錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

ファンの会の記念小冊子「青春二十一」

2011-03-28 14:14:51 | 錦之助ファン、雑記
 3月に入ってずっと、錦之助映画ファンの会の記念小冊子の編集制作をやっていた。先週の金曜にそれがやっと終わった。印刷所へ入稿したので、4月1日には完成予定である。
 その間、東北関東大震災があり、私の家も仕事場も別に被害はなく、ただ本箱の上段の本が崩れ落ちただけだったが、その後テレビのニュースをずっと見ていた。東京にも何度か地震があり、原発問題や節電への心配もあり、また家庭の事情もあって、落ち着かなかった。が、こういう時には、外に出ないで、本の編集制作に励もうと思い、集中的に仕事をした。3月初めには、もしかすると今月中には出来ないかもしれないと思っていたが、すべての誘惑を断って(映画へ行かない、本を読まない、人に会わない)、最初の予定通り、4月2日発行の運びになった。この2週間は、テレビのニュースを観る時以外は、ほとんどの時間、パソコンの編集ソフトに向かい合っていた。円尾敏郎さんにはいつものことだが、校正を手伝ってもらい、感謝。
 錦之助映画ファンの会の小冊子というのは、「青春二十一」というタイトルで、会報というよりむしろ錦之助ファンのための記念本に近いものである。一昨年に出版した「一心 錦之助」の続篇のような本だと思っていただけばよい。あの本ほど写真は入っていないが、それでも東映に高額の著作権料を払って、スチール写真を5枚使った。スナップ写真も十数枚使っている。内容は、「錦之助映画祭り」のレポートに加え、錦之助関係のいろいろな記事を掲載している。
 まず、京都での有馬稲子さんのトークショー(中島貞夫監督が聞き手)と故・千原しのぶさんのトークショー(円尾敏郎氏が聞き手)の模様を収録してある。それと、近代映画社の小杉修造社長に先日私がインタビューした記事が載っている。昔、「近代映画」の編集者として小杉さんが錦ちゃんに取材した時の話、錦ちゃんとお母様がアメリカ旅行をした際、小杉さんが各地を案内した時のエピソードなどが語られている。私が以前このブログに書いた記事も一部改稿して載せた。錦之助映画論としては、「剣は知っていた 紅顔無双流」を書き改めて載せた。ニュープリント制作が不可能になったことに対する腹いせもあってのことだ。
 今回の小冊子「青春二十一」(第一巻)、巻頭写真ページが8ページ、本文80ページで、カバーは四色刷で、表紙には画家の植木金矢さんの快諾をいただき、植木さんが描いた『あばれ纏千両肌』の野狐三次を使っている。薄いけれどもかなり豪華な冊子である。限定版500部、錦之助映画ファンの会の会員と関係者各位へは1冊無料進呈。ファンの会の皆さんへは、4月2日・3日の総会の出席者には手渡し、欠席者には郵送。一般の方々への販売もするが、定価1000円(税別)。全国の書店で注文すれば入手可能。ネット書店でも販売予定。第二巻は今年の夏以降に発行したいと思っている。
 
 

TBSラジオで萬屋錦之介を紹介

2011-03-03 01:04:12 | 錦之助ファン、雑記
 おととい、錦之助映画ファンの会のNさんから電話があった。
「今度の6日の日曜、ラジオで錦ちゃんの特集があるようだけど、背寒さん、知ってる?」
「知りませんね。ラジオでやるって、何、するんですか?」と私。
「爆笑問題が司会をしている番組で、萬屋錦之介を取り上げるんですって。27人の証言っていうタイトルが付いているんだけど」
「27人の証言?錦ちゃんを裁判にでもかけようってわけですかね」
「TBSラジオのホームページに出てるんんだけど、見てよ」
「あとで見ておきます」
「それでね。ファンの会の人たちに知らせてあげたほうがいいと思うのよ」
「じゃあ、ブログに書きますよ」
「それがいいわね。それと、ラジオ局にどんなことやるのか、背寒さん、聞いてくれないかしら」
「めんどくさいなー。TBSラジオですか。ま、電話で聞いてみますかね」
「じゃあ、お願い。よろしく」ガチャン。
 というわけで、私は、局のホームページを覗いて、ざっと番組内容を確かめた。
 <爆笑問題の日曜サンデー> 
 日曜もサンデーも同じじゃないか!
 なになに、<午後1時~5時 4時間生放送>
 目を左にやると、囲みの掲示があって、
 27人の証言!
 萬屋錦之助特集

 歌舞伎役者・俳優の萬屋錦之助さんを大特集!
 歌舞伎、映画、ドラマなどで幅広く活躍

 皆様からの証言もお待ちしています!

