ラサ サヤン

洋服作りといろいろ作り、好奇心旺盛の毎日

シンガポールへ

2006-09-07 23:17:45 | マレーシア
8月20日
昨日はAdelaからルビーさんの家に帰った後、またしても、
ドリアンをお腹いっぱい頂きました
そして、この日の朝ごはんはロティチャナイとミーフンゴーレン

フライパン横の洗面器にはもどしたビーフンが入っています
ビーフンはマレー語でミーフン
朝食を頂いた後は、ルビーさん家族に心からの御礼をして、さようなら

KT発のバスエキスプレスに乗り込んでJBへ
4人でバス代9リンギ40セン約300円 途中下車なし50分間
オイルパームともお別れです
JBからは国境越えの170番のバスでシンガポールの中心地へ
4人でバス代7リンギ20セン約240円
今度はイミグレも、乗り換えバスもすんなりといきました
ガサガサしたJBから、国境を越えて、シンガポールの住宅地を抜け、
シンガポールの中心地へ向かうバス
どんどん変わって行く景色は、乗り応え、見ごたえ十分の楽しいバスです
この日に泊まるノボテル クラークキーからの風景


日本人もたくさん泊まっている、高級感あるホテルなのに、
我が家のリュックには、前日アデラで頂いてきた、
アリ付きランブータン、マンゴスチンがどっさり・・・

ランチは、チャイナタウンの中国茶楼で、ワゴンサービスの飲茶です
あつあつショウロンポウ、プリプリエビ餃子、サクサク揚げ春巻き・・・
点心をお腹いっぱい食べました
マレー料理もおいしいけれど、中華も

夜はナイトクルーズでマーライオンを見に・・・
日本人観光客のお決まりコースかな 

Adela

2006-09-07 00:06:59 | マレーシア
当時、私のいた、入植者の妻の副収入になるように、
幼稚園や小学校の制服を作ったり、カーテンを作るプロジェクトに、
積極的に参加していた中の1人、
サニアの家へ最初に訪問しました


私は、2年間任期を終え、帰国する時に、
「2~3年したら、またきっと旅行で来るね!」
と、言って帰った事を、サニアはずっと覚えてくれていて、
「2~3年で、また来ると言っていたから、ずっと待っていたのに・・・
やっと、きてくれた」
と、とても喜んでくれて、当時の仲間達の家を回ってくれました



家はたくさん回ってくれたけれど、仕事や用事でいない人たちもいて、
今回会えたのは6人程
連絡も全くしないで来たので、6人に会えてよかった


左はサニア、真ん中のサルマも、熱心に来てくれていた1人
サルマは今、マレーシアの民族衣装、彼女達が着ているバジュクーロンを
仕立てる店を出していました

皆、大きくなった娘と息子を見て、とても喜んでくれました


私が、サニアたちと話している間、村の中を散歩をしていた夫と子供たち、
1件の家の庭に呼ばれて、ランブータン(黄色いフルーツ)をご馳走になり、
おみやげもたくさん頂きました
その家のお母さんが私と知り合いだったから、と・・・

村の中は、道が舗装されていたり、バイクが減って車が多くなっっていた
村人達の家がかつては、木で作った小さな家から、
大きくする工事中の家が多かったけれど、
今はコンクリートの大きな家が多くなっていました
(木のままの家もありましたが)
そのくらいの変化で、16年前とあまり変わらず、ほっとしました
(ビルが建ったり、木が少なくなったり・・はありません)
村の人たちも、昔と変わらず、暖かかったです
以前は、村の中に警察もいませんでした
お金持ちはいないし(?!)貧富の差もそれほどないし・・・
今回も、見当たりませんでしたが、どうかな・・?

 Adela へ

2006-09-06 23:22:56 | マレーシア
KTから、道を曲がって、いよいよ、16年ぶりのふるさとへ
ここからは、オイルパームの中を走る1本道
ここまでくると、昔の面影と同じ、どこまでも、どこまでも
右も左も、景色はオイルパームだけ
入植地が続きます



KTから60Km南にある、
Adelaという村は、マレーシア政府が国民に、
仕事と家を与える為に作った、入植地の1つです
仕事はオイルパームを育てて、実をとる仕事
ライオン、トップの菊川怜が出ているコマーシャル・・・
もしも、ご存知ならあの世界です
村は約2000世帯 
1世帯、約600本のオイルパームの木を有しているそうですから、
ここだけで、約12,000,000本の木
木が大きいと、遠くまで見晴らす事ができませんが、
こうして見ると、遥か遠くまで続くオイルパームが良くわかりますね


