日記

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「街場の天皇論」 内田樹

2022年01月19日 | 読書

昨年、あるお嬢ちゃんの結婚が国論を二分するほどの騒ぎとなり、マスコミが提供する情報は手軽な話題として消費つくされ、改めて「天皇制」って何?これからこの制度はどうなって行く?と考えた向きも多かったことでしょう。

私の周りでも、初めは軽い世間話の延長のつもりが、意見の違いが思わず露呈してしまい、気まずい雰囲気になったことも二度、三度。

あの方たちは決して雲の上の人ではありません。もしかしたら隣人よりも身近に感じる。それが例え錯覚にしても。


本書は2016年、前の天皇が退位したいと述べたことを直接のきっかけとして、各媒体に発表したものを集めた本。それぞれの文章は短くてエッセィという体裁だけど、内容はかなり歯ごたえがあり、いろいろと考えさせられた。

まず著者は「天皇のお言葉」をきっかけとして、日本に天皇制は必要な制度、聖的権威と現実の権力(言い方はちょっと違っていたかもしれない)の二つの中心があることで日本は安定する。そのことに気が付いて天皇主義者になったと表明する。

前の天皇の在位中は、災害が多かった。被災地に出向き、体育館に避難している人たちに膝をついて励ます姿が、私自身記憶に残っている。話しかけられて感極まって涙ぐむ映像もたくさん見た。

著者は、癒し、祈る天皇を見てこれからも必要な制度と感じたとのこと。


これと同じご意見を、前のブログのコメントでいただいたこともある。で、私の考えですが、長い天皇制の歴史の中で、祈る姿は果たしてすべての時代を貫く普遍的なものだったのだろうかと。人は自分の見たことで判断し勝ち。国民に寄り添うという姿勢もおそらくは時代の要請で、ご本人はそこにご自分の存在意義を見出されたのかなと想像するのです。

いつの時代もこの制度は脆弱で、危うい。権力と距離を取りつつ、助けられつつ、この日本的制度が続いてきた。

皇帝とか王とか、たいていの国で歴史のどこかの段階で生まれてきたと想像するのですが、日本の場合は古代のヤマト政権が、中国と交流する過程で、中国の制度に習って日本風にアレンジもして生まれた制度。それが天皇制。そんな理解でいいのかな。

権力に取り込まれ、祭り上げられ、利用され・・・それを天皇家の人々がいちばん警戒しているのかなと思います。紆余曲折はありつつも、しばらくは続いて行く制度かなと思います。彼のマッカーサーも日本統治のためには必要としたのですから。


今現実にある制度だからうまく運用しよう。内田氏の意見は簡単に言うとそうなんですが、私個人としてはまた違った意見です。皇族には人権なんかなくていい、自分を犠牲にして国民に寄り添うから尊いという意見もありそうですが、私は身分制の残滓のようなものを残しても誰も幸せにならない。そう思っています。

何かの間違いでまた先の戦争のようなことになりかねない。それを懸念しています。


天皇制の考え方は本当に人それぞれ。結構関心も深い。そこにその人の世界観が集約的に表れる。知識人と呼ばれる人たちが、そこのところに触れたがらないのも、分かる気がします。一度足を踏み入れると、そこは無数の意見が混とんと渦巻く嵐の海のようなもの。整理するに難く抜け出すのは容易ではないし、あらぬ方向から攻撃されることも。その空恐ろしさも含めて天皇制の空間。

というようなことを考えました。

この本は先日の旅行中、読む本がなくなる不安から鳴門市内の書店で買う。

シャッターを閉めた夜の商店街で、道に明かりがこぼれていたのでつい立ち寄り、他のお客さんいなくて、つい買った一冊。

地方の個人経営の書店には、筋のいい本をよく置いてある。オーナーは二代目、三代目という感じ?

本はもちろんどこでも売れないのだけど、教科書や学習参考書で学校がお得意さん。それで経営が成り立っているのが古くからの書店の強み・・・と勝手に想像しました。

落ち着いた書店がある町はきっといい町に違いない。鳴門はドイツ兵の捕虜収容所があり、早くからドイツ、ヨーロッパの文化が根付いた土地でもあります。


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