ったのは、十郎が十九歳、お虎が十六歳の時で、よほど相性が良かったのか、猛烈な相思相愛だった。十郎は、彼女のいる大磯の遊女の館(やかた)へ三年間も通いつめ、最後はいわゆる「」みたいなことをやって、曾我の里へ連れて来てしまう。これは前回も書いたことである。それを母親に気づかれ、怒られたのかどうかは知らないが、十郎はお虎をまた大磯へ返す。そして、もう一度連れ戻すといったことをしている。
この二人は、新婚夫婦のような深い関係になっていたため、別れるのが相当辛かった。『曾我物語』にはその愁嘆場が非常に詳しく書いてある。十郎は仇討ちの秘密をお虎に打ち明け、別れなければならなくなった前の晩は、二人で朝まで泣き明かし、涙で布団が水浸しになり、浮き上がってしまったほどだったという。朝、十郎は、大磯に帰るお虎を馬に乗せて、途中まで送って行く。
兄弟が仇討ちの果たして死んだ後、お虎は、曾我の里を訪ね、兄弟の母親、言ってみればお姑さんとも親しくなって、富士の裾野へ一緒に行ったりしている。そして、箱根権現で出家し、諸国を行脚した後、大磯の近くの庵に住み、十郎の供養をしながら六十三歳まで生きたという。お虎は、『曾我物語』のヒロインとも言える女性で、非常に興味をそそる愛らしい女のように私には思えてならなかった。
<箱根にある曾我兄弟の墓、右手にあるのは虎御前の墓>
映画の話に戻そう。
映画では、五郎と化粧坂の少将の関係も、十郎と虎御前の関係もいい加減に描いていた。というより、気軽に話を作り変えていた。芸術祭参加作品なのだから、もう少し、物語に忠実でも良かったのではないか、と『曾我物語』を拾い読みした現在の私は心の隅で思わないわけではない。が、映画を観た時点ではそんなことは思いもしなかったのだから、私も偉そうなことを言えた義理ではない。
原作はどうであれ、時代劇での男女の描き方はこの映画のようにロマンチックな関係に変えた方が良いのかもしれない。十郎も五郎も遊女に夢中になっていたというのでは、昔の東映時代劇のヒーローにはなれなかったであろう。それに、錦・千代ファンが許さなかったと思う。
工藤祐経の仮屋に虎御前が連れ去られ、寝間で工藤の相手をさせられそうな時に十郎がやって来る。化粧坂の少将も仮屋に居て、五郎と再会し、案内役を買って出る。『曾我物語』にはそんな場面はないが、その方が映画として面白いし、映画はこれで良いのだろう。ただ、兄弟が工藤の寝間に駆け込んできた時、虎御前の高千穂ひづるが工藤の肩をマッサージしていたところはどうもいただけなかった。どうせなら、無理矢理手込めにされそうな場面に変えたほうがもっと良かったような気がするが、どうであろうか。(まだ、つづく)
五郎は二十歳で血気盛んな若者であったにもかかわらず、胆の据わった男だった。箱根の山で一人苦労しただけあって、我慢すべきところはぐっと我慢できる大人に成長していたようだ。
五郎にとって化粧坂の少将は初恋の相手で、彼女のもとには足繁く通って、たくさん恋文も送ったらしいが、しかし最後は潔く諦めてしまう。富士の裾野へ向かう前に、曾我の里(現在の小田原市郊外)から平塚まで馬を飛ばして彼女に会いに行くのだが、結局会えずじまいで、和歌を書いた恋文を置いたまま帰って来てしまう。あとで少将がこの文(ふみ)を見つけて、さめざめと泣いた後、遊女仲間に文を見せながら、「わたし、貞女になろう。どうせ梶原なんかの奥さんになれっこないんだもの…」なんてことを言う。仇討ちをして五郎が死んだことを知ると、この女も、十郎の恋人の虎御前を見習って、同じように出家してしまう。十六歳で尼さんになり、五郎の菩提を弔って、なんと八十歳まで長生きしたそうだ。
十郎と虎御前のことも書いておこう。この二人が初めて出会ったのは、十郎が十九歳、お虎が十六歳の時で、よほど相性が良かったのか、猛烈な相思相愛だった。十郎は、彼女のいる大磯の遊女の館(やかた)へ三年間も通いつめ、最後はいわゆる「」みたいなことをやって、曾我の里へ連れて来てしまう。これは前回も書いたことである。それを母親に気づかれ、怒られたのかどうかは知らないが、十郎はお虎をまた大磯へ返す。そして、もう一度連れ戻すといったことをしている。
この二人は、新婚夫婦のような深い関係になっていたため、別れるのが相当辛かった。『曾我物語』にはその愁嘆場が非常に詳しく書いてある。十郎は仇討ちの秘密をお虎に打ち明け、別れなければならなくなった前の晩は、二人で朝まで泣き明かし、涙で布団が水浸しになり、浮き上がってしまったほどだったという。朝、十郎は、大磯に帰るお虎を馬に乗せて、途中まで送って行く。
兄弟が仇討ちの果たして死んだ後、お虎は、曾我の里を訪ね、兄弟の母親、言ってみればお姑さんとも親しくなって、富士の裾野へ一緒に行ったりしている。そして、箱根権現で出家し、諸国を行脚した後、大磯の近くの庵に住み、十郎の供養をしながら六十三歳まで生きたという。お虎は、『曾我物語』のヒロインとも言える女性で、非常に興味をそそる愛らしい女のように私には思えてならなかった。
<箱根にある曾我兄弟の墓、右手にあるのは虎御前の墓>
映画の話に戻そう。
映画では、五郎と化粧坂の少将の関係も、十郎と虎御前の関係もいい加減に描いていた。というより、気軽に話を作り変えていた。芸術祭参加作品なのだから、もう少し、物語に忠実でも良かったのではないか、と『曾我物語』を拾い読みした現在の私は心の隅で思わないわけではない。が、映画を観た時点ではそんなことは思いもしなかったのだから、私も偉そうなことを言えた義理ではない。
原作はどうであれ、時代劇での男女の描き方はこの映画のようにロマンチックな関係に変えた方が良いのかもしれない。十郎も五郎も遊女に夢中になっていたというのでは、昔の東映時代劇のヒーローにはなれなかったであろう。それに、錦・千代ファンが許さなかったと思う。
工藤祐経の仮屋に虎御前が連れ去られ、寝間で工藤の相手をさせられそうな時に十郎がやって来る。化粧坂の少将も仮屋に居て、五郎と再会し、案内役を買って出る。『曾我物語』にはそんな場面はないが、その方が映画として面白いし、映画はこれで良いのだろう。ただ、兄弟が工藤の寝間に駆け込んできた時、虎御前の高千穂ひづるが工藤の肩をマッサージしていたところはどうもいただけなかった。どうせなら、無理矢理手込めにされそうな場面に変えたほうがもっと良かったような気がするが、どうであろうか。(まだ、つづく)