オイルパームの木は20~30年たつと木が大きくなりすぎて、実を採ることが困難になるので、
伐採して、新しいオイルパームを植え替えます
Adelaではちょうど、新しく植え替えたところ
かわいいオイルパームの木
16年前は、まだそれほど大きな木になってなくて、
採りやすい、ちょうどいい大きさだと村の人たちが言っていました・・・

オイルパームは、石鹸やお菓子になります
日本のアイスクリーム等でパーム油と書いてあるのも、
この油です

朝ごはん

2006-09-04 18:24:19 | マレーシア
8月19日
朝ごはんはロティチャナイ
インドのナンのような生地を、薄く薄く延ばして、
多めの油で焼いたものが、ロティ
カレーをつけて食べます 
子供たちの大好きメニュー 
家族の方々と同じように、右手で頂きます 

ルビーさんは子供たちの3人目のおばあちゃん?!




コタティンギ

2006-09-03 23:51:46 | マレーシア
KTまで、ルビーさんのお買い物に一緒について行きました
KTの町も、16年前とは様変わり
タクシースティション、バススティションが町の真ん中にあって、その周りにグルッとお店が集まり、
パークソンという2階建てのスーパーが1つあるだけだったのに、
今は、町の面積がかなり大きくなっていて、ショッピングセンターも
いくつか出来ていました
娘は、ショッピングセンターで、友人へのお土産をたくさん買い込んだり、
日本のコミックマンガを、翻訳して、コピーして販売していた、
海賊版のマンガ(マレー語)を買ったり、気に入ったキャップを買ったり、
何もかもが安いので、お小遣いで買い物を楽しんでいました

この日は金曜日で、ナイトマーケットの日、
夕方、5時にはマーケットはもう賑わっていました

魚屋さん


鶏肉屋さんでは、鶏肉が1キロ4.5リンギ、
1匹で、約2キロとか・・・それなら1羽で9リンギ=300円!


デザート屋さんや、おかず屋さん・・・・


野菜屋さん、果物屋さん、ジュース屋さん
ドリアン屋さんでは、ドリアン1個3リンギ、約100円です
(神戸のデパートや南京町の八百屋さんでは、1個3000円位)
・・・何百メートル続いていたでしょう?とにかくたくさんのお店屋さん
あちこち覗いて、楽しめました

今回、KTで行ってみたかったのが、
ホタルツアー
シンガポールからも、KTの川でのアピアピツアーがあると聞いて、
楽しみにしていました
先日、アズハルさんから、ホタルをマレー語で、
クルットクリットと聞いていましたが、
KTでは、クナンクナンと言うそうです
夜の9時から45分程度のホタルツアー
1人、15リンギと聞いて行ったのですが、
その日は見学の人が1人もいなくて、
船1台チャーターしたら、100リンギと言われました
1人15リンギは7人集まった料金だそうです
どうしようか迷っていたら、ホタルツアーまでつれてきてくださった、
ルビーさんの息子さん(娘さんのご主人と)隣の息子さん(?)が
2人で100リンギ払ってくださいました・・・
(迷わなければよかった、申し訳なさでいっぱいでした・・・)
ライフジャケットを着て、ボートに乗り込んで出発!
しばらく行くと、チカチカ チカチカ 
少し地味なクリスマスイルミネーションのように、
たくさんの木にホタルが輝いていました
ホタルのいる木は、1Kmくらい続いていたと思います
船頭さんは、ホタルがたくさんいる木に時々ボートを突っ込んで、
ボートの中にホタルを入れてくれたり(枝はボキボキ・・・)サービス満点!
ホタルは日本のホタルより小さくて、捕まえても、
手に乗っている感触があまりないくらい
そして、ホタルの光るスピードは、日本のホタルよりずっと早く、
チカチカ光っていました


JBからコタティンギ ルビーさんの家へ

2006-09-03 10:12:07 | マレーシア
8月18日
ホテルの朝食はマレーシア食&洋食バイキング
レストランではたくさんの人々が幸せそうに朝食を食べていました
不安な夜を過ごしたのは私達だけ?(私だけ?)