 
 おいおい、錦之助の「助」が違うじゃないか!私はガチンと来た。
 なんていい加減なんだ!特集をやるにしても、名前を間違えるとはケシカラン。
 中村錦之助、萬屋錦之介だろ!
 錦ちゃんの名前を間違えている印刷物を時々見かけるが、いつも頭に来る。萬屋錦之助、中村錦之介、いちばんひどいのが、万屋錦之助、それと、中村綿之助。(「錦」が「綿」になっている!)

 早速、TBSラジオに電話をかけた。抗議の電話である。
 代表番号に出た交換手から、番組制作部に回され、女性のスタッフが出た。
「これこれこういう者ですが…(私の名前と肩書、もちろん錦之助映画ファンの会の代表であることも言っちゃった)、日曜サンデーという番組を担当している方はおられますか?」
「どういうご用件ですか?」
 ここで私は、ぐっと気持ちを抑え、
「27人の証言という特集で、錦之助さんを取り上げるということすが、番組を聴いたことがないんで、内容を教えてもらえませんか?」
「あいにく今、ディレクターがいないので、あとでこちらからご連絡さしあげますけど…」
「じゃあ、そうしてください」
 私はもう一度私の名前を言い、電話番号を教えて、電話を切った。
 それから、昨日も今日も、今のところ、番組のディレクター氏とは連絡がつかない。
 ただし、昨日は夕方から、今日は午後1時ごろから仕事場にいなかったので、もしかすると電話があったのかもしれない。
 以上、報告まで。
 
 


成澤昌茂さんからうかがった話

2011-03-01 04:55:52 | 監督、スタッフ、共演者
 これから書くことは、昨年の秋、脚本家の成澤昌茂さんにお会いして直接うかがった話である。成澤さんといえば、溝口健二監督のお弟子さんで、溝口作品では『噂の女』『楊貴妃』『新、平家物語』(この三作の脚本は依田義賢と共同執筆)そして溝口監督の遺作『赤線地帯』の脚本を書かれた方である。溝口監督の死後、成澤さんは、東映の錦之助主演作の脚本を八本、手がけている。『風と女と旅鴉』『美男城』『浪花の恋の物語』『親鸞』『続親鸞』『江戸っ子繁盛記』『宮本武蔵(第一部)』『関の弥太ッペ』がそれである。東映時代劇全盛時代の後期(昭和33年~38年)にあって、成澤さんは、言うならば中村錦之助の座付作者であった。この頃、成澤さんは東映京都作品ではほとんど錦之助主演作の脚本だけを書いていた。
 
 そこでまず、異色作『風と女と旅鴉』の脚本を書いたきっかけを尋ねた。
「東映の岡田茂さんから頼まれましてね。東映のスター錦之助がお子様映画や娯楽映画ばかりに出ていてマンネリ化してきたので、岡田さんから傾向の違った芸術的な映画を一本書いてくれと言われました。タネを明かせば、アメリカの西部劇を参考にして書いたのがこの作品です。監督は最初、松田定次さんを予定していたのですが、加藤泰さんに代わって、ちょっと不満でした。」
 『風と女と旅鴉』は成澤さんが東映のために初めて脚本を書いた記念すべき作品で、以後、東映京都時代劇で錦之助主演のこれぞという大作は、成澤さんが脚本を担当することになる。それらの脚本は全部、主演の錦ちゃんをイメージして書いたそうだ。
「錦ちゃんが作品ごとにどんどん成長して、油が乗っていくのを見るのが楽しみでしたね。」
 『風と女と旅鴉』はなぜか松竹会長の大谷竹次郎が観て、脚本を気に入ってくれ、今度は大谷会長から松竹歌舞伎の脚本を依頼されるようになったそうだ。

