無明長夜もかくばかり…

食のこと、家族のこと、ペットのことや日々の雑感… 
手探りをしながら、書き綴っていきたいと思います。

正月早々…

2007-01-03 | 映画


まったく「正月早々」である。

何か映画を、ということになった。
家族の意見は割れ、オレは「007カジノロワイヤル」か「犬神家の一族」
ニョウボと娘は「エラゴン」、息子は特になし。
結局意見はまとまらない。

だからってなにも、正月早々こんな重い映画を観るこたぁないでしょうに…



『硫黄島からの手紙』である。

午前中の早めの時間に起き、いつもの「板橋ワーナーマイカル」へ。

朝食抜きだったので、1階にあるフードコーナーで「白ゴマ坦々麺」を。



時間的には昼だが、これも重い…



上映時間が迫った。
いつものようにポップコーンと、ダイエットペプシ。
居眠り防止に「フリスク」をポケットに忍ばせ、上映開始だ。

正直に言うと、オレは戦争映画というものを観ない。
あからさまに「反戦」を掲げた内容が好きでないからだ。
もちろん戦争の悲惨さを全面に出したものも嫌いだ。
最後に観た戦争映画は…なんだったろう。
「プラトーン」だったかも知れない。いずれにしても相当前だ。

やや重い気分を引きずりつつ映画の始まりを待つ。

アメリカ軍の圧倒的な兵力と火力の前に、
5日と保たないだろうと言われた硫黄島での戦闘は、
陸軍中将・栗林忠道の戦略により、36日間の長きに及んだ。
米軍は硫黄島の飛行場を欲しがった。
ここを空襲の拠点とするためである。
この戦闘が長引いたおかげで、何人もの日本人が助かったと言う。
本来、海岸沿いに塹壕を掘り、上陸してくる米軍を迎え撃つはずであった。
しかし新しく派遣されてきた栗林中将の作戦は
水際で敵を迎え撃つのではなく、地下陣地を作り、
そこに立て篭もって持久戦に持ち込むという作戦だった。
「潔い死を死ぬのでなく、苦しい死を生きよ」というのが
栗林中将の考え方であったが、当然反発も来る。

「帝国軍人たるもの、こんなモグラのような戦い方が出来るか」

古い考えを持つ幕僚達に、栗林は言う。

我々の子供らが日本で一日でも長く安泰に暮らせるなら
我々がこの島を守る一日には意味があるんです


「最後の一兵になっても戦いをやめるな」
そう命じて、無謀な「万歳突撃」を禁じた。

実話を元に作られた映画であるということもあるが
特別なヒーローがいるわけでなく、特別なお涙頂戴も無い。
あからさまに「反戦」を謳っているわけでもない。
ただ淡々と、起こったことを映していく。
しかしそれがリアリティを倍増させていく。
「戦争はイヤだ」と、痛切に思う。
しかし戦争に駆り出された彼等とて、それは同じであったろう。
手榴弾を手渡され、「自決せよ」と言われ、
涙を流しながら、家族の写真を握り締めて爆死する若い兵士の姿を見て
「自分がこの立場だったら」と思わずにいられない。
例え家族のためとはいえ、いざとなったら自分にそれが出来るだろうか。
栗林中将が、兵隊に言う台詞が、心に突き刺さった。

「不思議なものだな。家族のために死ぬつもりだったのに、
家族が居るからこそ死ぬのをためらう」

うろ覚えなので言い回しはやや違うかも知れないが、そういう意味のことだった。
矛盾しているが、これが真理であろう。

重い映画だったが、観て良かった。



鑑賞後、暢気な話だが、家族でたこ焼きをパクつきながらも
やはり皆、同じ感想だった。
あの戦争で、先輩達が頑張ってくれたからこそ
今の平和があることを忘れてはいけないだろう。




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