ルビーさんとご主人が車で迎えに来てくださり、
私達は、コタティンギ(KT)へ
JBからKTへの道は、私の知っている
森と、オイルパームの中を通り抜け、時々小さな町を通過する曲がりくねった道
ではなく、大きな住宅街やショッピングセンターの中を通り抜ける、
広くてまっすぐな道でした

ルビーさんの家はKTの街中から少し離れた、
花と果物の木に囲まれた一軒家でした


手前の木には、ランブータンがなっています

庭の大きなランブータンの木の木陰にテーブルとイスを出して、
フルーツをご馳走になりました
ドリアン食べ放題で幸せそうな夫です


ルビーさんのお孫さんたちと仲良く遊ぶ息子、
言葉が通じなくても、ずっと遊んでいました





地図

2006-09-01 11:30:46 | マレーシア
見難い地図ですが、
これで少し雰囲気が伝わるでしょうか・・?(北が上になっています)

黄色がシンガポールで、緑がマレーシア
まわりのグレー部分は海
中国-ベトナム-タイ・・・と続く
ユーラシア大陸の最南端、マレー半島の南端の地図です

シンガポールの大きさが淡路島より少し大きく、
琵琶湖より少し小さい・・・
北側のジョホール水道を越えるとマレーシアのジョホールバル、
北東40Kmにルビーさんの住むコタティンギ
そして目指すアデラ村は、デサルのDの左側あたりにあります
コタティンギから南に60Kmほどの場所です

デサルはビーチリゾートでかつてはデサルービューホテルという、
日系のホテルもありました
日本食と日本の新聞とプールで泳ぎたい為に、
在マ中はバイクでふらりと遊びに行きました・・

JB セレサホテル

2006-09-01 00:19:41 | マレーシア
JB(ジョホールバル)のイミグレから、セレサホテルまでのタクシーからの眺めは、
見覚えのある建物はあるものの、私の知っている16年前のJBとは全く違う街でした
ネオンいっぱいの建物が並び、夜だと言うのにたくさんの人々が楽しそうに、
歩道からはみ出しそうに歩いていて・・・道路もきれいに大きくなっていて、
そこがかつてのどの辺りなのか、わからないままホテルに着きました


ホテルはぱっと見はまあまあきれいな高層ホテルで、部屋は26階。
窓からの眺めはどんなかな・・?
と楽しみにエレベーターに乗り込むと、
エレベーターは日本の高層ビルのエレベーターのように、
あっという間に26階まで運んでくれました
が、なんかイヤな揺れと微妙な乗り心地・・・
見ると、シ○ドラー社製・・・
定期点検をきっちりやっていると思えない雰囲気が・・・
26階の廊下や部屋の壁、天井についたエアコンか何かのシミから、感じられます

(今まで気がつきませんでしたが、阪神淡路大震災を体験したために、
私にもトラウマがあったのかもしれません・・
もしも、このホテルで寝ている時に地震があったら・・・・・)



3年前、我が家にマレーシア人のルビーさんが1週間ホームステイにやってきました
ルビーさんは50代後半の宗教学校でイスラム教を教えている先生です
そのルビーさんの家はコタティンギ(KT)という町の近くにあります
KTは偶然にも、JBから40Km程、
私がかつて住んでいた、アデラという村に行く途中の町なので、
ルビーさんには今回の旅行の事をあらかじめ連絡していました
JBに着いたら必ず電話するように言われており
ホテルから電話してみると、
『明日の朝ホテルに迎えに行くから、家には何泊できる?
私はもう退職したので、いくらいてくれてもOK!』

3年前にルビーさんの家には果樹園のようにフルーツの木がたくさんあり、
泊まりに行ったら、フルーツは食べ放題よ!と、聞いていたので、
家もきっと大きな家だと思うし、
地震の心配もこのホテルよりは少ないと思うので、
家族全員の合意のもと、翌日から2泊 
ルビーさんの家に、ホームステイさせていただく事にしました



翌朝、ホテルの周りを散歩してみると、バナナのたっぷりなっているバナナの木、
ランブータンがたっぷりなっているランブータンの木が、道沿いの空き地にあって、
映画のジャングルの中の鳥の鳴き声のような、鳥の声が聞こえ、
こんなに発達した街中でも、豊かな自然を感じる事ができました

アジアンスタイル

2006-06-28 22:30:22 | マレーシア
バティックの着こなし?!と、言えるでしょうか・・・?
パレオ風とでも言いましょうか・・・
生地幅100Cm長さ195Cm(柄が横地で入っていて横地に着用)の布をこんな風に腰に巻いて、上はTシャツというのが、
マレーシアのマレー人の部屋着なんです(今もそうかな?)
私も、1年に何回かこの服装しますがマンションから出られない・・・
巻きスカートにきちんと仕立てたら、近所の買い物くらい行けそうですね

マレーシアにいるときに、このようなバティックでワンピースを作ったら、
約2名から『サヤンニャ~』と言われました
たぶんはさみを入れたことに対して、
もったいない又は(生地が)かわいそうに・・・
と言う意味でしょう?
洋服を作る用途で作ったメーター切りのバティックも町の生地やさんに行ったら
売っています