 次は『浪花の恋の物語』の話。錦ちゃんの相手役に有馬稲子さんを連れてくるため松竹と交渉したのは、この映画の脚本を書いた成澤さん自身だったそうだ。
「当時有馬さんは松竹専属だったので、大谷さんと話し合って、私が松竹の芝居の脚本を書くかわりに有馬さんを東映のこの映画に出演させてもらったんですよ。」
 『浪花の恋の物語』は、これまた大谷会長が観て、監督の内田吐夢は歌舞伎が分かっていないと言ったそうだ。この映画の劇中劇で浄瑠璃の舞台シーンについてなのだが、最初に幕が開く時、幕を引く方向が逆だとのこと。つまり、舞台の上手(見物席から見て右の方)から下手(左の方)へ幕を引いていくのは、間違いで、下手から上手に引くのが本当だというのが大谷会長の指摘だった。成澤さんからこの話を聞いて、私も映画で舞台が出てくると幕を引く方向に気をつけるようになった。確か『藤十郎の恋』(山本嘉次郎監督、長谷川一夫、入江たか子主演)だったと思うが、京都の芝居小屋が出てきて、ここでは『浪花の恋の物語』と同じように、上手から下手に幕を引いていた。これも間違いなのか。

 成澤さんへのインタビューは3時間に及ぶもので、まだまだある。ただし、テープに録音しなかったので、インタビューが終ってすぐ印象に残った言葉をメモに取った。もちろん錦之助映画以外のことも多く、公表できない裏話もあるが、メモを見ながら、私が記憶していることも加えて、次回も書いてみたい。(つづく)




錦ちゃんファンからの反響

2011-03-01 01:38:39 | 錦之助ファン、雑記
 最近、「錦之助映画ファンの会」の数名の女性の方から電話連絡をいただき、ニュープリントにできなかった作品『紅顔無双流 剣は知っていた』に対する、落胆、失望、そして、やり場のない憤懣をお聞きした。居ても立ってもいられなかったのだろう。残念さと怒りが入り混じった気持ちを錦ちゃんファンの誰かに伝え、その気持ちを分かち合いたかったにちがいない。錦ちゃんが演じた眉殿喬之介、あの孤高で凛々しい美剣士を、もう二度と映画館のスクリーンで観られない。『紅顔無双流』のニュープリントが作れなくなったという報告は、ファンの会の皆さんに予想以上の大きなショックを与えたようだ。ある熱烈な女性ファンなど、布団をかぶって二日間寝込んでしまったという。残念を通り越して、もう悔しくてたまらないといった様子であった。
 ファンの会には、現在約80名の会員がいるが、そのうち60名は女性である。その60名のうち約40名は、「笛吹童子」世代であり、リアルタイムで錦ちゃんの映画を観て熱心なファンになった方々で、彼女たちのほとんどは、美しい錦ちゃんが好きなのである。かく言う私は男であり、昭和30年代以降にファンになった若輩者なので、錦之助が演じた役柄の好みがいささか違う。お澄ましした二枚目の錦ちゃん、メイクで美しい顔を作った錦ちゃんもいいが、どちらかと言うと、二枚目半で元気いっぱいの錦ちゃん、茶目っ気のあるやんちゃ坊主の錦ちゃん、素顔に近い錦ちゃんの方が好きなのだ。だから、正直言って、熱烈な女性ファンとは合わない面もある。錦ちゃんの女形を熱愛したり、美少年、美青年に扮した錦ちゃんに胸ときめかせる彼女たちの気持はどうも共感できないところがある。『紅顔無双流』がスクリーンで観られないことは、もちろん私も残念でならない。しかし、錦ちゃんファンのお姉さま方が、なぜそんなに『紅顔無双流』の眉殿喬之介にこだわるのか、頭では理解できても、その思い入れの強さはどうも実感できない。確かに、錦之助のいわゆる美剣士ものの中で、眉殿喬之介は魅力満点、多分ナンバーワンであろう。が、それはあくまでも女性の目から見た魅力なのだと思う。この映画がことのほかお好きな女性ファンと話をしていて分かったことは、当時女子高校生あるいは中学生だった皆さんは、錦ちゃんの眉殿喬之介を見て、胸高鳴らせ、乙女心をむんずとつかまれたのだそうだ。つまり、この映画で決定的に錦ちゃんファンになった。言い換えれば、彼女たちは、精神的に錦ちゃんと結婚したのである。それほど女性ファンにとっては欠けがいのない映画であるから、ニュープリントができなくなったと知って、寝込んでしまうほどのショックを受けたのは当然なのかもしれない。
 
 ところで、電話で皆さんから励ましもいただいた。いや、要望といったほうがいい。それは、このブログに、錦ちゃんの話を何でもいいからもっと書いてほしい、少しでもいいから、間をあけずに、マメに書くように、ということだった。極力、心がけたいと思う。