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日本語はどこからきたのか   大野晋  1999年 中央公論新社

2017年12月21日 | 毒書感想(宮崎)

中国語・韓国語・ポルトガル語・ドイツ語・英語e.t.c. 日本語はこれまで長い歴史の中で、外国からさまざまな影響を受けてきたことはよく知られていますが、まさか南インドの「タミル語」とこれほどまで共通点があるとは驚きです。
研究するにも書物が残されてない時代までは遡って調べることはできませんので日本語がどこでどのように生れたのかには諸説あるようですが、これだけ証拠を突きつけられたら信じないわけにはいきませんね。日本はインダス文明の影響を色濃く受けてるってこと。
著者の大野晋(おおの・すすむ)は国語学者。すでに2008年(88歳)に亡くなってます。

以下は本文からの抜粋。

 

 それでここには約一二〇語あげたのですが、日本語とタミル語の対応語は、五〇〇語くらい見つかっています。それはみなここにあげたような、はっきりした音の対応の法則にかなったものです。
 とはいっても、まえにお話ししたように、単語の対応はどんなにたくさん見つかったとしても、中国語と日本語の場合で分りますが単語だけではどこまでいっても、「借り入れ語」であるかもしれないという疑いが、消えません。
 単語だけでは、「日本語はどこからきたのか」を考えることはできないのです。文法が対応するかどうかによって、はじめて言語の系統の証明は完成します。   (四  タミル語に出会う)

 

 疑問文は、英語では語順を逆にすることであらわします。しかし、日本語とタミル語では文の終わりに疑問の助詞をつけるので、語順はまったく同じだということが、例にあげた二つの文からわかるでしょう。また日本語では、たくさんの助動詞を重ねて③のようにいいます。それを一語一語直訳すれば、タミル語になります。       (四  タミル語に出会う) 

           例文③  行カ  セ  ラレ  テ  ナイ  ダロウ  カ
                nata     tta     ppat    tat     anr       um         kollo
               

 太字の母音だけをひとつずつ数えてみれば、ここには五七五七七という形式で母音がならんでいることがわかるでしょう。これは、さきに見た『万葉集』の歌の形式と同じです。こういう形式の歌が、『サンガム』などの歌集に数多く載っています。
 これは、日本文学の中心をなしていた和歌の形式が、タミル語と共通であることを示しているわけですから、重要な意味をもつと思われます。      (四  タミル語に出会う)

 

タミル語については、弥生時代になってはじめて日本に存在するようになった水田稲作・機織り・金属器・墓地などに関係する単語が、これまでお話ししたように、数多く日本語と対応します。
 それなら、タミルにおいて、ちょうど日本の弥生時代にあたる時代、あるいは弥生時代よりまえの時代に、日本のものと同じようなものが、実際に存在したのかどうか、それを見ればよいだろうと私は考えました。
       (中略)
 ジャポニカとインディカの二つは、お米の何千という種類を二つに分ける大きな対立的な存在です。ですから現在の日本のお米と、インドのお米とは、まったくちがうのだから、日本のお米はインドからきたものではないという意見が有力でした。
 ところが、インドやタイなどの昔のお米は、どんなだったのかを調べた学者がいます。渡部忠世(わたべ・ただよ)氏です。インドやタイなどでは、レンガをつくるときに、土のなかに、もみがらをまぜてつくります。そこで古いレンガをさがしだし、そのなかのもみがらのかたちを、渡部先生は調べました。すると、一〇世紀ごろ以前になると、インドなどでも、もみがらは細長いものではなく、まるくなる傾向があることが明らかになってきました。
                  (六   日本語はどこからきたのか)

 

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